イエスさまが直接言われた トラーを信じられない人はイエスも信じられないと ヨハネ 5:47 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

イエスさまは、二心の無い”イスラエルの神”
だから、聖書で言われた通りを、今も語られる。

トラーを破棄、削除(部分的にでも)しましたと宣言
する人達に、こう言われるでしょうね。

モーセ(トラー)を信じられないなら、わたしの言う事も
信じられないであろう。

ヨハネ5:47
しかし、 あなたがたがモーセの書を信じないのであれば、
どうしてわたしのことばを信じるでしょう。」


わたしの言葉を信じられない=モーセの書も信じられない。
モーセの書を信じられない=わたし=イエシュアを
信じられない。(イエシュア=本当のイスラエルの神の
実態を信じられない事になる。)
その通りになってしまうでしょう。
婚姻契約を捨てる人に言われたイエスさまの言葉は永遠の
重さがある。

イエスさまがそう言われた言葉が、聖書にそう書いてある。
何も変わらない神の言葉に照らし合わせて考える。

神の言葉は、神の言葉によりのみ定義されるべきものです。

人が自由に生きる 羽ばたくには、主の意図通り
デザイン通りを生きる事が出来るには、”一つの方法” 
”一つの道”しかないのです。
主も言われたでしょう。
”わたしを通してでなければ、誰も父のもとに来る事が
出来ない”ヨハネ14:6

これ、天国地獄の話と”地獄”行き教えを教えられて来た、
脳回路の枝では、てっきり地獄に落ちるか天国行きの話、
そう思ってしまっていた箇所ですが。

しかも、私達が考えている様な”地獄”と言う概念は
聖書に書かれていない。
考えて行くと、いかに自分の先入観、異教の神々の国の
文化、教え、教育の中で培って来た、固定概念で
ヘブライのイスラエルの神の世界の聖書を読んでいるのかに
気がついてくのです。

ゲヘナ=谷 
プラス、トラー、預言書、諸書には
一度も”地獄”なる言葉自体=ものが書かれていない。
ヨナの書に一度=腹の中とあるその箇所だけ。

預言者の忠告、警告は”地獄行きになるぞ~”ではない。
”契約”の命に戻れ!そうしなければ、自分を他者を破壊する
事になる、”まことの命” 神の似姿で生きる命を今
生き損ねてしまう!この世の面から消される。
敵が侵入して来て殺される、艱難が襲うと言われたのです。
それが神から託された託宣、言葉、預言者のメッセージ。

婚姻契約を捨てて、花婿の顔から自分の顔を他に向けるなら、
主の意図通りの命に生きる領域、関係=神の中=エデン=
喜びの中に戻っている実態を得る事が出来ない、
顔と顔を合わせる”その本来の関係に入る事が出来ない”
と言う事です。これ、”安息”に入れないとある
ヘブル4章1節の箇所と繋がります。

”安息”=ナファーシュ=主と顔と顔を合わせる、主のデザイン
通りの関係の中に入る事。


主の真理=この婚姻契約の命の中で主と顔と顔を
合わせる関係の中以外にはそれを得る事が出来ない。
それが神のデザインだからです。
車が水では走れない、ガソリン以外では走れない。
デザインとは反する事をすると、不具合、正常に機能出来ない。
それぞれが、デザイン通りに沿ってピッタリラインアップ
する時100%主の造られたデザイン通りを、フル機能出来る。

違う事を一生懸命、考え続け、自分に唱え続け、他者にも伝え
続け、やり続けるから、分からなくなる、機能出来なくなる。
違う事=神の言われる以外の事=人間の教え=宗教を生きる
から疲れる。

人間の造り出した教えは、人を縛り付けるから、
窮屈です。負えないくびき満載。

異教の神々の国に生まれ育ち、何代にも染み渡っている
その気がつかないでも浸透している”イスラエルの神の家”の
文化とは違う教え、慣し、習慣、行動、生活の細部の
生き様 etc etc etc。だから神の国の人の姿を生きると
言われたその内容に、違和感感じているだけなのです。

はじめからそれが人の生き様だと教えられ続ければ、
違和感など湧かない。

プラス主の仰せは奥が深いけれど、本当シンプル。
子どもでも分かる。全ては生きるため、
主のデザイン通り、喜び、愛 栄光に溢れて
日々を関係の中で育み生きる。それだけ。
宗教をする事などではないのです。
生きる事=キリスト=トラー=婚姻契約の姿を生きると
書かれている通りです。

神の言葉が永遠不変と書かれているのに、わたしは
どうして長い間、その矛盾=変わると言う教えと
変わらない神と言われる神の言葉の違いに、
気づく事が出来なかったのだろう?
聖書に書いてあるのに目の前に。
先入観とは、鉄の様に堅い壁だと分かります。

続く