問題の元はシンプル  | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

一つ家族が、分裂したままだったら。

一階と二階と、いや別々の部屋に住んで、

別々の行動を取り続ける。

互いにバラバラな事をして、コミュニケーションも

余りなく、違う日に違う事をそれぞれがする。

夕飯や特別の日に集る事も無い、只の同居人。

互いの事を知らないまま。

 

スポーツや、音楽でも同じだと思う。

サッカーの試合で、チームメートがバラバラ。

コーチや監督の出す指示は無視して、それぞれが

それぞれの思いで、そのゲームをプレイするとしたら。

一致で強力する息ピッタリさに欠けたら、どんなに

それぞれが有能な選手でも、そのチームは勝てない。

 

オーケストラも、只1人の指揮者の指揮のもとに、同じ一つの曲を、それぞれ違う楽器で、それぞれのパートを奏でる。

でも同じ曲、同じ時、リズム、テンポ、タイミングで

ピッタリに奏でる。

それをそれぞれが勝手な時に、勝手なアレンジ加えて

演奏しては、ションフォニーを奏でられない。

 

一つ国も、一つ家族も、皆バラバラでは、

それは機能不全。

 

人類はイスラエルの神に、一体として造られた。

神の中に、一体、一つ家族として造られた。

 

福音は、一つ家族が、神のデザインされた人の姿で、一つ神の中に、同じ神の言葉に戻る事であるのに、もし世の神学が言う所の

人種により、時代により、バラバラな別の契約があるのだと

すれば、一つ家族として、それは立ち行かない、

うまく行かないと分かる。

イスラエルの神は、隔ての壁を壊したと書いてあるのに

壁を造る別々の契約や教えを教える訳が無い。

進化論の様に別の進化途中の人間がいるのだ〜と

する様な仮説と同じになってしまう。

 

聖書の中に書かれている事だけに戻れば、

神は分け隔てなく、同じ神に造られた全くなんら違いの無い

人間=それぞれがユニークであるけれど、同じ人として

造られた。

それぞれが、それぞれに神のデザイン通り、家族の中で別の

役割はあれど、生きる姿は同じ。

同じエッセンス。同じ神のトラー=インストラクション。

 

それが分かれば、聖書が始めから終わりまで一貫してぶれずに

同じ事を話している事が、見えて来るのです。

 

問題の元、根は、人間の造り出した考え。

人間の目から見る神の言葉。

神の言葉とはずれた、思想。

 

神の言葉は、今を生きる事、私達を守るためのもの。

宗教をやるためではない。

親が子に、生きる上での全てを教えている。

ただそれだけ。

それを複雑にするのが宗教。