イエスさまの使われている言葉に注目すると分かりますが、
パリサイ派の人々の中で使われている言葉を使って
居ます。
そして、パリサイ派の中にも、その中で様々な種類の
グループの人々が居たのです。
キリスト教の世界にも、色々なグループがあるでしょう。
十把一絡げに出来ない事は、誰でも分かると思うのです。
同じグループの人でも、同じ事を考え、行動しては居ない。
殆どのパリサイ派の人に対して、イエスさまは何の異議もない
問題ないとしていたのです。尊敬に値する人々、そして
トラーを主の意図通りに教え生き居ている人達。
でも、聖書に登場する、イエスさまと議論している
パリサイ派の人々はその中の”ずれた人達”
自分の身に置き換えて考えてみると分かるでしょう。
自分達のグループの中にも、大変ずれた人、主の似姿で
生きてない人、違う考えをしている人達は居るでしょう。
中には世間的に見ても、明らかな犯罪まで犯す人さえいる。
そう捉えれば、容易に理解出来ると思います。
しかも、当時最も尊敬され人望の厚いグループ=パリサイ派。
尊敬されると言う事は、尊敬に値する人達、生き様、実質が
ある人達ではないと尊敬されないと言う事は誰でも
分かると思うのです。
ヒレール、ガマリエル大先生の元で学んでいた人達は、
当時尊敬される人望の厚い”パリサイ派”であったのです。
当時の人なら、”パリサイ派”尊敬されている人達と
分かる。
そしてイエスさまと議論しているのは、その中のズレた人
達だったと分かる。
でも、現代の異邦人がそれを読んだ場合、
情報が無いので、”パリサイ派”=悪人、偽善者、律法主義
の代名詞と化して、そう言うレッテルを張ってしまい、
それが真実だとお互いに2000年近くに渡り語り続け、
よってパリサイ派は諸悪の根源、悪の代名詞みたいに
使われる様になったと言う事です。
情報の欠如が生み出す、様々な誤解を解いた上で
聖書を読む必要があるのです。
つまり、私達には確かな手引き、導き手 教師が
必要であると言う事は明らかなのです。
Find your self a teacherです。
間違った事を教える教師から教われば、
真実が何か分からなくなって行く。
真実を教えてくれる教師に出会えば、
真実な道に導かれて行く。
導く人が居なくてはどうして分かりえましょう?とある通り。
イスラエルはその役割を与えられたのに、ミッションに
失敗している悲しさを思うのです。
命を生み出したくても、生み出せない状態にある
イスラエルの現状。
でも、残りの民を主が置かれているのです。
人は、主の言葉を主の意図通りに聞けば、理解して、
主の様に考え、主の世界がどんどん見えて来る様に
造られているからです。
では、使徒の続きに移りたいと思います。
続く