"種無しパン"="初穂"="キリストの復活の命"に生まれ変わっている=私達の本当の姿 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

今回の”モアデイム”=定めの時=神の指定した、
祝いの日、特別な形で主と皆と相見える日=決定的に
”新たなる発見” ”感動”の日々になっています。

主のモアデイム=季節=暦のデザインは、
私達が誰であるのか?を教えるそのものです。
”あなたは罪人”あなたはどれだけ駄目な人=”奴隷”など
アバ主は自分の子供達には教えていないのです。

考えても分かりますよね。
自分の子どもに”あなたはどんなに駄目で、どうしようも
ない子なのか!どんなにおぞましい存在なのか”
なんて言い続ける親に育てられたら、その子どもは
どの様な自己像を形成して、成長するのか言わずとも
分かります。

“注目点”は、主の完了の業、主の購いが焦点、全てです。

この”モアデイム”の中に福音の全てが教えられ、
語られ続けていると言う事が聖書を読んで、実際に生きて
参加してみればもっともっと顕著に色々な発見が出来ます。
福音は初めから同じ。初めから同じ内容を語られている。
イエスさまが言われた通りです。
”トラー、預言書、諸書にわたしの事が書いてある”と。

前後左右しますが、書いてある記事の続きの前に、
今週の日々の思いめぐらしを書いてみたいと思います。

”過ぎ越”の日から種無しパンを食べる。
その前に”パン種”除去掃除の日々。

いや~除去した日以外に今も、たくさん見つけます。
”パン種”含まれている食品。
日々、除外してますが、これで分かった事があります。

ハメッツ=パン種=主と共に死んだ人の中にあるもの。
どれだけ、知らない間に潜んでいて、”本当の自分で生きる
事を妨害しているのか!”と言う事。

しかし、そのパン種はあなたではないのです。
”あなたはマッツア”と主が言われる。
だから、その”パン種”は、主と共に死んだ自分の
中=記憶に生きて居る。それが妨害して来る!
だから主に渡す。それは自分ではないと認識する!
これを、毎日毎日繰り返し体験します。この週。

そして、全てのモアデイムはシャバットから始まり
シャバットで閉じられる。火曜日であろうと、月曜日で
あろうと日曜日(聖書では”日曜日”は安息日ではなく
週の第一日目、労働の第一日目です。)であろうと、
金曜日の夕暮れに当たらなくても
”モアデイム”は、シャバットとから始まるのです。
今年は、丁度”金曜日の”夕暮れ”から始まったので、
重なりましたが。

1週間に一度の”シャバット”で何を主が私達に教えている
のでしょうか?
毎回毎回、この”奴隷=偽の自分=ズレ人であった事から
購い出された、救い出された、そして”完了の業”で主の似姿に
されているその事を繰り返し、繰り返し、繰り返し思い出す
ためなのです。

そして、毎日の中で、一日の夕暮れにも思いめぐらす。
今日一日を、私は”主の似姿”で生きたのか?
私はこの日一日、命の木からだけ食べていたのか?
それとも、主のものとは違うものを取入れて食べていたのか?
主の前に、何を思いめぐらし、何を考え、何を言動し、
行動したのか?を夕暮れ=新しい一日の始まりに主の前で
もう一度思いめぐらす。

面白い事がたくさん分かるのです。
今日も、ぼ~んやりしたまま、いつもの場所でいつもの
エレベーターに乗り、いつもの階を無意識に押していました。
あれ!今日は違う階に行くはずだったのに、いつもの通りの
階を押していた。

それで、はっと気がついた。
私達に意識的に”あなたは誰か”=主の似姿の人を常に常に
インプットしなければならない理由=脳回路の枝が
切り替わるそのためです。

無意識に=新しい人を生きる事に切り替える。
無意識にも、新しい人の姿で生きれる=脳回路の枝が
がっちり出来て揺るがないまでになるまで。
それが本当の自分だからです。
それを、強化するため=私達は、自己像=脳回路の枝を
通して、思索し、発言し、感じ、思いめぐらし、認識し、
祈る。

その”枝”がずれた場所=主の意図と違う=ラー=悪い地で
は、チョロチョロの実しかならない。
その道のりは、苦行、修行、苦痛です。

続く