シャバットは在りて在る方の日 イスラエル | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

シャバットはとまる、やめる、とめる日。
この日は、創造主であるお方が造られた日です。
第七日目と書かれている神の言葉は、永遠にそのまま真実です。
そして、この”完了の業”シャバットこそ福音の中心でも
あるからです。
 
この日は、主が造られた。この日を楽しみ喜ぼう。
ハ ヨム The Dayと書かれている。この日。
神の定めの日。ハ ヨム。
 
原点に戻り、聖書に戻り、なぜこの日が神により
造られて、神により永遠の定めとして、人に告げ知らせられたのか、毎週シャバットに、関連箇所を読んで考えるのです。
 
さて、続きは又後ほど書くとして、金曜日の昼間には、
もう街中には人通りも殆どまばら。
お店は3時に店じまいなのです。
皆家庭で、シャバットの準備。
掃除や、洗濯、用事しながら、料理をするので、
朝から、お料理の良いにおいが近所からして来ます。
 
止まるために、準備、忙しい。
でも一旦午後に入ったらもうあくせくせず、
のんび〜りモードです。
 
日没には、キャンドル サービス。
キドウシュ=祝福の祈り、ワインとハーラーのパン、
そして聖書箇所を読んで、歌も歌います。
10〜15分位の短いものですが、毎週毎週1度、
アバ父が言われた通り、思い出しなさいと言う原点に
戻る時間です。
そして、顔と顔を皆で合わせて、楽しいひと時。
全世界の創造主、王の王の前に皆で出る
相見える、美味しい食事とドリンクで楽しいひと時。
 
イスラエルで、これを律法と呼ぶ人は誰一人として
いません。
何で律法?聖書に神の言葉、仰せを指して”律法”と呼ぶ箇所は
実は一つも無いのです。不適切極まる翻訳で、
私達が誤解し続けている言葉。
違う考え方、教えをインプットされてしまう。
それゆえ、別の意識コンセプトを自分の中に造り出している。
 
アメリカの漫画、猫のガーフィールドが、”金曜日のために
生きている。”と言う迷台詞?の様に、この日を、
大人も子どもも心待ちにしています。
さあ今日は休む日だよ〜と言われて、憤慨する人が
いるでしょうか?
なんでお休みの日、楽しい食事、宴会、友達と会う事が
苦痛なんでしょう、律法なんでしょう?て言われてしまいます。
 
いや、神の仰せなのです。在りて在るお方の祭り、そのお方が
今日も変わらずに皆を招いている日なのです。
人ではなくて、神が招いている、在りてあるお方の日。
 
出エジプト 20:8 シャバット=安息日(=第六日の日没から
第七の日没まで)を覚えて、これを聖とせよ。

 

20:9 六日のあいだ働いてあなたのすべてのわざをせよ。

 

20:10 七日目はあなたの神、主の安息であるから、なんのわざをもしてはならない。あなたもあなたのむすこ、娘、しもべ、はしため、家畜、またあなたの門のうちにいる他国の人もそうである。

 

20:11 主は六日のうちに、天と地と海と、その中のすべてのものを造って、七日目に休まれたからである。それで主は安息日を祝福して聖とされた。

 
 
Shabbat Shalom