人の造り出した祭りと神のデザインした祭り | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

前回の記事の途中ですが、世界的に浸透してしまった

お祭りの日が来たので、別記事を書いてみます。

 

世間は、異教の神々の教えや祭りを簡単に受け入れるものだ

なと思います。

10月31日はハロウイーン。

ちまたでは早くからこの準備、お店も商売があるもので、

食べ物から、衣装、アクセサリー、飾り付けなどなど

たくさんの商品が街中に出回っています。

あのオレンジ色やら黒、そして、かわいらしい衣装から

毒々しい変身衣装まで、ありとあらゆるものが街に

溢れ返っています。

大人も子どもも、皆変装を楽しんでいる。

学校や職場でもハロウイーン。

 

以前は、ハロウイーンてアメリカだけがやるもんだと思って

居ましたが、今や世界中どこでもやっているんですね。

びっくりです。

その浸透の早さは、超スピード級。

 

”仮庵”の祭りが終って思ったのですが、聖書にある

”神の定めの日”は、本当に独特な祭り、祝い日だなと

思いました。

 

神の意図=世界が神の子らの印を見て、イスラエルの神が

どんなお方であるのか知る=婚姻契約の中に入れられて

いる印=それが、生きて祝う、神の定めの日だからです。

そして、それは永遠不変。婚姻指輪が取り去られないのと

同じく、婚姻契約の中に入れられている印は取り去ら

れないからです。

 

イスラエルの神、神のオリジナルのデザイン、性質が特異性

があり、世界で際立つ、目立つ印、とても特殊。

誰も、神の祝いの日を変形出来ない。

 

何故か?何の混ぜ物の教えが入らない、イスラエルの神

の定めたデザインした純粋な、また”特異な”世界に

同じ類いがない”特殊”な祝い日=その祝い日の中身全部で

福音の全てを網羅しているからです。

 

そして、イスラエルの国全体が祝う。

国中が止まる。シャバットで、一年に渡る”モアデイム”で

国全体で祝う祭り。

こんな祝いの日、祭りは他の国ではしないでしょう。

聖書の中に書かれている、神の定めの時を、国全体が

祝うなんて所は、イスラエル以外無いでしょう。

 

誰も、付けたしして他の祝いに変形する形跡がありません。

内容、意味が分からないからですね。

聖書に、神御自身がこの祭りをしなさいと書かれているのに、

殆どする人も居ない。イスラエル以外。

 

今やネット情報がありますから、調べて見れば、ハロイーンの

起源を知る事が出来ます。

おぞましい”悪魔崇拝”のルーツ。

ちょっと文字では書きたくない事が、10月31日、

世界中の中でされてしまう日です。

 

楽しそうな仮装行列の裏にある本当の意味。それを知らない

まま行なう。

 

それ以外にも、知らないままに、実は祭りの祝いの本当の

ルーツはおぞましい異教の神々の祝いの日であったりするもの

があります。

でも変形されて、混ぜられて、元が何だか分からないけれど、

異教の神々の仕来りや教えを混ぜて、それを執り行う。

 

太陽神ミトラ信仰がローマに入り、帝国の守護神

アングロサクソンの多産を象徴する北欧神話の

春の女神エオストレの祭りや、これらの、異教の神々の

おぞましい祝いの日も同等に、神の言葉と混ぜ物されて

すり替えられた祝いの日として浸透して行ったその背景を

考えると、真に安全なのは、聖書に書いてある事だけが、

神の指定した”祝いの日””祭りの日” ミクラ コデッシュ=

聖なる集会の日=である事がはっきり見えて来ます。

 

知らない間に、”姦淫”と言う言葉でかかれた事を

行なってしまうから。

混ぜ物、イスラエルの神のものではないものに

ついていってしまうから。この身に知らない間に

別物の衣をまとってしまうから。

 

ビーフですよと言われて、本当は汚れた食べ物

ワニを食べさせられてしまう様な気持ち悪さ。

 

人の作り出した特別な日、祝い日と、神が定めた日が

はっきりと境界線を敷かれている事が見えて来るのです。

 

誰も、余計な教えを付け足して世間が変形出来ない

”神の定めの日” その日に”イスラエルの神の子ら”は、

呼び出されている。

そして、それは、混ぜ物されない純粋、ピュアな

神の福音のみで指示されている内容。

福音の中身を生きて体験、喜び楽しみ創造主の御前に

皆で出る日。

 

安全、安心、主の前に認められている、子供達が

安全に喜び楽しみ特別な出会いを神を中心にする日。。

 

分かります。