のんびり、ゆったり生活する事が出来る人達は、
そんなには多くない。
何の予定もなく、時間がたくさんあり、のんびり、
ゆったりしていても、頭の中が様々な
考え、思いでせわしなく、忙しい事もある。
一日を、ずっと”主の思い”とピッタリ、主の言葉だけを
思いめぐらせているのか?それとも、不安、不信、
思い煩い、恐れを思い巡らしているのか?
アバ父の教えは、全て私達の”まことの命”が
守られるためのもの。
宗教をやるためではない。
自分の正しさをアピールして、
どれだけズレている人なのか主の前に述べて、なだめて、
許しをこい続けて、神に認められるために
アプローチする事でもない。
”元々の姿”=神の似姿の人が取戻されている事実を、
そう感じなくても、主がそう言われるから信仰により
受け取り、信じて、それを実際に生きる。
”聞く”=シャマー。
これが何より大事な事だと、主が言われる。
神の言葉を神の意図通りに聞く。シャマー。
従うなんて言葉は聖書に一度も出て来ない。
主は”聞きなさい!”と言われているだけ。
聞いたら、神の言葉に応答、反応する。
理解したら、主の言われた通りを生きれるから。
止まって。
自分の中で空回りしている独り言を止めて、
主の言われる事に耳を澄ませる。
やめる。
死んだ自分で生きて居る部分に気がついて、それを即座に
止める。二度と繰り返さない。
本当の自分じゃない生き方を、選択し続けない。
無意味な努力をしている部分に気がついて、やめる。
主の姿に属さない全てを、それに気がついて、
とめる、やめる。
シャバットは、オリジナルの姿、原点に戻る日。
修正、修復、回復する日。
本当の自分に気がついて。同時に本当の相手の姿を知る。
頭の中が余計な事でせわしなく、行動も思索も
日々の中でズレていたら、
”止まる”。
そして神の元に、神の中に戻る。
神の言われる事をそのまま、その通りに聞く。
お互いの声を、思いをそのまま聞く。
お互いの存在を喜ぶ。祝う。命を祝う。
ラハイン=命へ乾杯!と、ワイングラスを乾杯する。
喜び、命、祝福を与えられている事を皆で思い出す。
命は、誰によって支えられているのか。
私達は誰なのか?
神の御座の元に集まり、祝う日。
主が定められた、永遠の印。
イスラエルの神との関係が永遠に存在し、契約に
基づき破られる事の無い永遠の愛の関係=アハヴァ
の保証に入れられている印として、生きて祝う日。
原点に戻る日。
そして、主の完了の業から1週間をまた生きる事を、
スタートする。
Shabbat Shalom
