異教の神々の教え神の言葉に混ぜられた経緯=動画編 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

昨日の記事の”動画化”されたバージョンを教えて下さった

方がいらっしゃいました。ありがとうございます。

2時間近い解説映画ですが、文字で読むよりも、

映像と共に読み上げて下さったものを聞く方がより一層理解が

深まる内容でした。

 

下の動画クリックすると出て来ます。

動画666−獣の数字とその刻印

 

下は、その記事版です。

異教の神々の教えが”聖書”の中に取入れられ

それが聖書にある教えだと浸透してしまった

形跡と事実

 

所々の解説や、使われている用語がふさわしくありませんが、

それらを直して見ると分かります。

 

恐ろしい、おっかない、人のあら探しをしながら、

睨みつけているイスラエルの神ではない。

優しいアバ父が、私達をなにより大事な存在として

居て下さる。

セグラー宝の様な存在の子供達が、安全に守られるために、

語りかけて下さっている事知って、考えてみて下さい。

 

律法を、トラーと直し、服従と言う言葉を、神の言葉を

聞くと直す。

そして、聖書には私達が教えられて来た様な、

”ローマカトリック、西洋宗教 キリスト教会”と言う教え、

概念が存在しないのです。書かれてもいません。

 

だから、一旦”キリスト教”と言う言葉も消して、

聖書を読んでみて下さい。

ユダヤ教なるものも、聖書には書かれていない。

ユダヤ教、これもトラーに人間のルール、トラーをどう

生きるかという人造解釈をふんだんに盛り込み、

トラーに混ぜ込んだ教えです。この人造”口頭トラー”を

イエシュアが戒めていた。トラーを否定なんて

トラー御自身であるお方がする分けないです。

 

イエシュアは、神であり人である存在。

神に造られた人の姿=トラーを地上で生きて人々に

表すために来られたのに。

否定するなら、では何故来たの?そんな教え辻褄合わない事

誰でも考えれば分かって来ます。

 

本当は、全ての人は”神の言葉”だけに、留まり、

神の言葉だけを食べて生きる様に造られている。

宗教の教えを食べて、宗教活動するために生きて

居るのではないのです。

 

今日この日、今を、”主の似姿”で、フルに天の現実を

この地上に居乍ら、安全に喜び、楽しい、

神の中で溢れて生きる。それだけのため。

私は、これが9年前は分からなかった。

実の所、宗教活動するために、呼び出されたのかと

思ってた。

人を地獄行きから免れさせるために?

 

誰かにイエシュアを知ってもらいたいなら、自分が

イエシュアの命に溢れて生きられる事を自ら表したら良い。

神の似姿である事を知って。それを生きれる事を知って生きる。

 

生きる。日常の中で。そして、変な教えを取入れない、

神の言葉を食べて生きる事を知った人は、絶対に違うと

言う事が、周りに分かるでしょう。あんな風に〜

なりたくな〜い。宗教活動に熱心で、生活の全てが宗教活動に

没頭しなくてはならなくて、家庭がおろそか、

自分が苦しくなっている人達を見て、周りの人が

そう発言しているなら、それはイスラエルの神の姿

そのものに、誤解を与えてしまう。

神を信じる=宗教活動する、しなくてはならないと

誤解させてしまう、思わせてしまうから。

 

 

ぜひそれらの先入観を、全部リセット、削除白紙に戻す。

“イスラエルの神の子ら=民”創造のはじめから存在する

教会と訳されていますが、その人間の教えの概念の教会

ではなく、カハール=神に呼び出された人々。

1つの大家族。全人類。

神の婚姻契約=トラーの中に留まり生きる人達=残りの民。

神の民=イスラエルの神の家の子ら=一つの家族と

聖書の通りに直して読んで見ると分かります。

 

そして、聖書の中には、1世紀には、”ローマカトリック

西洋宗教”は無かったのです。もちろん、ローマカトリック

から枝分かれしたキリスト教会なるものも、存在して

居なかった。ルターもカトリックで、その後にキリスト教

なるものが出て来た事実から考えたら誰でも理解出来る

事です。それをローマカトリックを通り越して、

今の様な教えが古代に、いや、聖書の中に、

存在していたとするから、分からなくなる。

 

救い=イエシュア=イエシュア ハ マシアを知って、

信じていた人達は最初から居るのです。

トラーに全部書かれている。

アブラハム、イサク、ヤコブ、モーセ、ヨシュア、

様々な預言者。皆知っていた、メシアを。

メシアに直接会っていた人もいる。

私達よりもよっぽど深く知っていたのです。

特殊な人だけが、メシアを知っていたのではない。

ここが、誤解している点だと思います。

そして、どの時代にも、神は人の内側に住まれていた

事がちゃんとトラーに書かれているのです。

同じ人間だから、同じニーズだから。

神は対応を変えない。救いも永遠からはじめからある。

はじめのはじめに、光よ有れ!とある通り。

 

 

続く