昨日の日没で、過ぎ越とそれに続く種無しパンを
食べる7日が終りました。
預言者、イエシュア、使徒達、イエシュア、ヘブライ人、
イエシュアを信じる異邦人達は、イエシュアの昇天後も、このレビ記23章をずっと変わらずに祝っていた事実が
書かれているのです。
聖書の記述を読めばクリアーに書かれていますから、
事実確認と正しい情報を理解出来ます。
そして、今は、シャヴオーとに向けて、オメルを
数える7週なのです。
今年は5月30日から6月1日です。
もちろん全ての人達が農作業をしていないし、エルサレムでは神殿も崩壊した状態ですから、神の家=ハ バイトの祭壇に
捧げられる、持ち込まれる事はありませんが、
イエシュアが再び来られた時、エルサレムの神殿で
再びコバーンが捧げられる日がまた来る。
全世界の人々がレビ記23章を祝う様に、回復、修復されると
書いてあります。聖書に書かれている事実だけをまず知る。
ゼカリヤ14章。
2017年も神が生きてるから、神の言葉は同じく生きています。
神=言葉だからです。
神の暦=季節=モアデイムを司るために太陽、月、星を造られたと、聖書に書いてある通り、それは永遠不変。
神の暦、季節、モアデイムは永遠不変。
過ぎ越の晩さんは1日だけ、2日に渡り祝う人達も
居ますが、過ぎ越の夜はたった一晩です。
その夜に突如脱エジプトしたのです。
神の言葉、知恵はまことに深く、賢く、私達神に造られた人間を生返らせる力に満ちている体験をしました。
出エジプト12章
神の言葉を信じない人には、神の言葉のシンプルさが、バカバカしく愚かに聞こえども、救いを受ける人達、神の言葉通りを信じて、受け取り神の言葉通りを生きる事を選択する人達に、神は御自身の力、栄光、実態を現して下さると書いてあります。
そして、神との未知の領域の遭遇、世界へ入り続けるをずっと体験して行くのです。
すごい。。。
神の言葉の真実か否かを、見分ける方法は簡単です。
聖書だけに戻る事をし続ければ良いのです。
聖書の中だけで事実を確かめる。絶対に人の教えを
根拠、基準、神の言葉と同等に取り扱う事をしない。
あらゆる所に、人間の教えの解説の中に、神の言葉と異なる
”パン種”=偽物の姿に膨れ上がる教えが潜んでいます。
あらゆる教えの事実確認は、神の言葉に照らし合わせる時、嘘、不真実、所どころ真実で、所々人間の他の宗教の教えとの混ぜもの創作の教えである事がはっきり見分けがつきます。
神の言葉を揺るがさなければ、分かる。
神の言葉を変わったものだとしなければ真実が分かる。
神の言葉を絶対に変えないで読めばはっきり分かるからです。
寸法がデタラメな定規で長さを測っても、壊れた秤で
重さを計っても、真実は出て来ないし、そのデータは無意味、無駄なのと同じ。変形した神の言葉や、人の教えを基準にするとはまさにそう言う事だからです。
分からなくても、聖書に書いてある事実を曲げない事。
その通りを読んで見る。まず何が書いてあるのかを知る。
神の言葉が永遠不変と言われている事を曲げない。
神の言葉は永遠不変と言う神の言葉を土台にしない限り、
結局ズレて行く、真実からズレて行く、神の言葉の内側の外側に飛び出たまま、様々な教えに変形させてしまう。
この基本中の基本=神の言葉は絶対、永遠不変と言う事実に
戻らない限り、結局ズレて行くし、宗教の教えに変身して
何がなんだか分からない迷路に入り込みます。
そして、よく読めば分かります。聖書のページの全面に
渡り同じ福音、テーマが書かれている事に気がつきます。
隔ての壁は、神の側では存在しない。二つの契約は神の側では存在しない、二つの別々の家族を神は造っていない。
別々の家族が別々の場所、同じ家の一階と二階に住んで、
交流しない、別々の行動をする、別々の祝い日を祝うなんて
神の側では存在しない。
同じ一つの永遠不変の神の契約、シャヴオートで与えられた
同じ契約、同じ永遠不変の購い、救い、福音。
どの時代にも神の言葉は変化無しだから。
永遠の中に存在する神、神の言葉だから。
神は時間、時空に左右されないお方だから。
永遠の中に”全ての業”が先に完了、存在しているからです。
物事を”西洋ローマヘレニズム、元はエジプトの
思考=歴史線上で考える考え方を、脱、出、エジプトしないと
ならないのです。
永遠はどこからでもアクセス出来るから。
円です。どの場所でも神の中にアクセス出来る。
私達は、永遠から神の中に造られて、神の中に居る
存在だからです。
続く