サドカイ派 パリサイ派 パン種の教えとは? | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

西洋神学の様に、ヘブライ人達の聖書の教えに関しての議論は

神学に関しての議論や論争ではないのです。

神の言葉は、聖書に書かれている通りですから

そこに書かれている事を、歪曲しないで

原典聖書、ヘブライ語聖書を読むだけです。

 

西洋宗教、その神学は、神の言葉を付けたし、削除して

書かれている内容を変えていますから、

人間の教えが混入した上での、人造神学が生まれて来るのです。

 

ヘブライの世界では、神の言葉を実際、日常生活の中で

”どう生きるのか?”と言う”ハラハー”の理解が論点の

中心なのです。

そのハラハーが神の意図通りピッタリなのか、または、

極端にズレている、逸脱しているのか?

 

だからイエシュアが、神の言葉とはズレた教えをしていた当時の人々に、”あなたがたは、何何〜と聞いているが、わたしは〜と

言おう。”とそのずれた”ハラハー”=神の言葉をどう生きるかの理解を正しいトラーの解釈、神の目から見た通りの意図に

正していたのです。

 

そんな箇所を読んで、”トラー”は終ったのだと、イエシュアが

話している。過去に聞いていたトラーが今終って、新しい教え、

違う事をイエシュアが教えているのだ〜などと、これまた聖書を

知らない新参者の異邦人頭脳で聖書を勝手に解説していたと

言う事です。

 

即座に勘違いの教えを鵜呑みのしていた過去の私。

それは、全然聖書の解釈が違うでしょうと

聖書だけに戻る時、クリアーに真実が見えます。

神の言葉は永遠不変。

 

大体神が、人間の様に、御自身の口から発言した言葉=トラー=神の言葉を訂正する、否定する、変えると言うその異邦人的発想、根本的にズレた考え、誤りをまず一掃、人の教え=パン種一掃しない限り、神の言葉の捉え方が、どこまでもズレて神学と言う人間の目から見て考えた教えが止まる所なく

続出してしまうのです。

 

これが、問題の大きな根なのです。

 

これは、また別のトピックなので今は書きませんが、

パリサイ派は、当時世間では、尊敬と信頼されていた人々だった。弱い者の味方、庶民の味方、健全な社会を造り上げる人達で大半を占めていたのです。

 

詰まり、イエシュアが言われているのは、パリサイ派、サドカイ派の中のその中での、一部のラビ達のズレたトラーの捉え方、

教えの事を話しているのです。

 

今イエシュアが来られたとしたら、世間の主流の教えである

ずれた解説している全てを、同じ様に、”あなたは〜と言い続けているが、わたしは〜と言おう。”と正しいトラーの解説を

される事でしょう。西洋宗教や神学の教えを正される事でしょう。

 

特にトラーは律法、イスラエルに対してだけの教え〜神の言葉は変わった〜 時代ごとに変身〜なんて教えに対して、その様にイエシュアが言われるでしょう

 

パリサイ派、サドカイ派、彼らのトラーの解釈の100%が全てズレていた訳ではないのです。

でも、ある部分の解釈が神の意図からズレていた、その事を

”パリサイ、サドカイのパン種”とイエシュアが話されて

いるのです。

 

今もイエシュアの御名を宣言する様々な宗教があり、同じイスラエルの神を信じているはずなのに、人造の宗教の教えと混ざり同化している。

その世界でも、たくさんの宗派、派閥、グループに幾万と枝分かれ、分裂している。

 

それぞれの解釈がそれぞれ違ってしまい、そして同じ名でグループを形成していてる人の中でも、ある人達は、屯でもなくズレた方向に行ってしまっている。

 

出エジプトした後の人を、また人間の教えと言う奴隷の牢獄に

閉じ込めてしまう。

 

”イエスの御名”を使い、まるで別の教え、その中身は全く

別物の新興宗教の様な教えまである。

 

神の言葉に、人間の教えの手を加えてしまえば、即座に宗教に様変わりして行きます。

 

ある人は、気がついている。ある人は全く聖書とは違う事を

考えて、信じている。

でもそれが神の言葉なのだと疑わずに生きて居る。

それぞれが、それぞれの方向に走って行ったとある通り、

神の言葉に自分創作の考えを少しでも混ぜれば、本当に神の意図から必ずズレてしまうのです。

それが、歴史の中、長い間世界の中で、ずっと起こり続けているのです。

 

トラーの教え、イコール、サドカイ派、パリサイ派=古い、悪い、終ったものなんて屯でもない誤解をしてはならないのです。

イエシュアが教えて居たのは、トラー、預言書、諸書です。

イエシュアが生きて示したのは、トラー、預言書、諸書

丸ごとです。

イェシュア御自身が”トラー、預言書、諸書”わたしそのものと

何度も言われたでしょう。

 

人の教えや、神の言葉をちょっと変形させたり、意味を削いだりする教えを、神の言葉に入れると言う過ちを繰り返し続けているのです。変えたって、ちょっとくらい良いじゃないと思う。

その意識がとても危ないのです。

 

 

続く