継続的に何世紀も引き継がれている”論争”。
新しい年代、2000年以降は、イエシュアのフォロワー、
信者は、トラー=神の言葉=契約の中身の
道徳、倫理な面だけを、重視すれば良いのだ。
それだけが、新しい時代のイエシュアのフォロワーには大事で、
神の仰せとなったのだ言う教えに対する議論があるのです。
そして、他のトラーの教えは、イスラエル市民だけの教え、儀式的な側面を持ったものは、終ったとする教えを造ったのです。
だから、祭りや、シャバットも終わりだとするのです。
それらの教えは、人間の会議で決められたものです。
ニカイア会議や、1561年のBelgic Confession
または、ウエストミンスター使徒信条、その様な人間の
決め事の中で、位置づけられてしまった、
神の言葉の側面です。神の言葉がなんたるかを、人間が
会議で決めた。とても不思議です。
神の言葉=聖書の権威をまるで無視しているのですから。
1 道徳的教え(律法と呼ばれている神の言葉の本当の
ヘブライ語の意味は、神の教え、インストラクション 言葉=トラー)
2 イスラエル市民だけへの教え
3 儀式に関しての教え
トラーの中身に書かれている事を、これら3つのカテゴリーに
分けられて、クリスチャンなる異邦人達は、これらの”縛り付けの教え=律法”から解放されたのであるから、
神の言葉のある部分に対しては、全く関係ないのですと
書かれているのです。
この教えは、まさにパウロが警告していた、”隔ての壁”
イエシュアが隔ての壁を壊したとある事実と真っ向から
相反する事をしているのです。
一つ家族がバラバラな教えを生きる。
それら異邦人には関係無い律法に縛られて生きる事は
無いとその中にあります。
どこかで、聞いた台詞と同じ。
”シャバット”は、イスラエルのものであり、
それを祝う事は律法主義的なので、私達は、律法ではない日曜日礼拝をするのです。日曜日礼拝は、律法ではなく、新しい時代の神の日なのでそれをしますと宣言されていた事を
聞いて不思議に思いました。
それって聖書が根拠なのだろうかと聖書に戻り調べて見る
必要があるのです。
神のデザインされたシャバットの意味が全く見えて来ない教えだからです。そして、聖書には、シャバットは第七日目と
はっきり書いてあり、途中で変更された記録など、聖書のどこにも無いからです。
こうして、聖書に書かれている事だけを土台にして、調べて行けば、人間の作り物の教えである事が明らかに
分かってくるのです。いや、会議で決めたのですから。
元はローマ皇帝が造った教えなのです。
神のデザインされて造られた事が律法となってしまい、人間の決めた事、決めた日、人間の決め事が、神の権威より上まってしまい、それが正統的とされてしまう、矛盾だらけ。
とても不思議な、この人の解釈は、この様な先代のトラーを真っ向から否定する立場を取る、異邦人教父達により造られた使徒信条によるものであって、聖書に基づいて出て来た事ではない事が
分かります。
調べれば、はっきり事実が分かる。
調べないから、見えて来ないだけです。
聖書に戻りこれらの、教えが矛盾している事が
明らかだからです。
別けて考えられてしまっていて、この中の”2、3”に関しては、
イエシュアが来たので終わりと、人間が決めたのです。
そんな権威人に与えられているのでしょうか?神の言葉を
自由自在に仕分けして、塗り替える権威があるとしている。
しかも、トラーの中で、道徳、倫理、儀式、イスラエル市民だけの教えなどクリアカットに分かれてなどいないのです。
隔ての壁、分断思想の教えを元にするから分からなくなるだけで、神の教え=トラーは、一つ体=一つ家族に与えられた、
天の国の人の生きる姿全て丸ごとが書かれているのです。
それを、分断し、仕分け削除して行けば、神の言葉では
無くなってしまうのです。
一つ家族に戻る事も、神の福音の中心も破壊されて
しまうのです。
試しに、一度でも、聞き慣れた神学〜人が失敗したので
神はその都度、時代別に、別の契約を与えて行き、そして、時代が分断されて教えも変わった、その様な19世紀に出て来た
人間の教えを全部削除、捨てて、先入観無い頭脳で、聖書を読み直すのです。
人の教えではなく、永遠不変の神の言葉だけにフォーカスをし
永遠不変一つの神の契約である事実からぶれないで
聖書を読んで見るのです。
分ける、時代を歴史線上に考えるのは、まさにギリシャローマ思考。異邦人の思考です。異邦人思考の教育を受けたの世界の人が語る聖書観です。
ヘブライの世界、ヘブライの聖書は、永遠から全てを語ってる。
永遠の中に全ては完結されているからです。
19世紀まで、この様な分断思考の神学や、考えは存在しなかったのです。いや、ギリシャローマ思索の中には有りました。
永遠から発する、見るヘブライ思想、ヘブライ聖書思想とは相反する思考。
続く