レビ記23章にある、神の定めの日 祭り シャヴオートを祝う | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

シャヴオートは2日間に渡る祭りです。

今年2017年は、5月30日日没から6月1日日没までです。

 

この日は、神がシナイ山で約3,300年前にトラー=婚姻契約を

モーセを通して、イスラエルとそして一緒に出エジプトした

異邦人達へ初めて、文字で刻まれた神御自身の言葉を与えた日と

重なる祭りです。

 

この日は、キャンドルを灯し、乳=神の言葉にちなみ

乳製品の食品を頂き、祭り恒例、ごちそうを食べ

祝うのです。

そして、夜を徹してトラーを読む。

10の言葉を読む。

10の言葉=十戒と呼ばれていますが、ヘブライ語の

本当の言葉は、”10の言葉” 聖書全体のお題目

タイトルです。

その10の言葉の中身がトラーの中で、解説されている。そして、聖書全体に渡り、トラーの内容が書かれて、

解説されているのです。

 

そして、シャヴオートでは、伝統的に”ルツ記”を読みます。

ルツ記。注目してみて下さい。

ルツは異邦人です。そして、ルツが同じイスラエルの神の実態を

受け取ったのは、複雑なプロセスではない。

イスラエルの神に付いて行くと言う、決意、そしてその決意の発言の一言と、そして、その後の行動、生き様だけです。

 

過ぎ越の後の49日間、最初の8日間、種無しパンを食べ、新しくされた命=復活の印の初穂を捧げ、このシャヴオーとまでの49日間、7週と、7回のシャバットの間、新しくされた人として、穂を数える週の中を過ごして、準備するのです。

 

全ては、死んだ以前の自分の脳回路離脱、切り替え。

偽物の自分で生きて来た、様々なひずみ、痛み、ズレ、

その思考回路を、離脱、癒されて、修復されるための

ものなのです。

 

出エジプト、イスラエルも共にイスラエルの間に住んでいた異邦人も神の声に応答した人達は、出エジプトした。

過ぎ越から、シャヴオートの間の7週間で、

奴隷の状態から神の子として購われて、新しい命に復活した実態、そしてその新しい人が実を付けて行く事を教えられているのです。

福音が”神の定めの日”の中に全て網羅されているのです。

何か別ものを、神の暦、定めの日に付け足す必要などない。

 

そして、この50日目、”新しくされた人達”が一つ家族として

神の前に、神の中に結ばれている事を祝う日です。

トラー=神の婚姻契約がこの日に、シナイ山で渡されたのです。

 

その日に、使徒2章で起こった出来事、トラー=神の婚姻契約が

世界へ与えられている印が天から示されたのです。

 

エルサレムから世界へ、神のトラーが運ばれて行く幕開けが

使徒2章の出来事なのです。

天からの特別な印が現れた。

風=ルアフ=霊が吹き荒れ、舌の様なものが

炎の様に別れて=これを見たヘブライ人なら、

シナイ山での出来事の再来である事が分かるのです。

シナイ山で起きた出来事、天からの同じ印が、神の家のある

都エルサレムで、神の定めの特別な日に再び下った。

神のされる特別な出来事は、いつも”神の定めの日”

モアデイムに起きている。

 

様々な原語=”人間の原語”を語らせたと書いてある。

意味不明な言葉ではなく、諸外国の人間の言葉、原語を

語った出来事なのです。

 

様々な原語を話す、全ての人達へ神の婚姻契約が存在し、

新しくされた人の実態を生きれる様にされている事。

神の中に、エデンの中に戻る、修復が世界へ運ばれる

幕開けであったのです。

 

この日は、二つのパンを神殿で捧げられる日です。

神殿が今ありませんから、それはされませんが、

この二つのパン。種無しパンではなく、今度は

種の入った2つのパンを捧げるのです。

 

最上の小麦で造られた、種入りパン。

私達の”姿”を表しているのです。

神の子にされた姿。最上の小麦と、パン種。

 

パン種=神のエッセンス、神の似姿にされた人、

神のエッセンスが、ピュアで最上な小麦の中に入れられている。

神の似姿の人にされている事がちゃんと、始めから教えられているのです。2000年以降に突然起きた出来事ではない。

何故なら、救い、購いの業は永遠の中から出て来た、

永遠の中から存在しているからです。

 

その2つは、イスラエルと異邦人の両方でワンセット。

神の家族として、神の中に居る、受け取られている、

一つ家族です。

これは、隔ての壁を打ち壊した神の完了の業を表している

ものでもあるのです。

神の言葉、聖書の事実に立つと、人が唱える”ユダヤ人だけへの教え” ”異邦人への新しい契約”なる教えが、聖書の教えではない、偽物である事は明らかに分かります。

 

一つ家族は、同じ親の元、一つの家=神の家の中に住む。

同じ神の家の仕来り、慣し、家訓、祝い日、ルールの元に

調和して、一つ頭脳で、和合して住む。

イエシュアは、隔ての壁を打ち壊し、一つの家族として、

同じ一つの神の中に戻る、修復する事を語っているからです。

それと逆の教え=ユダヤ人だけやればいい、生きればいい、

異邦人には別の道があるさと言う教えが、只の人間の仮説、

長い歴史の中で語られてしまっている、只の都市伝説である事が

クリアーになります。聖書にだけ戻り、確認すれば。

 

シャヴートは、神と人との婚姻儀式にもなぞらえます。

 

この日は、夜を徹して、10の言葉を読んだり

伝統的に、ルツ記が読まれたり、トラー=婚姻契約を

与えられた事、神の子らにされた事実を、

共に過ごして祝うのです。