神に退けられる人間の教え 完了の業を否定する教え | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

聖書の一番始めにある様に、蛇は”騙すもの”です。

どうして、蛇は人を騙したいのでしょうか?

 

サタンは、人間に”自分が誰か?神の似姿の人にされている事実”を決して知らせたくないのです。

 

だから”人間が誰か?”という本当のID、実態を、はぐらかす

教えをばらまき続けているのです。

 

私達の身分、この高貴な尊い存在、神の似姿に造られている存在、そして永遠の契約の愛で、決して裏切られない愛で、

愛されている存在である事を、死ぬほど妬んでいるのです。

 

実は、サタンに出来る事は、嘘をささやき、

人を迷わせる、騙す、神の言葉を疑わせる事だけなのです。

 

サタンが騙し続ける、人が騙され続ける。

自分が今、神の似姿にされている事実を知る事が無いまま

生きて行ってしまう。だから、その騙しに、嘘の教えに耳を傾けるのをやめればいいのです。

 

そのサタンの策略に、協力したいなんて思わない。

何をさせられているのか、気がつけば。

 

結局、自分を人を破壊してしまう、神の言葉ではない、

そのサタンの教えを口から出すなかれです。

 

神の言葉とは、ずれた教えを、地を這う動物の声に

讃称、復唱し続ければ、必ず自分が誰だか

分からなくなって行きます。

神の目から見る、自分の本当の姿が分からなくなって行きます。

 

神のなされた完全な業を疑い始めます。

信仰が揺らいで行くのです。

 

だから、一生懸命”偶像礼拝的”に頑張りと努力と自分の行いで

神に認められようとしてしまう事が起きるのです。

新しくされている事実は、将来手に入れるものと、神の言葉の真実、完了の業の事実を曲げて行きます。

 

その典型的教えはこれです。

”あなたは今でも罪人”

その教えを復唱、発言する場合、結局”罪人”らしくしか

一生、生きれなくなってしまいます。全く逆効果。

神の目から見た、神の完了の業で取戻されている、本当の自己像を知らずして、本当の自己を生きれないからです。

 

人は自分の信じる通りに、信じた自己像にピッタリ

沿ってしか生きられないからです。

 

罪人のままですか?嘘でしょうそれ。嘘。

ズレ=パン種と、マッツア=小麦粉と、水だけで出来ているものは完全に別ものなのです。

 

毎週のシャバットで、過ぎ越の祭りで、シャヴオートで、

仮庵で、神の定めの日を祝う事をすれば、福音の意味、

新しくされている人である事を、はっきりと体験的に

知る事が出来るのです。

全ては、”神の完了の業”新しくされている人で、今生きれる事実を教えているからです。それを生きないから分からないだけ。

 

新しい命に移っている。死から命へ移っている。

主と共に死んで、主と共に甦った命にされている。

口先で復唱するだけ、言うだけでなく、神の宣言、神のされた完了の業の事実を本気で信じて生きれば分かる。

 

マッツア=要らないもの全てが取り除かれた姿にされているのに、パン種=ハメッツを取り込み続ける選択をして、マッツアの中に、要らないものを取入れ続けて、今も生きている、そしてパン種で膨れ上がった、神の似姿とは別の姿を、生き続けていると言い換えて見れば良いのです。

 

完了、終ったと、神が言われているのに。

永遠の中から神の完了の業は終っている、

完了、完結しているのに。

今天の現実が、あなたの腹の中に到来していると

書いてあるのに。

 

神の完了の業、神の言葉を妨害、邪魔する教えは、

本当にそこら中に転がっていますし、

日常見聞きしているはずです。

 

人間の教えを聞き続ければ、自分はまだ”罪人”のままだと騙されて行きます。

 

神の言われる言葉=神の完了の事実、

神の目から見る通りではなく、神の言葉を宣言しないで、

サタンの言いなり、

サタンの声をずっと復唱し続ける事に、

何の意味があるのでしょう?それこそ最大な不信仰。

神のされた業に対しての最大の不遜を示す態度。

 

あなたは命を選びなさいと言われたのは、神です。

サタンの声を選び取る事は、死を選ぶという事なのです。

 

それこそ脳回路の枝が死別の枝を生み出す作業です。

悪い地=ラー=神の意図とはズレた、別、

神の内側の外側、圏外に落ちた種になってしまう。

命を生み出せないまま生きてしまう。

死んだ自分の頭脳で、神の言葉、声ではない事を、

聞き続けている事に気がついてないと言う事。

 

続く