”ユダヤ教”と言えども、古代のものと、今とでは全く中身が
違うそうです。詰まり、この”人の負えないくびき”にある通り、
ラビ=人間の教えが幾重にも付け足されていて、
今はトラーの純粋な中身を知らない人達。何を学んでいるかと
言えば、”タルムード”だそうです。
そして、多くのイスラエルの人は、その厳格な縛り付け、
厳しいラビの教えに”辟易”=嫌悪を抱いているそうです。
だから、西洋宗教,トラーを否定する教えでも飛びつく。
とにかくラビ達の教えが、嫌だから他の物なら何で良いと
思うらしいです。残念で悲しい事です。
ラビ解釈の所謂、ラビ産物の神学を教えられている。
人間の教えの解釈=詰まり神学ですよね。それを
学ぶから、純粋な神の言葉の意味が失われて行くと
言う図式です。
イスラエル=地の塩=契約の命を継ぐ、保存する人達も
その中身を知らない危機にあると言う=み言葉を聞けない
飢饉の中に陥っていると言う実態です。
そして、様々なグループ。メシアニックジューと言うグループも
人間の教えがふんだんに混ぜられていて2階建て構造。
その中でも千差万別色々なグループ、思想があるそうです。
ちなみに私自身はどのグループの宗教にも属しては居ません。
只只純粋に”神の言葉” オリジナルの聖書に書かれた
神の言葉が永遠不変であり、1つの言葉であり、一つの神=
イスラエルの神=イエシュアを信じているそれだけです。
神の言葉の本当の中身が知りたい
だけ。只只それだけです。
もう人の教えとか、混ぜ物された変化した
教え=宗教は、こりごり~。。。
神の教えは人を生かす、文字=人間の教えは人を殺す。
嘘を食べると、本当の自分が死んでしまうから。
神の言葉ではないなら、似ている様でも違う事、それは
真実ではないと分かれば、目から鱗だからです。
あるメシアニックのグループも異邦人なんて歓迎ではない。
異邦人とユダヤ人は、根本的に違うと思って居る人達もいる。
今でも契約は”ユダヤ人”だけのものと思っている人もいる。
この内容は細かいのですが、とにかく同じ契約に入れられ
ているその受け継ぐ祝福が同等と思っていない人も大勢います。
イエシュアを信じていても。
そして、どこまで純粋に福音の中身を理解しているか
分からない。
世界にはぼちぼち=”自分は神に義”とされている=
新しい人を発見している人がいる。
聖書にそう書かれている真実に目が開かれるからですね。
でも、その新しい人の姿=神のデザイン=神の似姿の人の姿
=イエシュア=トラーの中身に書かれているのです。
トラーの中身を知らないと、その新しい人オリジナルの人
間の実態、生き様が分からないと言う事なのです。
そこです。本当に。
シャローム=欠けがない姿=神のデザインの全てを知って
生きる。部分取りでは、崩れて行くのですね。
後、こんなグループもあるそうです。
異邦人達をユダヤ人のグループに入れたくない。
それで、今度は”異邦人”達に別のミッションを与える。
それに駆り立てて、結局異邦人達を追い出す。
あなたたたちは、”異邦人”に律法を教えなさい。
それこそ、”律法主義的聖書の捉え方をしている教え”です。
何何をしないあなた達は、神の怒りを買いますよ!と言う
アプローチ。
そうしておけば、彼らを自分達のグループに入れなくても
良い。つまりミッションに駆り出す。
そして、そのアプローチが悲しい。
”脅し”です。偽のイスラエルの神像を伝えてしまう。
あなた達は”神を怒らせている” トラーを守ってないから。
”ライオンが怖い顔で吠えている”そんなビデオなどを見せて、
トラーを捨てているあなたは、神の怒りの火が襲うごとく
そんな恐怖のアプローチだそうです。悲しいですね。
イスラエルの神の真実、御顔をゆがめて人に伝えてしまう。
プラス、自分達だけが本当の事を知っていると言う
自己顕示欲、いやある意味不健全な”優越感に捉えられている”
傾向の教えなどなど。
牽制、恐怖政治、威圧、また 主の性質ではない
それらのアプローチの仕方を見れば分かります。
内容が何であるのか以前に、その伝え方がズレている。
主に属さない不快な”言葉”使いの数々と、主に属さない
コミュニケーション上のズレたマナー、態度
アプローチ。
不快感を与える、人を脅す、怯えさせる教え、やり方は
主に属するものではないのです。
実を見て木を知る如くに。
私達が神の言葉を知る=生きるため。神のデザインされた世界、
神のデザインされた人間の姿、神のデザインされた通りの
神との関係、他者との関係。それが家族、コミュニテイ、
そして大きくは国です。主の姿で、主の意図踊りで治められる
国=これは主が再び来られるまで無いですね。でも個人が
今”天の国=現実があなたの腹に到来している”それを生きる事が
出来る。その姿を生きるための、主の保護ガード=トラー。
結局宗教が生み出されてしまうと言う事になってしまうのです。
一筋縄にはいかない、複雑な異邦人達とユダヤ人達の関係
隔ての壁がずっとある事を理解すると見えて来ます。
それも無理ないのです。使徒15章のエルサレム会議の背景でも
分かりますが、ユダヤ人の世界=トラーを生きる人達に取って、
異教の神々の文化にどっぷり浸かり、感覚的にも
心情、信条的にも”神の言葉”を揺るがさないと言う
事が分からない異邦人達 汚れた行いに身を染めても
平気でいる人達と、関われない、関わりたくないと
言うそう言う意識です。
日本人でも分かるでしょう。
”えた ひにん”こんな言葉があるでしょう。
部落差別やある特定の外国人に対しての偏見、人種差別。
これは、そう教えられて来たし、そう思っているからと
言う事があるでしょう。
プラス、文化が違うと言う事もあるでしょう。
全くそれなのです。
でも、ユダヤ人の身になったら分かります。
”神の家”の仕来りが分からない異邦人。
神の言葉、仰せを荒らす人々。
土足で家に上がり込み、神の禁じている、汚れた食べもの平気で
口にして、異教の神々の神殿にもずっと関わりながら
それが”神の目”から見たら、汚らわしい事だと気がつかない。
何故?トラーの中身を知らないからです。
それを土台にこの続きを読んで頂くとより分り易いかなと
思います。
続く