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"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

今日第七日は、”神の暦”では、シャバット。

これは、誰が何をどう解説しようと、塗り替えようと、神の真実は永遠に揺るがないのです。

 

人間が造り出した教えイコール、神の教え、真実なのだと誤解しているだけ。

人の言い伝えなのに、神の真実なのだと本気で誤解して、

それが聖書の事実、真実だと思っているだけ。

聖書に戻り調べれば、何が神の言われた事なのか、

言われていない事なのか、分かります。

 

神の暦は永遠不変。神の仰せ、言葉、契約は何があろうと

永遠不変。人が変えているだけで。

そして、止まる日=シャバットは、”あなたの住まいに於いて”

家畜も、雇い人も全て、止まる。あなたの家に於いて祝うとある。

 

しかも、遠くまで出掛けて行かないで、とにかく、止まる。

活動も、努力も無し。

詰まり、自分と家族の関係を大事にするため。

他の事に気が散って、シャバットの意味=団らん、修復、関係を育む事その意味が台無しにならないために。

 

神の教えや、知恵を捨てる事ほど、愚かな事は無い事に

気がついて行くのです。誰がいつ神の言葉を捨てよと言われたの? 言われました。あのエデンの園の蛇の言葉。

損なわれた。飛び出た。 神の知恵を捨てた時に。

 

神は”神の知恵”を捨てるなかれと、かわいい子供達の安全のため

ずっと忠告しているだけなのに。

宗教の教え、人間の教えは、アバ父の教えを律法なんぞと

呼んでいるのです。悲しいかな。

人間の教えを生きる事こそ、まさに律法主義的な事なのに。

 

ボーンアゲイン=新しくされた=神の実態に変えられている事に気がつき、受け取り、本当に”以前の死んでいた=スイッチオフ”=ずれ人の自分ではもうない。

本当の自分を生きる事が出来る事実に移された人達は、

”神の言葉”命のパンを食べて、

生きれる様にされているのです。

 

そうでは無い場合、または自分が誰か分からない場合、

神の言葉=トラーは即座に”逆噴射”、剣の様に厳しいものに

様変わりしてしまうのです。

神のデザインと反する生き方をしたら、そうでしょう。

神のデザイン通りを生きるのが一番ピッタリなのです。

 

神に造られた人間の姿=これが神の言葉=トラーの中に

書かれているのです。

 

さて、6日目の日没から7日目の日没が、神が定めた止まる日。

この日をプロフェーン=汚すなかれと神が言われたのです。

私達のためにです。私達のまことの命が保存されるためです。

 

1週間の生き様、言動、行動、思索全てを、

考えてみる。振返ってみる。

そして、壊れた自分、壊れた家族でいる場合は、神の意図通り、

フルな意味合いを、体験するのは、困難かもしれない。

でも1人でも、神の命にされた姿を生き続ける事を

知った人が家族の中にいれば、そこから”生ける水”が流れ出す。

 

それは、分かると思うのです。

イライラ、カッカ、ガミガミ、ガサガサ、落ち着き無く、

批判的、乱暴な人がいつも隣りに居るのと、明るく、優しく、親切で、柔和な人〜エデンの人が居るのと、その家の雰囲気はまるで違うものだと分かります。

 

隣りに、生ける水をたたえた人が来れば、潤う。

荒野の渇いた地が、水で潤されれば、荒野の地の中に眠る命=種が芽吹く事が出来る。

気がつかなくても潤う。

癒される。嬉しくなる。