昨日の記事の”動画化”されたバージョンを教えて下さった
方がいらっしゃいました。ありがとうございます。
2時間近い解説映画ですが、文字で読むよりも、
映像と共に読み上げて下さったものを聞く方がより一層理解が
深まる内容でした。
下の動画クリックすると出て来ます。
下は、その記事版です。
所々の解説や、使われている用語がふさわしくありませんが、
それらを直して見ると分かります。
恐ろしい、おっかない、人のあら探しをしながら、
睨みつけているイスラエルの神ではない。
優しいアバ父が、私達をなにより大事な存在として
居て下さる。
セグラー宝の様な存在の子供達が、安全に守られるために、
語りかけて下さっている事知って、考えてみて下さい。
律法を、トラーと直し、服従と言う言葉を、神の言葉を
聞くと直す。
そして、聖書には私達が教えられて来た様な、
”ローマカトリック、西洋宗教 キリスト教会”と言う教え、
概念が存在しないのです。書かれてもいません。
だから、一旦”キリスト教”と言う言葉も消して、
聖書を読んでみて下さい。
ユダヤ教なるものも、聖書には書かれていない。
ユダヤ教、これもトラーに人間のルール、トラーをどう
生きるかという人造解釈をふんだんに盛り込み、
トラーに混ぜ込んだ教えです。この人造”口頭トラー”を
イエシュアが戒めていた。トラーを否定なんて
トラー御自身であるお方がする分けないです。
イエシュアは、神であり人である存在。
神に造られた人の姿=トラーを地上で生きて人々に
表すために来られたのに。
否定するなら、では何故来たの?そんな教え辻褄合わない事
誰でも考えれば分かって来ます。
本当は、全ての人は”神の言葉”だけに、留まり、
神の言葉だけを食べて生きる様に造られている。
宗教の教えを食べて、宗教活動するために生きて
居るのではないのです。
今日この日、今を、”主の似姿”で、フルに天の現実を
この地上に居乍ら、安全に喜び、楽しい、
神の中で溢れて生きる。それだけのため。
私は、これが9年前は分からなかった。
実の所、宗教活動するために、呼び出されたのかと
思ってた。
人を地獄行きから免れさせるために?
誰かにイエシュアを知ってもらいたいなら、自分が
イエシュアの命に溢れて生きられる事を自ら表したら良い。
神の似姿である事を知って。それを生きれる事を知って生きる。
生きる。日常の中で。そして、変な教えを取入れない、
神の言葉を食べて生きる事を知った人は、絶対に違うと
言う事が、周りに分かるでしょう。あんな風に〜
なりたくな〜い。宗教活動に熱心で、生活の全てが宗教活動に
没頭しなくてはならなくて、家庭がおろそか、
自分が苦しくなっている人達を見て、周りの人が
そう発言しているなら、それはイスラエルの神の姿
そのものに、誤解を与えてしまう。
神を信じる=宗教活動する、しなくてはならないと
誤解させてしまう、思わせてしまうから。
ぜひそれらの先入観を、全部リセット、削除白紙に戻す。
“イスラエルの神の子ら=民”創造のはじめから存在する
教会と訳されていますが、その人間の教えの概念の教会
ではなく、カハール=神に呼び出された人々。
1つの大家族。全人類。
神の婚姻契約=トラーの中に留まり生きる人達=残りの民。
神の民=イスラエルの神の家の子ら=一つの家族と
聖書の通りに直して読んで見ると分かります。
そして、聖書の中には、1世紀には、”ローマカトリック
西洋宗教”は無かったのです。もちろん、ローマカトリック
から枝分かれしたキリスト教会なるものも、存在して
居なかった。ルターもカトリックで、その後にキリスト教
なるものが出て来た事実から考えたら誰でも理解出来る
事です。それをローマカトリックを通り越して、
今の様な教えが古代に、いや、聖書の中に、
存在していたとするから、分からなくなる。
救い=イエシュア=イエシュア ハ マシアを知って、
信じていた人達は最初から居るのです。
トラーに全部書かれている。
アブラハム、イサク、ヤコブ、モーセ、ヨシュア、
様々な預言者。皆知っていた、メシアを。
メシアに直接会っていた人もいる。
私達よりもよっぽど深く知っていたのです。
特殊な人だけが、メシアを知っていたのではない。
ここが、誤解している点だと思います。
そして、どの時代にも、神は人の内側に住まれていた
事がちゃんとトラーに書かれているのです。
同じ人間だから、同じニーズだから。
神は対応を変えない。救いも永遠からはじめからある。
はじめのはじめに、光よ有れ!とある通り。
続く