神の言葉、契約は1つ。永遠不変です。
家族は12部族あれど、一つ。その中には、異邦人も
混じっているのです。1つの大家族=それが人間なのです。
それが、最後に一つにされる。元の姿に戻る事が福音の
全てなのです。エデンから発し、エデンに戻る。全員が。
今や預言や、”誓い”と誓願をたてたり、軽々しく”自分の考え”で
神から預言を預かったなどとする教えが蔓延っています。
人間の教え、考え、信条に基づいた、様々な
ムーブメントを起こして、それに賛同する人達がいる。
でも、その出所は神ではない。
イエスの御名を唱えても、神主催ではなければ、
それは、神に属する霊ではない。
勝手な思いつきで、神の御名を使いあらゆる事をしているだけ。
軽々しく神の言葉を変形させても良いと思う意識。
これらの教えの元は、”免罪符”的信仰です。
何をしても許されるからいいのさと言う、
屯でもなくズレた思考。
あなたは罪人だから仕様がないと言う教えも同じです。
言い訳たくさんだから。
神の似姿の人ではない事をしている。
いや神の似姿の人などと信じてないから、ズレた事しても
当然、罪人だから仕方ないのだよと信じ込ませる、
思わせる教え。全く逆効果な言い訳、教えなのです。
神の言葉の信憑性、重さを全く無視して、軽々しく
主の御名を唱える。主の御名=主の実態=言葉を軽々しく
取り扱っている証拠です。
だから、平気で永遠不変の神の言葉に付けたし、削除をする様な
教えを作って、それを世界へ蔓延させてしまったのです。
別の福音にそんなにも早く走るのか?パウロが居た時代でも
そうだったのですから、今やどれだけかけ離れた場所に来て、
飛び出してしまったのか、聖書に戻れば気がつけます。
その一方、世界的規模で、誰かのスローガンでもなく、誰かの造り出した教えでもなく、誰かの教えに基づいたムーブメントでもなく、只只創造主、神に呼び出されて、神の言葉に目覚めて行く
人達がたくさんわき起こっています。驚き桃の木、山椒の木。
人は神の言葉の真実の中だけに留まり、考え、生きれば
必ず生返る。芽生える。新しい人を生きる人生を開始出来る。
それが神のデザイン。荒野を見るとはっきり分かります。
渇いた地に眠る命、種。渇いた骨が生返る。
人は神の言葉、命のパンで生きる。生ける水の中に留まり
生きる様に造られているから。そこから少しでもズレたら
違和感、ひずみ、不都合が起こって来る。
生ける水=命のパンを求める人達は、神の真実を神のオリジナルの言葉=ヘブライ語聖書に書いてある真実を真剣に探り出している。熱望している。
真剣に、神の言葉だけを知りたいと切望し、追求し続ける人達。
本当の事が知りたいから!それに動かされて求め始める。
人間の造り出した、ギリシャローマ人間哲学から聖書を
斜めに見る教え。多くの神学が聖書とはズレている事に、聖書に戻れば気がつく事が出来る。
パウロがデスペンセーションなどと言う神学など、全く語ってない事は、オリジナル聖書に戻れば、クリアーに見えてきます。
深く深く見えて来る。嘘と真実が見分けられる様になる。
その神学、人造の教えは19世紀に初めて出て来た人間の教え。
その元は、その教えを唱えさせた人が、造り出した
聖書学者でも無い人に造られた聖書の出版以降、
刷り込まれ浸透した教え。調べれば色々分かって来ます。
スコッフィールド 注解書付きリファレンス聖書。
注解=自分の思いつきの考えを世界へ浸透させたい、
聖書のコンセプト、神の言葉を歪める解説、自分神学を盛り込んだ解説を聖書に入れた聖書です。
神の言葉を信じるのか?人の教えを買うのか?
いつも問われているのです。気がつけます。
人は神の言葉の真実だけに触れ続ければ、偽の顔、作り物、偽札がすぐに見分けられる様になるから。
色眼鏡かけ続けて全てを眺める目は、どんなにオリジナルに戻ろうと、自分の既存の思索から考えれば見えないのです。
パウロは、100%ピュアにトラー、永遠不変の神の言葉を語っているからです。パウロ=パリサイの中のパリサイの子。
ヘブライ人で、ガマリエルの弟子。
詰まりパウロは100%トラーを暗記しているのです。
肉の目が閉じ、目が開かれた後、パウロはトラーの真実を
人々に教えるのです。
パウロがトラーを否定して新しい宗教造ったなんて
教え信じていたら、神の永遠不変性、神の言葉が
ぶれない事実の何ひとつ、見えなくなって来るのです。
いや別世界にいざなわれてしまうのです。
問題の根は、トラーに書かれ居てる事が分からないと言う事
なのです。聖書に書かれている事の真意を知らないと言う事。
知らなければ、どうやって理解出来るのでしょう?と言う事は誰でも分かるのです。
霊が教える?霊は何と教えるのか?神の言葉を取りて食べよと
教えるのです。
パウロ、新約と名付けられてしまった三分の2を書いたのは
パウロです。そして、その中身全てはトラーの解説、
パウロの書簡の中身は、トラーの適用例です。
トラーを曲げて別の教えを解説なんて一切してなんかいないのです。神がそんな事お許しにならないからです。人間の教えと神の言葉とは全く違う事が見えて来ます。
そして発見して行くのです。神の真実を。
創造主を、人が何ものであるのかを、発見する。
神の真実は、神の言葉、そして神の造られた世界の中に在る。
神の言葉と、神の創造された世界は、ピッタリマッチしてるからです。世界は神の言葉により造られたからです。
目に見える形でも、私達が神の造られた世界を眺める時、
神の栄光、神の性質を表しているから分かるのです。
神の言葉は、私達に発見される事を待っている。
その中に全てが詰まっているからです。
申命記30:11−15