出エジプト 31:16 ゆえに、イスラエルの人々は安息日を覚え、永遠の契約として、代々安息日を守らなければならない
31:17 これは永遠にわたしとイスラエルの人々との間のしるしである。それは主が六日のあいだに天地を造り、七日目に休み、かつ、いこわれたからである』」。
創世記2:1こうして天と地と、その万象とが完成した。
2:2 神は第七日にその作業を終えられた。すなわち、そのすべての作業を終って第七日に休まれた。
2:3 神はその第七日を祝福して、これを聖別された。神がこの日に、そのすべての創造のわざを終って休まれたからである。
ヘブライ人イエシュア。トラーの契約の姿を生きて、世界へ伝える長子であもある、イスラエルの家族の頭。
イエスさまも祝っていた”シャバット”の晩さん。
第6日目の夕暮れにイエシュア、家族と弟子達、仲間と共に、
このエラブ シャバットの晩さんを囲んで、喜び、楽しみ、
食べて飲んでいた光景を思い浮かべてみるのです。
”シャバット”は律法ではなく、アバからの贈り物、ギフト。
私達がアバ父から与えられたのは、律法ではなく贈り物。
親は律法を与える人ではなく、知恵と守りとケアー
全ての必要を与えて下さる存在。
私達を守る、保護するための全ての教え、
全ての知恵です。全てトーヴ、神の意図通りのもの。
そして、神の意図通り=トーヴの自分を生きれるためのもの。
神の目から見る通りに見る事を始めたら、全然違う世界が広がっている事に気がつけるのです。
とまりなさい、やめなさい、自分が誰であるのかを
わたしと顔と顔を合わせて、さあ今一度確認しに
わたしの前に出ておいで。特別な日に特別な出会い方を
あなたとするから。大事な事を教えるから。さあ来なさい。
かわいいこどもたち。みなで一緒に楽しみ、喜び、
安心しなさい。わたしがあなたの神だから。保護者だから。
イエシュアが祝っていたのは、第六日目の日没から
第七日目の日没。
シャバットを、今日もこの日に祝える幸いを知るのです。
そして、このシャバットは、どの国の国籍の人も、
地上の国籍を超えて天の国籍を与えられている、一つ家族に
された”印”。一つ家族に加えられている印。
同じ一つ”ブリット”神の永遠の契約に加えられている
印なのです。
イスラエルの神の家の子らの印は、神が指定した通り。
それ以外は無いのです。一つ家族に別の印は存在しない。
出エジプトした現実。奴隷からイスラエルの神が購い出し
買い取って下さった事、シャバットに特に思い出すのです。
皆で思い出すのです。
自分が誰か、自分の隣り人が誰なのか?
あなたは”神の似姿にされている人達”神の目から自分を相手を
見る事を、再確認する日なのです。そして、ずれて自分を相手を
眺めていたら、修復、修正、仲直りする。
そして、残りの6日の間も、その事実=新しくされた人=神の似姿の人で生きる日々の練習をするのです。
字面だけを眺めるのではなくて、本気で聖書に書いてある
神の言葉通りを、信じていますか?
マジで、本気で、疑わないで。
以前の私は、本気で、神の完了の業が完全である事を
丸ごとは信じていませんでした。
本気で、イスラエルの神に購われ、救われたと
信じていませんでした。
今、購われている事実、救われている事実を受け取って信じていませんでした。
何故なら、”あなたは今も罪人”と言う、アバ父の言葉とは違う声に聞き入って、聞き続けて、それを信じ込んでいたからです。
本気でイスラエルの神の言葉を信じているのなら、もう二度と蛇の言葉を聞き続けてはならない事を知りました。
本当の自分に出会えた。神の目から見る、神の造られた本当の
自分の姿を神の鏡=言葉=トラーを通して知る。
二心とは、真実と真実ではない事を、本当の自分と
学習してしまった偽の自分を行ったり来たりする事です。
偽の自分は実は本当は存在しないのです。
なぜ?聖書にそう書いてあるからです。
葬られたから。死んだから。
イエシュアと共に永遠に葬られた以前の自分の
その記憶があるから、罪人のままの自分だと思い込んでいるだけ。その二つ自己像を行ったり来たりしながら、真実と不真実を
の言葉を聞き続けているのです。
続く