シャヴオートへ向けての準備 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

神の祭りには、かならず”宴会”が付き物です。

日本でも、祭りと言えば、食べる、飲む、楽しむと

言う事は付き物です。

そして、宴会は、儀式に伴う印でもあるのです。

親しい間柄の、親しい交わりの印。

それが食卓だからです。

食べて、飲んで、楽しみ喜びを体感、体験する事を

通して、神がどんなに良いお方であるのか

私達が体験するためです。

 

そして、準備期間があります。

この準備期間も大事な学習期間なのです。

皆で、同じ事に向かって、意識を向ける。

共同作業で、神の祭りの準備する。

その中で、神の福音の中身を体験的に生きる、

お互いに参加して、話し合う、語り合う、

考える、体験する事にもなるからです。

 

使徒達は、過ぎ越のラビ イエシュア=救い主の処刑、

昇天の後、イエシュアの仰せ通り、

都エルサレムに留まりこのシャヴオートに向けて、種無しパンを食べる週、初穂を捧げる=復活の命に生きる、そしてその復活の

命が実をつける、穂を数える7週を過ごしていたのです。

 

乳と蜜。

神の言葉を”乳”となぞらえている事から、

乳製品をシャヴオートの時には、頂きます。

 

天の領域がシナイ山の頂上に降りて来た。

神が共にそこに居られて、モーセが天の領域に入った。

顔と顔を合わせて、”神”に対面した!!!

そして、神の言葉=トラー=婚姻契約、神御自ら

文字で刻んだものを受け取った。

 

神と言う存在が、人と関係を結んでいる証拠を、

文字で表して下さった。

それまで、口頭で、代々伝授してこられた、同じ婚姻契約。

全ての人が聞いて来た。

アダムとエバから始まって、ノアも、アブラハムも

同じ”トラー”を聞いて来た。

口頭伝授されたトラーを、今”出エジプト”した後、

文字で石板に書いた、ブリット。

契約の板を受け取った、その出来事がシャヴオートの中心です。

レビ記23章15−22

 

この章を読むと分かります。

”神が直接、神の御口から、モーセに全てを語っている事実!”

考えてみるそれがどんな事を意味するのか。

 

神が直々に、神の御口から直接告げた言葉を、人はどうして、否定するのでしょう?終ったと言うのでしょう?

全人類に向けての同じ永遠不変の一つの契約なのに。

神の言葉に賞味期限があるとするのでしょう?

 

終った話、契約、イスラエルだけの生きる指針、

それら全部人間の勝手な仮説、神学です。

神の言葉の真実の前に人の教えは跡形もなく、消えて行く。

過ぎ去って行く。

神の言葉だけが、永遠に堅く立つと書いてある通り。

 

二つのパンを、今度は、パン種を入れて焼いて捧げる。

”過ぎ越”では、パン種を入れないマッツアを食べた、

そして7日の間、マッツアを食べて、”新しくされている人”

ハメッツ=罪が完全に削ぎ落とされた人にされている事実を

神は、7日間と言う最大限の完了の強調で人に教えるために

7日の間、マッツアを食べなさいとしたのです。

 

そして、今度は、パン種を入れた二つのパンを捧げる。

このパン種とは、”神御自身のエッセンス”です。

それらが、最上級の小麦粉の中に入れられて

二つのパンを焼く。

イスラエルと異邦人=隔ての壁なく、両方が

一つの家族とされている印でもあります。

イスラエルも異邦人無しには、シャローム、完全な姿には

なれない、異邦人もイスラエルなしには、一つ神の家族には

なれない。

 

神の言葉の中だけを探って行くと、人の教えがズレている事が

見えて来るのです。

イスラエルの神は、イスラエルだけに、そして異邦人には別の

教えや、契約を与えていない事がクリアーに書かれています。

そして、シナイ山で与えられた契約=ブリットは、中身は

永遠不変です。

 

これを、変わったとする人間の教えは、消え去らなくては

ならないのです。神の言葉の事実=永遠不変と言う事が

聖書に書かれている事と照らし合わせれば、変わった契約、

新しい教えと言う仮説は、聖書の事実では

ない事は明らかです。

 

この人間の仮説、都市伝説=偽物の教えを本気で信じて行けば、ズレた場所、別の門命の門=羊の門=イエシュア=生けるトラーを通り、神の中に入る関係に入れなくなるのです。

 

今年2017年、5月30日日没からが、シャヴオート。

過ぎ越=第一の月 ニサンの月の15日目=過ぎ越から数えての50日目の神の定めの日。

イスラエルの神には、独自の暦があるのです。

それが本当の聖書の暦なのです。そしてそれが本物の

イスラエルの神の定めの日。