イエスさまも、弟子もパウロも一生涯シャバットモアデイムだけを祝っていた | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

ルカ2章41-52
41 さて、両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした。
42 イエスが十二歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って
都に上った。


ヨハネ4:13-14
イエスは答えて言われた。『この水を飲む者はだれでも
また渇く。
しかし、わたしが与える水を飲む 者は決して渇かない。
わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に
至る水がわき出る。』」

仮庵の祭りの時、”シロアムの池”から水を汲み神殿へ
運ばれる喜びの儀式が最大になる日、その日にイエスさまは
これを言われたのです。
イエスさまも仮庵を祝われていたのです。

1コリント 5章
7 新しい粉のかたまりになるために、古いパン種を取り
除きなさい。
あなたがたは、事実パン種のない者なのだから。わたしたちの
過越の小羊であるキリストは、すでにほふられたのだ。

8 ゆえに、わたしたちは、古いパン種や、また悪意と邪悪との
パン種を用いずに、パン種のはいっていない純粋で真実な
パンをもって、祭をしようではないか。

モアデイムをその様な態度で、祝おうではないか、隔ての壁を
取り除かれた結果共に、モアデイムを祝うとパウロは
書かれています。
何も変わってないのです。

パウロや、聖書記者は全てヘブライ人なのです。
聖書 トラーの一点一画は何も変わっていないのです。

パウロや弟子達、イエスさまが昇天された後にも
シャバットとモアデイムのみを祝ってガードしていました。
他の祝いの日を祝った形跡は、書かれていません。
なぜならそれは神の仰せではないから誰もそれを
祝っていないのです。今のイスラエルでも同じです。
シャバットと、モアデイムを国を上げて祝うのです。

創世記から黙示録まで全て同じ事を話しており、
何も互いに矛盾する内容が書かれていない前提で
全ての聖書記者は書いている事を念頭に置いて読むと
全てが繋がって行きます。
神の意図している事を神の声の下 声の中 神の目と
同じ目線で見る事が何であるのかが見えて来るのです。