ニサンの月の13日は、”パン種”を家から一切排除する
掃除の日です。これをやると色々な事が分かって来ます。
それぞれにその年教えられる事、気がつく事が違って来るのも
分かります。
今年は、4月21日木曜日が、ニサンの13日です。
掃除をする日です。
そして、丁度シャバットにあたる、14日金曜日の夕暮れが
エラブ ペサハ=過ぎ越前夜です。
そうすると、その祝いの時にシャバットが2回来る事になります。
一番多くてモアデイムは3回シャバットが来ます。
どの曜日に当たろうと、モアデイムはシャバットから始まり、
シャバットで終るからです。
完了の業を、表しているのです。
完了の業から全てが始まり、全てが生きる事を教えられる。
そして、その日から、種無しパンを食べる一週間。
そして、2日目、15日の夕暮れから、”穂を数える”7週間に
なるのです。
穂を数える日が終ると、今度は”パン種”を入れて二つの
パンを捧げる=最上の小麦で”パン種”これは罪を表すもの
ではなく、神の性質=パン種を入れたパンに膨れ上がる
~神の似姿の人を表しているものなのです。
あるサイトに、これはユダヤ人と異邦人の2つの罪人が
膨れ上がった姿と書いてあるのを読んだ事がありますが、
原典聖書にはその様な意味合いで書かれては
居ません。
全ては、”神の似姿にされている”一方的に与えられた”義”の
姿がトラーには描かれているからなのです。
これは、すべて、”新しい人”=主の似姿にされている、
その人が成長する姿、そして、シャブオートの日に
婚姻契約に入る。シナイ山でトラー=婚姻契約を
与えられる日に繋がるのです。
そして、シャブオートに聖霊が初めて下ったのではなく
あれは、ヘブライ人なら”シナイ山”の再現と分かるのです。
今度は、全世界へトラーが運ばれる皮切りになった印です。
聖霊は初めの初めから人の内に同じ様に住まわれている事
聖書に書かれています。
初めから主は共に居られる。
そして、幕屋の上にも火が下り、神の臨在が地上にある事を
肉眼で見れる様にして下さったでしょう。
今は神殿が無いからそれが無いだけです。
義とされている事は、無条件です。
生まれた事を人は選べなかったのと同じです。
気がついたら生まれていた。
気がついたら”主の似姿の人”を与えられている事実を
知った。それが救い購いです。
救われた~気がついただけです。脳回路結合して、
スイッチオンになって、流れ出した。
口で告白する=ホモロゲーオと言う本当の意味は、
主が見られている通りを認識する事=つまり
自分で救われている事を認識しなければ、その実態が
不明、その実態を生きられないと言う事です。
聖霊が下ると言う新しい年代の方の当時の
宗教慣用句、その表現はまさに脳回路が結合して、
救われている事=神の似姿の人=ルアフが内側に
住まう事がスイッチオン状態になった。
その事実を受け取った事を
自分で体験したと言う事です。
そして、婚姻契約は、その”義”とされた人が生きる姿
そのままが描かれているのです。
頑張ってするのではない。そんな世界ではないのです。
主の与えて下さった実態=あなたは主の似姿の人
だからその姿を生きれる、そっくりそのままが書かれている。
神のデザインした人間の生きる姿=トラーだからです。
WWJDと唱えるなら、イエスさまが教えて下さった通り、
主の暦に従い、主の意図にしがたい、生きる事を
するのがWWJDなのではないのではないでしょうか?
一旦、見聞きして来た、教えらて来た、ただの人間の教え=
固定概念を削除して、聖書、オリジナルに戻り、
一体聖書には何が書かれていて、何が書かれていないのか?と言う、
事実、真実に真摯に向合うとたくさんの事実発見をして行く事に
気がつくのです。
続く