前回のローマ章2章の割礼に繋がる記事です。
トラーが終った、古い契約と新しい契約が存在していて、
それらは内容が違う、ある内容はもう終わり、
相反して別物であると、誤解される箇所のひとつに
”割礼”と言う事があると思います。
以前にも割礼に付いて書きましたが、また書いてみます。
聖書の記者達は”生粋のユダヤ人”です。
彼らは、婚姻契約=トラーを丸ごと信じて、生きる、主の仰せを
負わせられた責任=地の塩として契約をガードして、
生きている人達です。それを、頭からはずさないで
聖書の最後の三分の1を読む必要があります。
そして、聖書の最後の三分の1はトラーの内容を同じ様に
語っているのです。
プラス割礼は永遠不変です。何故でしょうか?
”神の婚姻契約が存在する印、証、証拠”だからです。
主の愛=契約の愛=アハバが永遠に存在するから、
その印=割礼も永遠に存在するのです。
人間の側でその婚姻契約を終わりとし、破棄しても
神の側では永遠にその契約を破らない。今も有効で同じ
契約があるから、人は神と関わりを持っていると宣言出来る、
裏付け、根拠が存在するのです。
ユダヤ人と異邦人に差は無いのです。
ユダヤ人だけのものである、契約では無いからです。
同じ契約に加えられた、接ぎ木されたとある通りです。
ローマ11 ヨハネ 15:5
そして、同じ囲い=契約の中に入る家族=羊と書かれている。
別の囲いから同じ一つの囲いへ入れられる。二つの契約は
ないからです。
ヨハネ10:6
そしてクリスチャンの世界でも、神の愛と語り合っている
その”愛”とは、気がつかないままでも、聖書では実は、
このトラーの”婚姻契約”の愛=アハバなのです。
聖書は創世記から黙示録までひとつ。全く同じ事が
書かれているからなのです。
ですから、神の愛=初めの愛=荒野で初めて神御自身
で文字として刻まれた=永遠の契り、約束が存在する限り
その契約の印も永遠不変であるのです。
アブラハムに与えられた全人類の”義”を約束された
その保証の印だからです。それがモーセの契約の中にも
網羅されているのです。
全人類、子孫全てに、与えられる。“神の似姿”とされている印。
だから、包皮、子孫を造る臓器に”分たれている 境界線を
敷かれている=神の似姿の人=義”とされる印を与えたのです。
すごい奥義です。
その包皮=古い死んだ人=しかし本当のあなたはその中にある。
キリストの中に隠されている神の似姿そっくりの本当の自分。
割礼がない頭脳=古い死んだ包皮に覆われて
本当の自分の命を生きる事が出来ないだけで居る。
本当は”主の似姿”を今生きれる様に取戻されているのです。
”今天の御国=実態=神の似姿で生きれる事が、あなたの中に
既に到来している”とバプテスマのヨハネが宣言したそれです。
それが完了の業、主の死と復活の意味する実態だからです。
私達が聖書を読み違えるのは、教えられて来た誤解の前提が
まずあるからなのです。その色眼鏡、フィルター=脳回路の枝
を通して、神の言葉の全てを見ている。
でも、その人間の教えを通してではなく、神の言われる事、
神の目線に目を上げて合わせる。
神の見ている視点、目から全てを見る事に切り替えて
見る必要があるのです。
二つの契約、二つの福音 二つの神の顔 人への取り扱いが
変化した、救いはイエスさまの来られた後に初めて登場した。
それまでは仮の許し。
私達は、エデン=喜び=神の実態 関係だけを体験するために
造られたのに、遥か彼方イエスさまが来られるまで人間は
欠乏状態を強いられていたのでしょうか?
そんな神は少なくとも、原典聖書には描かれていないのです。
呼び求めれば直ぐに答えて下さる、何千年も放置する様な
イスラエルの神像は少なくともヘブライ語聖書の中に描かれて
はいない。翻訳読んでも分かります。
霊=神の人の内に住まわれる濃度がイエスさまの来られた後とは
違うと言う教え。神=薄まったり濃くなったり変化したり
するとでも言うのでしょうか?エハッド=一つ以上で全く
ひとつの存在の神、どんな形で現れようと同じ実態なのです。
そして、”トラーは呪いだ”とまで思い込みそう信じている。
気がつかないまま、トラー=文字で書かれた=肉体を
取って来られたトラー=イエスを憎むが如くに。。
とげの付いた棒を蹴る=痛いです。
トラー=律法=呪い。
聖書の言う”婚姻契約”=トラーが呪い?全然辻褄合わない
解説になってしまいます。誤解、誤訳、間違った前提
色眼鏡で聖書を読んでいる代償なのです。
このガラテヤ書全体のテーマは何でしょうか?
”自分の努力で、”義”=主の似姿を獲得しようとしている
そのずれた意識の人達へ語っているのです。
聖書の記者誰一人、トラーの一点一画が変化したなんて
削除されたなんて思っている人はひとりも居ないのです。
聖書の記者全ての人は、神の言葉は創世記から黙示録まで全く
同一、変化なしとして書いているのです。
続く