”イエシュア”の名により、そして十字架を突きつけられ
無理矢理改宗を迫られ、拒否すれば殺された迫害と言う
悲しい痛々しい長い不幸な歴史を背負って来た、
その教祖様は、迫害を先導する
リーダーなのだと思っている。
ユダヤ人は全ての人達が“ホロコースト”迫害を経験している。
自分が直接ではなくても、家族の誰かがホロコースト
体験をしているのです。本当にリアルに彼らの体の記憶の
中に染み付いてそれに苦しめられている人達。
改宗せよと無理矢理責められる。
自分だったらどう思うか?と置き換えてみます。
”無理矢理信ぜよ〜” そんな迫り方”アバ”主がされる
わけないのです。
ジェントリ〜 常に穏やかに優しく忍耐深く
気がつくまで一緒に待って歩んでくれている神なのに。
そして、そのホロコーストに火を注ぐ書を書いたのが
なんと晩年の”マルチン ルター”。
以前はマルチン ルターは只のプロテスタントのヒーローの
如く祭り上げられた偉大な人物だと思っていましたが、
彼の晩年は”ユダヤ人ヘート” 反ユダヤ主義に翻って
彼らユダヤ人を悪魔だ 豚だとその書に書いて、ユダヤ人を
迫害する事があたかも神の御旨であると書いている。
それがホロコーストに拍車をかけたなどとは、知る
余地もありませんでした。
人は、自分の言葉、教えにより他者を間違った方向へ
先導して行くと言う事に常に注意を払い、気をつけないと
ならないのだと分って来るのです。
これもズレていますけれど、信ぜよと言われた内容が
”トラー、預言書、諸書”=イエシュア御自身とイエシュアが
言われた通り、その内容が新しい教えに変えられてしまい、
タナックとマッチせずに、少しでも違えば、イスラエルの神
ではないと思うのは当然なのです。
聖書=トラー 預言書、諸書に書かれているものとは
違うから同じイスラエルの神だと認識出来ない。
自分の親が全く別の顔に整形されてしまい、声も違えば誰か
分からなくなるのと同じです。
だから聖書をどの箇所も、一点一画も変えてはならないと
言われたのです。
聖書は永遠不変、創世記から黙示録までどこを取っても
相反する矛盾ない一貫して同じ不変の神の言葉、福音なのに
今の信じる者の世界では、聖書をそう取り扱われていない
事実に目を向ける必要があるのです。
聖書を改ざんすれば、別物に変身して主のものでは
無くなってしまい、人々に神の言葉の通りが認識されない
ままになってしまうからです。これは、”タブナクル”神の家
または、会見の天幕を作る時の事細かな指示一点一画も
ぶれない”指示”をした事からはっきり分かります。
違うものを造り出せば、神の姿が現れ出る事が
出来ないからです。
神の言われた通りに! 神の言われた事からズレないで
再現する、語る、表す、造りなさい。
自分の影が自分にぴったりくっついて 同じ様に動く様に、
天の現実を地に映し出す。
それには、主の言われた事を、一点一画も変えては駄目だと
言う事が分かって来るのです。
人間の教えにより、色塗られてしまった
”偽のイエシュア”の顔、人物像。これでは、分からない。
イスラエルの人達には別ものとしか見えない。
ユダヤ人、トラーを知っている人達が、欠け目なく、
聖書の最後の三分の1をただ読むだけで、そこに描かれて
いるのは間違いなく、”タナック”の中に書かれている
同じ”イエシュア ハ マシア”である事が分かる
はずなのです。
何故なら、彼らの頭の中には、西洋宗教の教えに色塗られた
固定概念が始めから無いから真実がマッチするのです。
一体全体どうなっているのか。
悪が満る時、主の裁きと解放が訪れる。
今世界が、錯乱している。
本当の命、本当の神、本当の自分が分からずに
渇望しているから、それを求めて彷徨い出る。
でも、どんな事があっても主が主権を握られている事に
目を止める必要があると言う事。
そして、主を信じる1人ひとりが、主の真実にぴったり
沿わない限りそして、その命を生きる事が何なのか
知らない限り、結局、自分を他者を”主の命”から遠くへ
遠くへ、遠くへ、命を引きはがしてしまうと言う事なのだと
分かります。