まことの命が守られるため 安全のために聖書だけに戻る | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

これから書いて行く記事は、聖書が一つの書、

永遠不変の神の言葉であるのに、何故分断された二つの書、

二つの福音、二つの教え、二つの契約

二つの顔色がある神=怒りと愛vs裁きと恵みの神などの

様に誤解されて行ってしまったのか?その思想が

何故出て来たのか、その原因、経緯を書いて行こうと

思っています。

 

そして、誤解して読まれて解説されている、

聖書の箇所を、本来の意図に戻して、

正確に見て行きたいと思います。

 

何故こんな事を書く必要があるのか?

神の言葉だけに戻らないなら、どうしても色々な

真実が見えて来ないからです。そして、神の言葉を

塗り替えたら、人間の教えに変身し、宗教になり、

その宗教の教えを聞き続けたら、必ず破壊されるからです。

 

変わってない神の言葉=聖書=トラーなのに、

変わった教え、古い無用、終ったとされてしまっているその、

原因、理由が分かれば、誤解がクリアーに、解けるからです。

 

そして、エゼキエル8章を解説しようとしているのですが、

その付随でどんどん違う情報をUpして行く事になった

ので、長い記事は分かりにくいと思うので、

切りながらUpしています。

 

一つだけ願う事というか、祈りながらなのですが、

誰かの批判をしたいためにとか、誰かの教えにケチを

付けたり、批評したいので記事を書きたいのでは

ないのです。

 

たとえ長い年月語り継がれて来た、有名な人の教えで

あったとしても、それが、聖書に無い教え、イスラエルの

神に属するものではないなら、聖書の語る所のものでなければ、

それらは全部丸ごと一切止めないとならないからなのです。

 

神が言う通り、私達がもし神の言葉を塗り替えてしまったら、

塗り替えた教えを人に伝えるなら、自分も他者にも

必ず破壊が訪れるからです。そして、神が警告しているから。

 

”わたしの顔の上に別の顔を置いてはならない”と

10の言葉の冒頭で厳重忠告、警告しているからです。

 

そして、誰かが”宗教の教え”に今日も苦しんでいるからです。

 

人は誰でも、神を慕い求める様に、造られているから

内側の本当の自分は”まことの創造主”を喘ぎ求めている。

イスラエルの神と深〜い関係に安息したい。他者と

神のデザイン通りの関係を持ちたい。でもそれがどうしたら

出来るのか分からないで悩み続ける。

神を慕い求めていても、違うイスラエルの神像を擦り

込まれたらそれは、苦しくなる。宗教の教え=文字は人を

殺すとある通り。

 

自分が拒絶反応を示しているのは、宗教の教えに対して

であって、”イスラエルの神”に対してではない事に

気がつく必要があるからです。

 

その原因が分かれば、解放されるからです。

 

そして、エゼキエル8章にある様に、知らないまま

神の宮の中にいて、別の神像”タンムズ”を必死に拝んでいた

9年前の私を今思い浮かべて、居るからです。

宗教=人間の教えから解放される自由さ〜。神の言葉の

中だけに生きる喜び。

 

本当の事を知った上で、自分は何を信じさせられているのか?

誰でも本当の事を知る権利があるはずです。

 

一方的な教えだけを聞き続けるのはフェアーではない。

誰でも本当の情報を提供されて、その上で聖書に戻り、

自分で考える権利はあるのです。

神の言葉は変わった、神はイスラエルと異邦人へは違う教えを

する。そんな一方的な人間の意見だけではなくて、

そうではない神の言葉の真意を意図通りを、伝えなくては。

そして、あなたは所詮罪人。

これらの、教えから解放されない限り、罠にハマったまま

もがくからです。

 

人間の教えが神の顔=言葉を覆い隠して、そう教えられて

しまっている現実。

しかも、教えている人達も、とても純粋にそれが真実だと

思い信じている。人を騙そうなんて思い、熱心にやっている

人は殆ど居ないと思います。

でも聖書とは違う教え=神の言葉は変わったと言う

教えが世界を駆け巡り、語り継がれて行く。

 

トラーは終ったと。それって、神は死んだと言うのと全く

等しい教えです。神=言葉と書いてある通りだから。

神の言葉でこの世界は、人類は造られたのに。

そして神の言葉の真実ではない事が、

代々語り継がれてしまう。

 

だから、聖書だけに戻る必要があるのです。

聖書だけに戻ろう!と言って、それにもし反対する

意識があるとするなら、それこそ危険です。

他の何か付け足す。神の言葉以外に行く、傾くなら。

 

イエシュア=トラーを否定する霊はどこから

来ているのか誰でも分かるはずなのです。

イスラエルの神を信じる人ならば。

 

何故神の純粋な言葉=人の教えではなくて、神の言葉に

戻る事を反対するのでしょう?それってあのエデンの

蛇の声に他なりません。

 

ですので、この記事は、本当に神の言われる事だけを

知りたい、追求したい。宗教ではなくて、オリジナルの聖書に

書かれた本当の神の言葉、その意図=本当の事を知りたい。

神の言葉、神=言葉=神を何より愛する人達が読んで

下さったら良いと願っています。

 

オリジナルの神の言葉=それはそれは麗しく、美しく、

私達の全存在を生かす、生返らせる、照らす、

まことの光そのものです。