シャバットは福音の中心 聖書のテーマは一つに繋がっている | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

シャバットが近づくと、ウキウキしますね。
シャバットを知らなくても、日本でも花金の雰囲気の方も
たくさんいますね。 解放! 休み!
そうでは無い方も居ますが。

とまれ、やめると 言われたら何かしたくなる人間の
変な性。いつも疲れた、休みたい~と言うのに、やすめ
止まれと言うと逆をしたくなる。へんですよね。

イスラエルでは、シャバットの午後になると、もう閉店~
店閉め~休みの雰囲気になります。
スーパーも3時には閉じる所が殆どで、もう夕暮れは
車も通らないし、楽しい宴~ そして人々が散歩したり、
子どもが夜公園で遊んでいたり、家家には、家族、仲間が
集って、笑い声や歌声や、庭ではバーベキューの匂いや、
みんなが楽しい時を持っているのを、外からでも見る事が
出来ます。
見ているだけでも、楽しい雰囲気!

とにかくみんな”シャバット”好き!嫌いな人なんて
いるのかな?1人でぽつんとでは寂しいから
1人の人も、家族も仲間も入れて皆でする。

シャバットは”家族のもの”と言う事が目で見ても、雰囲気でも
分かります。
その中身の深さを何れだけの人が自覚しているかどうかは
別として、とにかく 太古から現代まで神のデザイン
契約の印であるものを、国全体がガードしているのは
どこ見てもイスラエルしか無いですね。

これから使徒の解説が終った後、トラーが終ったと
誤解して読んでいる様々な箇所を、掘り下げて書いてみたいと
思っていますが、このシャバットや、1週間7日間と言う
コンセプトは、“ヘブライ” ”神のデザイン” なのです。
ヘブライ人にしか無かったものなのです。

異邦人には、この様な”一週間7日”とか、月、年なんて、
コンセプトは無かったんですよ。
異邦人には、神の創造の起源 成り立ちが分からないから、
1週間=7日、 7日はシャバットなんて知らない。
七と言う言葉は、全部シャバットと関係ある言葉で
出来ています。
7=シェバ
これから来るシャブオート、シャブオート=週
発音でも分かりますね。シャブ シャバット
同じ語源です。7回のシャバット 7週です。
シュミター=7年サイクル 負債の許しなど 完了の
年の区切り アメリカでも7年経つと負債が帳消しに
なるケースがありますね。トラーから取った教えでしょうか?

キリスト教の世界ではペンテコステ=ギリシャ語=
5旬節と言われますが、ヘブライの世界では、
過ぎ越から数えた 7回のシャバット 7週間
完了!この方が意味をなしています。

強調につぐ、強調=完了の業=私達が誰であるか?を
教えています。

今年は日にちも大幅に違います。
神の暦では、シバンの月の6-7 今年は6月11日=13日が
に”シャブオート”が来るのです。

古代は、日が沈み、朝が来て、そして、月の満ち欠けで
日をカウントしていた。

一週間、月、一年をカウントしていたのです。
その1週間、月、一年をカウントしていたのは、
ヘブライの世界だけなのです。

トラーを”イスラエルの神”を知っている人達だけが
知っていた。

これは、創造の起源を知っていると言う事なのです。
自分達は、誰にどのように造られた世界に、生み出されて
どの様に生きる事にデザインされているのかを、
知っている。
異邦人にはそのコンセプトが無かったのです。
そして、シャバットで止まる!
これも異邦人には無いコンセプト。

全て”異邦人”の文化は、エジプトから学んだ物で
あるのです。
ギリシャ哲学も、異邦人の教えの元は全部エジプトの
教えです。

続く