使徒15:8
そして、人の心をご存じである神は、聖霊をわれわれに
賜わったと同様に彼らにも賜わって、彼らに対してあかしを
なし、
9 また、その信仰によって彼らの心をきよめ、
われわれと彼らとの間に、なんの分けへだても
なさらなかった。
10 しかるに、諸君はなぜ、今われわれの先祖もわれわれ
自身も、負いきれなかったくびきをあの弟子たちの首に
かけて、神を試みるのか。
ペテロが使徒2章で、”シャブオート”=モーセがシナイ山で
神から”御自らの手で刻まれた=契約”を受けた=
あの出来事の再来=世界へ”神の救い、購い、約束、契約”
が同じ様に開かれている証の出来事で、ペテロが宣言
している内容は、”純粋な福音”=トラーの中身だからです。
ペテロや、使徒、パウロ イエスさまが 何を語られて
居たのか考えれば分かります。
当時は、聖書の最後の三分の1は存在していないのです。
聖書=霊感によって書かれた=トラー、預言書、諸書です。
それを、根拠に教え、導いていたのです。
他の聖書や、他の福音なんて存在しないからです。
そして、聖書の最後の三分の1も新しく改良された
神の教えではありません。100%中身はトラーの
内容とピッタリマッチしています。別の福音、別の
契約、別の神の教えは、神の創造された世界には、
存在しないからです。
”負いきれないくびき”=人々が造り出した”口頭トラー”
人造の複雑に入り組んだ、”トラーの中身を誤解した解釈の
それらの教え”の事を指して話している事に、異邦人の
読者は気がつかないまま、”トラー”は終わりだ
新しい時代の新しい教えが到来したと勘違いしている。
集団催眠の様な、集団誤解がここから生まれているのです。
”口頭トラー”の中身は”ハラハー”と言われるものです。
トラーの内容を、実際にどう適用するのか?と言う事を、
先人達聖書学者が色々解釈して造り出したものです。
それが”口頭トラー”であり、モーセの契約のトラーでは
無いのです。
イエスさまが様々な聖書学者達を正している箇所があります
ね。様々に誤解している彼らの”口頭トラー” 人間の解釈の
トラーを正しく“成就”=本来のトラーに書かれている意味を
イエスさまが彼らに解説している。
あなた方は~と聞いている=この何何と聞いている=と
イエスさまが正されているその中身はまさに、ここで議論
されている”口頭トラー” 間違った解釈のトラーの解釈と
その人間の教えの内容と言う意味なのです。
現代でもあのシャバットの時、”エレベーター”が自動に
開いたり閉じたりすると言うのも、人間の造り出した
”ハラハー”の一つです。
それを信じる人は、電気のスイッチを付けたり消したりする
のも、シャバットには禁じられていると思い込んでいる。
そんな事を信じている人のお宅で、トイレの電気消した
時には、大変な事になってしまいます。
電気は付けたまま、過ごす。
消したらそのまま、まっ暗さ~の世界。
プラス、シャバットには、どこにも遊びに行っては
行けないと信じている、そう言う厳しい掟の、
学校に通っていれば、遊びに行った事がばれた日には、
”即座に退学”です。
シャバットにテレビも見ては駄目だとか、遊びに行っては
だめだとかなんだとか、そんなのも全部ラビ達が作り出した
ルールです。
その”人造の教え”=人間の造り出した”改宗およびユダヤ人”
に帰化する儀式を通り、その後”ユダヤ人達が造り出した
宗教界に於ける、人間のルールに沿って、異邦人が生きる事を
強いられた事が分かれば、分かって来ます。
”イエスさまの与えられた荷は軽く、くびきは負いやすい”
イエスさま=肉体を取ってこられたトラー=文字で書かれた
トラー=同等です。そのくびき トラーの教えは負い易く
軽い=申命記31:11-14にある通り、あなたの
腹の中にあり。あなたはそれをたやすく生きる事が
出来ると書かれてある通りです。
人間が物事を全て複雑にするのです。
人間が、神の言葉を変形させて、宗教~イズムを造り出す
のです。
”人の造り出した荷、くびき=きつい 苦しい、重い 苦痛”
です。トラー=永遠の契約を指して、”くびき、重荷”などと
この箇所で語っているのではないのです。
マタイ 11:29 わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、
わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、
あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。
11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は
軽いからである」。
人間が造り出した教えと、そして、人に重荷を課して
自分達は何もしないと言うイエスさまが戒められている
箇所。
マタイ
23:3 だから、彼らがあなたがたに言うことは、
みな守って実行しなさい。しかし、彼らのすることには、
ならうな。彼らは言うだけで、実行しないから。
23:4 また、重い荷物をくくって人々の肩にのせるが、
それを動かすために、自分では指一本も貸そうとはしない。
続く