今は”主の定めの時” 新しい命の中に呼び出された人達 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

シャブオート。
ソロモン王も言った、あなたは今自分の人生のどの季節を
今生きて居るのか知る必要がある。
今何時?”今が何の季節 シーズン”?
そして、今日は”シャブオート” 素晴らしいシャブオートの
特別な時を迎えているのです。

記事に書いて来ましたが、クリスチャンの世界では、
”ペンテコステ”。でも、今年は大幅にその時がユダや暦とは
ズレている西洋宗教のペンテコステはもう過ぎた事に
なっていますが、ユダヤ暦では”今”この時がペンテコステです。

使徒2章に繋がる箇所で世界でも知られている”モアデイム”
ですね。
ギリシャ語で50。
でも、この”ペンテコステ”が話の最初ではない事は分かります。
”主の救い購い”の旅路が始まってから50日目と言う意味。
では、50日前には何があったのですか?

皆さんはペンテコステを祝いましたか。
では、その50日目前の”過ぎ越”は祝いましたか?

イエスさまも言われました。
”過ぎ越”が毎年来る度に、代々に渡り 思い出して。

”マッツア”と、3杯目のブドウ酒=”購いの杯=セーダーの
晩餐”の中で頂く3杯目のワイン
(ブドウジュースではありません。過ぎ越の時期は春。
ブドウの収穫期ではない=依ってブドウジュースなるものは
存在出来ない時期です。そして儀式には、ブドウ酒=
祝福の印=契約の印が伴うからです。)
を取る時皆で思い出す。これが本当の”聖餐式”です。

”新しい契約”=主の命を頂いた人、エレミヤ31章の
”互いに主を知ろう”と言わなくて良い人達で構成される
再更新された”モーセの契約” 主の死と命を告げらせる
出来事を思い出してと言われたのは他ならぬ、イエスさま
なのです。

”過ぎ越”は、一年の中でのハイライトのシーズンでも
あるのです。
人々が”主の約束の中”に歩む印でもあるのです。

ペンテコステは、”過ぎ越”の次の目的地です。
これは、”過ぎ越”で始めないと辿り着かない目的地で
あるのです。
スタートが無くて、いきなり目的地に辿り付かない。

“旅路”の第一日目が”過ぎ越”です。
”自由”への扉へ、主の救い購いへ入る季節の始まりが
”過ぎ越”なのです。
私達はどの時代にあっても、どこの国に生まれても
”奴隷”として押しつぶされていたのですから。
本当の自分を失ったまま生きていた=奴隷時代。

全ての人が漏れなく体験していた、この世の”奴隷”としての
抑圧そこから、解放、購い出されると言う体験をした
季節なのです。

エジプトの地からの”デリバランス”=解放は、3300年前に
イスラエルの国民と少数の異邦人に起こった出来事ですが、
”シャブオート”を今祝うだけでなく、あの”出エジプト”を
何代も何代も何代にもさかのぼり、体験するものです。
聖書を読む時、この神の定めの日に、その場所に遡り、
共に追体験するのです。自分の身に起こった事として。

それぞれの”出エジプト”
奴隷の家での束縛から、解放された最初の記憶を思い起こす。
最初の”過ぎ越”から、奴隷の家からの解放の旅が
始まったのです。
“子羊の血”を鴨居に塗る。
その家の人達は、”安全に守られた”事。

主の救いの中に”住まう”体験が始まる。過ぎ越で
始まり”主の中に生きる自由”への旅を開始する。

続く