シャバットをガードする事を誰にも批判されるなかれ  コロサイ2:16 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

コロサイ2:16に繋がる箇所ですが、
シャバットで止まるなんて事するヘブライ人達は、
異邦人達にどう言われていたのでしょう?
”この怠け者~”です。休むなんて不届きものだ~!

彼ら異邦人には、人に家畜に休みを与えるなんて
”コンセプト”ゼロ、 全く無い。人間が神にどのように
デザインされているか、分かって無い シャバットが
分からないからですね。

死ぬまで働かせる事をしていたのです。
これが、分かると、何故” 月 日 祭り 食べもの” 
”トラーの教えをガードして生きている事”を誰にも、
批判されるなかれと、コロサイの人達にパウロが何故
言ったのか理解出来るでしょう。

トラーの教えを知らない、コロサイ人=異邦人達に
天の国の神の家の仕来りを批判されるなかれと書いて
あるのでしょう。

私達は逆を読んでいるのです。

ユダヤ人からは、異邦人がトラーをガードして生きても、
何も批判されないでしょう。
これらは、トラーの教えだから。

トラーの教えを捨て、批判するのは、誰ですか?
異邦人達です。今もそうです。古代と同じ。


律法主義だ~ 終った教え、ユダヤ人達だけの教えだよと
異邦人は神の永遠の契約の印を、捨てているから。
その人達の目には、トラーを生きる人は=異物。
自分達の文化、基準にそぐわない人達となるわけです。

パウロは、ヘブライ人の中のヘブライ人なのです。
地の塩、世の光=しかも使徒です。
そのパウロが”契約”の印を生きる事を、ないがしろにし
軽く見る事を人に教えているなんて発想=異邦人の
発想だと分かって来ます。
決して有り得ないから。パウロが何者なのかを
本当に知らないとどこまでも”新しい宗教”造り出した
人=パウロ=と言う嘘が世界中に語り継がれる
根がここにある事が分かります。

聖書に登場している使徒達、誰一人として”別の福音”
新しく内容が変更された契約なんて語っている人が
居ない事分かります。新しい=再更新され続ける中身は
モーセの契約とちゃんと捉えて読めば不変であると言う
神の言葉が永遠に真実だと分かります。



トラーの中身、意味を知らない、理解出来ない人達=
異邦人達に、”天の国” イスラエルの神の契約、文化、
神の家の仕来り、慣し、風習、神の造られた人間のデザインを
生きる事を批判されるなかれとコロサイ2:16には、
書いてあるのです。

”それらをガードしない事を、批判されるなかれ!”と
読んでいるのではないでしょうか?殆どの解説がそう書いて
ある事からも分かります。誤解している。。。。。
全くもって、違う読み方をしていたのです。

神の言葉は全く一つ。
本当に一つであると、聖書に基づき、根拠を置き、
確信もって言えます。感動します。神が永遠に変わらない
と言うその変わらないと言う神の言葉、約束が変わらない
事を発見する感動たるものや。。。。 

太陽が東から昇り西に沈む様に、永遠に神の造られた
デザイン人間の姿、契約、こよみ=トラーの中身は
不変なのです。

神が永遠不変と言う真実に出会う。
神と顔と顔=向合う関係に生きる喜び!

嘘じゃなかった! 当たり前ですけど、でも何れだけ
私は疑いながら来たのか?と言うのが分かります。



Shabbat Shalom