聖書の一番始めにある様に、蛇は”騙すもの”です。
どうして、蛇は人を騙したいのでしょうか?
サタンは、人間に”自分が誰か?神の似姿の人にされている事実”を決して知らせたくないのです。
だから”人間が誰か?”という本当のID、実態を、はぐらかす
教えをばらまき続けているのです。
私達の身分、この高貴な尊い存在、神の似姿に造られている存在、そして永遠の契約の愛で、決して裏切られない愛で、
愛されている存在である事を、死ぬほど妬んでいるのです。
実は、サタンに出来る事は、嘘をささやき、
人を迷わせる、騙す、神の言葉を疑わせる事だけなのです。
サタンが騙し続ける、人が騙され続ける。
自分が今、神の似姿にされている事実を知る事が無いまま
生きて行ってしまう。だから、その騙しに、嘘の教えに耳を傾けるのをやめればいいのです。
そのサタンの策略に、協力したいなんて思わない。
何をさせられているのか、気がつけば。
結局、自分を人を破壊してしまう、神の言葉ではない、
そのサタンの教えを口から出すなかれです。
神の言葉とは、ずれた教えを、地を這う動物の声に
讃称、復唱し続ければ、必ず自分が誰だか
分からなくなって行きます。
神の目から見る、自分の本当の姿が分からなくなって行きます。
神のなされた完全な業を疑い始めます。
信仰が揺らいで行くのです。
だから、一生懸命”偶像礼拝的”に頑張りと努力と自分の行いで
神に認められようとしてしまう事が起きるのです。
新しくされている事実は、将来手に入れるものと、神の言葉の真実、完了の業の事実を曲げて行きます。
その典型的教えはこれです。
”あなたは今でも罪人”
その教えを復唱、発言する場合、結局”罪人”らしくしか
一生、生きれなくなってしまいます。全く逆効果。
神の目から見た、神の完了の業で取戻されている、本当の自己像を知らずして、本当の自己を生きれないからです。
人は自分の信じる通りに、信じた自己像にピッタリ
沿ってしか生きられないからです。
罪人のままですか?嘘でしょうそれ。嘘。
ズレ=パン種と、マッツア=小麦粉と、水だけで出来ているものは完全に別ものなのです。
毎週のシャバットで、過ぎ越の祭りで、シャヴオートで、
仮庵で、神の定めの日を祝う事をすれば、福音の意味、
新しくされている人である事を、はっきりと体験的に
知る事が出来るのです。
全ては、”神の完了の業”新しくされている人で、今生きれる事実を教えているからです。それを生きないから分からないだけ。
新しい命に移っている。死から命へ移っている。
主と共に死んで、主と共に甦った命にされている。
口先で復唱するだけ、言うだけでなく、神の宣言、神のされた完了の業の事実を本気で信じて生きれば分かる。
マッツア=要らないもの全てが取り除かれた姿にされているのに、パン種=ハメッツを取り込み続ける選択をして、マッツアの中に、要らないものを取入れ続けて、今も生きている、そしてパン種で膨れ上がった、神の似姿とは別の姿を、生き続けていると言い換えて見れば良いのです。
完了、終ったと、神が言われているのに。
永遠の中から神の完了の業は終っている、
完了、完結しているのに。
今天の現実が、あなたの腹の中に到来していると
書いてあるのに。
神の完了の業、神の言葉を妨害、邪魔する教えは、
本当にそこら中に転がっていますし、
日常見聞きしているはずです。
人間の教えを聞き続ければ、自分はまだ”罪人”のままだと騙されて行きます。
神の言われる言葉=神の完了の事実、
神の目から見る通りではなく、神の言葉を宣言しないで、
サタンの言いなり、
サタンの声をずっと復唱し続ける事に、
何の意味があるのでしょう?それこそ最大な不信仰。
神のされた業に対しての最大の不遜を示す態度。
あなたは命を選びなさいと言われたのは、神です。
サタンの声を選び取る事は、死を選ぶという事なのです。
それこそ脳回路の枝が死別の枝を生み出す作業です。
悪い地=ラー=神の意図とはズレた、別、
神の内側の外側、圏外に落ちた種になってしまう。
命を生み出せないまま生きてしまう。
死んだ自分の頭脳で、神の言葉、声ではない事を、
聞き続けている事に気がついてないと言う事。
続く