西洋神学の様に、ヘブライ人達の聖書の教えに関しての議論は
神学に関しての議論や論争ではないのです。
神の言葉は、聖書に書かれている通りですから
そこに書かれている事を、歪曲しないで
原典聖書、ヘブライ語聖書を読むだけです。
西洋宗教、その神学は、神の言葉を付けたし、削除して
書かれている内容を変えていますから、
人間の教えが混入した上での、人造神学が生まれて来るのです。
ヘブライの世界では、神の言葉を実際、日常生活の中で
”どう生きるのか?”と言う”ハラハー”
中心なのです。
そのハラハーが神の意図通りピッタリなのか、または、
極端にズレている、逸脱しているのか?
だからイエシュアが、
言おう。”とそのずれた”ハラハー”=
正していたのです。
そんな箇所を読んで、”トラー”は終ったのだと、イエシュアが
話している。過去に聞いていたトラーが今終って、新しい教え、
違う事をイエシュアが教えているのだ〜などと、これまた聖書を
知らない新参者の異邦人頭脳で聖書を勝手に解説していたと
言う事です。
即座に勘違いの教えを鵜呑みのしていた過去の私。
それは、全然聖書の解釈が違うでしょうと
聖書だけに戻る時、クリアーに真実が見えます。
神の言葉は永遠不変。
大体神が、人間の様に、御自身の口から発言した言葉=トラー=
続出してしまうのです。
これが、問題の大きな根なのです。
これは、また別のトピックなので今は書きませんが、
パリサイ派は、当時世間では、尊敬と信頼されていた人々だった。弱い者の味方、庶民の味方、健全な社会を造り上げる人達で大半を占めていたのです。
詰まり、イエシュアが言われているのは、パリサイ派、
教えの事を話しているのです。
今イエシュアが来られたとしたら、世間の主流の教えである
ずれた解説している全てを、同じ様に、”あなたは〜と言い続けているが、わたしは〜と言おう。”と正しいトラーの解説を
される事でしょう。西洋宗教や神学の教えを正される事でしょう。
特にトラーは律法、イスラエルに対してだけの教え〜神の言葉は変わった〜 時代ごとに変身〜なんて教えに対して、その様にイエシュアが言われるでしょう
パリサイ派、サドカイ派、彼らのトラーの解釈の100%
でも、ある部分の解釈が神の意図からズレていた、その事を
”パリサイ、サドカイのパン種”とイエシュアが話されて
いるのです。
今もイエシュアの御名を宣言する様々な宗教があり、
その世界でも、たくさんの宗派、
それぞれの解釈がそれぞれ違ってしまい、
出エジプトした後の人を、また人間の教えと言う奴隷の牢獄に
閉じ込めてしまう。
”イエスの御名”を使い、まるで別の教え、
別物の新興宗教の様な教えまである。
神の言葉に、人間の教えの手を加えてしまえば、
ある人は、気がついている。ある人は全く聖書とは違う事を
考えて、信じている。
でもそれが神の言葉なのだと疑わずに生きて居る。
それぞれが、それぞれの方向に走って行ったとある通り、
神の言葉に自分創作の考えを少しでも混ぜれば、
それが、歴史の中、長い間世界の中で、ずっと起こり続けているのです。
トラーの教え、イコール、サドカイ派、パリサイ派=古い、悪い、終ったものなんて屯でもない誤解をしてはならないのです。
イエシュアが教えて居たのは、トラー、預言書、諸書です。
イエシュアが生きて示したのは、トラー、預言書、諸書
丸ごとです。
イェシュア御自身が”トラー、預言書、諸書”わたしそのものと
何度も言われたでしょう。
人の教えや、神の言葉をちょっと変形させたり、
その意識がとても危ないのです。
続く