人が誰かに”神の言葉”=トラーを知る虜にさせる事が出来たら、
神の言葉の虜になった人は、一生神の言葉を追求し続けて行く、神の言葉から離れる事がないと、2012年の夏に友人が話して
くれたのを聞いて、アーメン、アーメンと心底からその言葉を復唱したのを思い出しました。
神の言葉から離れない、虜になったら離れたくない、
離れるなんて考えない。
いや神の言葉=神御自身の真実の中に留まり続ける事。
そして、その中だけから生きる事をする事。
神の言葉=神御自身を渇望し続ける事。
どの時代も、今の時代が一番最後の時代なのです。
どの時代にも、神は同じ様に同じ神の業をされて、
そして今に至っているのです。
鳥肌ものなのは、今世界が”神のオリジナルの言葉”に
戻る事を始めている。色々な理由から、探り求めずには
居られない現象が起きているのです。本当鳥肌ものです。
神が事を起こす、人々を目覚めさせたら誰も止められない。
神が呼び出しているからです。神の中へ、神の言葉の真実の
中へ。そして、今が神の時なのです。
2つのステイックが一つに重なる。
イスラエルと異邦人が、
同じ神の中に、同じ真実の中に引き寄せられて行く事が
実際に起こっているのです。
人の教えではなく、神の言葉、神の言われる事の真実を
発見するには、”神の言葉”の真実=オリジナルの神の言葉に
戻る以外には、真実を知る術は無いのです。
”わたしが道であり、真理であり、命である。”と
宣言した通り、その道とは?
父の元に来る方法とは?父を知る手がかりはどこにあるの?
神の言葉の中です。父の御顔そのものが書かれている。
父の造られた、神の似姿の人間の生きる全てが書かれている。
私達は神の言葉の中で、神の実態を知るのです。
照らし合わせる基準は自分の体験や空想や発想や、想像ではなく
神の言葉です。
自分の体験、思いつき、気づき、考えの出所が、神のものであるのか、無いのか神の言葉に照らし合わせる以外判明の手段は無いのです。
ありますと宣言するとしたら、それは神御自身を
否定して、自分が神になってしまう事なのです。
神の言葉=トラー=的に当たる=ヨレー=それが道。
イエシュア御自身こそ、生けるトラーとある通り。
羊の門、狭き門、命の門。
全部同じ意味で繋がっています。
人の造り出した、薄められた教えから眺める事を
一切やめて、聖書だけに戻って、今まで聞いて来た事=
聖書とはずれた人の教えを元に、考える事をやめれば、
誰でも、神の言葉の真実を発見出来る。
人は、神の言葉をキャッチ、理解出来る様に造られているからです。神との関係の中で生きるものとして造られたから。
何が人の教えでズレているのかを知るには、聖書の中に
戻る以外ないのです。どの位神の言葉が変形されているか、気がつく事が出来ます。人の解説で、神の言葉がたくさん塗り替えられているのを、欠け目無く先入観なく聖書を読めば、たくさん発見出来ます。
それは、何のため?
”たとえ全世界を得ても、まことの命を損じたら何の特が
ありましょう?”とある通り、この言葉を天国行き切符を手に
入れる話をしていると言う、その視点から眺めないで、
たとえどんなものを得ていても、自分が神の命の実態を
生きる領域を今知らなければ、何の特があるの?
とコヘレトの書にある通り、自分の手の中に与えられて
居る実態を、今何も味わえない、楽しめないなら、
全て虚しいとある通りです。
全ては今を生きるため。今しかない。今があり、今の継続の
連続で未来があるからです。永遠の中の今を生きているから。
そして、在りて在る方は、何をされているのか?
福音て何なのか?
”神の子供達”、1つの大家族の修復、回復なのです。
元の姿に、デザインに戻り生きる事。
神の創造された全て、生物、植物、大地を含めて全ての回復。
分かります。何れだけ世界が、いや世界と言う大規模で考えなくても、目の前へ、自分へフォーカスしてみて、自分の命
対人関係、家族関係が壊れているのか。
本当のお手本、神の似姿を生きた人達や、家族や夫婦のお手本を
殆どの人は持っていないからです。分からない。
どう生きるのが、神のデザインなのか?神のデザインの
インストラクション=神の言葉の意味する所を、
知らないから、どうして良いのか分からないと言うのが
本当の所なのです。
だから、エハッドであり、永遠不変である性質の神、一つ人類の家族になると言う事の全く相反する、分断の教え、イスラエルへ異邦人へ別種の教えが、契約があると言う教えは、全く
人間理解の非聖書的であり、隔ての壁を
造るそのものだと言う事に気がついた人達は、
見えて来るのです。
続く