永遠不変の”愛”の印  シャバットを生きる | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

ローマ14:5

また、ある人は、この日がかの日よりも大事であると考え、
ほかの人はどの日も同じだと考える。各自はそれぞれ
心の中で、確信を持っておるべきである。

パウロは会った事のない”ローマ”に居るイエシュアを信じる
人達=異邦人とユダヤ人がミックスされたその人達へ
手紙を書き送って居ます。

パウロ The letter Writer パウロの書簡は、
パリサイ派の教えから来たものであるのです。
パウロが書簡に書いている様々な”トラー”からの適用
日常生活を生きる上での適用=ハラハーは、
実は”パリサイ派”の教え=パリサイ派の聖書の
適用例=ハラハーを書いている、それを私達が
読んでいる事に気がつく必要があります。

これは、別のトピックなので別の記事に書きたい内容
ですが、まず大前提をずらさないで見てみると
色々塗り替えられた教えの衣がはがれて、実態が
現れ出て来ます。

パウロは誰ですか?
ヘブライ人でタルソス生まれ。
エルサレムにて、ラバン ガマリエルの膝元で
トラーを学んだパリサイ派出身の今はやりの日本語で言うと
コテコテのヘブライの中のヘブライの子。
そしてパウロ自身が自分の事を
パリサイの中のパリサイの子と自分を呼んで人々にも
宣言しています。

その意味は、”トラー丸ごとヘブライ人として、
主の命、契約の命に生きる者”と宣言しているのです。

私達の耳にはその意味が余りピンと来なくても、
ヘブライ人ならパウロが言おうとしている事柄が
最大限に強調=フォルテフォルテッシモで伝わるのです。

疑う余地ない、ヘブライの神のトラーに生きる人と言う意味。

ナジル人の誓いを神殿で果たし(使徒21章)
そして イスラエルの議会の前でパウロは
自分自身を、100%トラーに生きる者(使徒22-23
章)と大宣言しているではないですか?

どう言う意味かを知って、その事実を捉えれば
聖書が永遠不変に変わらない事、一貫して
同じ事を語っている事に気がつく事が出来ます。

そこからズレないで、これを読んで見るのです。
パウロこそ、一点一画も神の言葉=トラーの中身を
改ざん、削除、付け足しして教える事など10000%無い。

この箇所は、どの日も同じ、どの日も大事、トラーの教えが
変わって今や、どの日もその人の心情、信条に従って
大事にすれば良いのだと勘違いされている箇所です。

パウロは、神の定めの時=モアデイムを指して語って
いるのではない事に、注目しないと事実から
ズレてしまいます。

神が永遠に定めた代々に渡りガードされるべき日と
神が言っている事を、パウロが否定するとするなら、
パウロ自身の宣言、ヘブライのヘブライ人、
パリサイのパリサイの子ではなく、嘘偽りを平気で言う
パウロと言う事になってしまうでしょう。
有り得ないのです。


メシア ハ マシアが昇天した後は、
太陽は今や西から昇って東に沈みますか?
神のデザインは永遠不変なのです。
一週間は7日ではなくなり10日になりましたか?
一日は35時間に変更されましたか?
何も変わってません。

どの日も同じと言う下りは、シャバット、モアデイムを指して
=どの日も同じだと言っていない事を、ぜひ捉える、
確認すべきなのです。

”全ての食べ物”はきよいとあれば、全ての食べ物=神の指定
した人間の食べ物の中と言うのは、ヘブライ人なら普通に
分かる事なのです。

全ての食べ物=神の指定した人間の食ベ物=偶像に捧げ
られようと、異教徒の手でさばかれようと、どんな経緯で
自分の元に来たとしても関係ありませんと言う事です。

異教の神々の地 デアスポラに生きるユダヤ人とそして、
異邦人達は、その国の暦があるのです。

だから、私達で言えば、憲法記念日とか天皇誕生日とか
または、何何記念日とか、家族の記念日とかありとあらゆる
”日”があり、それぞれがそれぞれの基準でその日を大事にする
し、ある人に取っては、そんなの意味ないと思う。

我が子の大学の卒業式に出るために、仕事休むの?
なんて批判されるかも。
ある人に取ってはある事柄、記念日がとっても大事。

それらは、それぞれの基準で大事だと思うなら大事。
ある記念日は、異教の神々のルーツがあり、崇拝の日に
なると思うから、それがお休みだからどうしよう~なんて
思わないで、エンジョイすれば良い。

そう言う意味ない事で、言い争うなんて的外れ。
誰かがどの日を大事にしていても、それを批判するべからずと
言う事が、ローマ14章での、パウロの論点なのです。
神のデザイン、仰せが変化したなんて話ではない。

神の暦の日=定めの日=シャバットに始まる 一年に渡る
モアデイムが変更されてどの日も同じ、人の中で
どれが大事か吟味される事が重要なのだと言う
話ではないのです。


シャバットを中心とする、神の定めの時=モアデイム
それらは、神がなんと言われていますか?

”永遠にシュモー ガードし、生きる様に定められた”と
主御自身の口からラインマーカー、ちゃんと赤線で
”重要”!と全ての人に分かるごとく言われた
神が定められている大事な日!
神の子 花嫁、婚姻関係を結んでいる”印”としての
永遠の記念日だからです。

続く

Shabbat Shalom