永遠の契り 婚姻契約の印 シャバット | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

シャバットが何なのか、以前は全然知らなかった私。

イスラエルの神を信じているのに、イスラエルの神の
言われている事を理解していなかった自分。

イエスさまも、シャバットをガードされていた。
人々に、神の家の子の生きる姿を直に、実際に教えるために
来られたから。

シャバットは、主の永遠の”婚姻契約”が存在する
印だったなんて。。。。知らなかった。

親が、子どもに、ありとあらゆる方法で、本当の事を、
最善を伝えようとしても、子どもは何れだけ
理解しているのかな~と思う事が親なら分かりますよね。

親の心子知らずと言いますね。日本でも。

それが、今やっとくっきりはっきり分かる。

私達は、主の似姿に造られた。
でも、それ以外の姿を学習してしまった。
別の目が開かれて、自分らしくない事を知ってしまった。
学習してしまった。
でも本当の姿の自分=神の似姿そっくりの自分は、
永遠から主の中に保存され取戻されている。

神が御自身の造られた子供達全てに、元の場所=神の中=
エデン=喜びに戻るため、元の姿に戻るための全てを
永遠から用意して、もうそれが完了されている。
取戻されているその事実を知れば良いだけ。

今信じる者達は、神の中に居る事、その事実を本当に信じて
そう生きて居るのでしょうか?
神の中に居る=天の現実の中=この世にあっても
この世の者でではない=その事実を、何れだけの人が
本当に把握しているのでしょう?

将来 天国に行ったら全て始まるのではない。
信じる者は今天の現実の中に居る事を知る。
神の御座の前に居る。神の中に居る。
主も私達の中にいる。

それがシャバットの醍醐味。
それを、思い出す、思いめぐらす。
主の似姿の人である事、思い出す。
お互いの本当の姿、本当の関係を取戻そう!その日です。
金曜日の日没は。

あなたは、罪人ではないのですよ!
主の似姿の人なのに、奴隷の姿で生きて来た
それを、自分で選択し続け 取入れ続けて生きて居るだけ。
主の完了の業、主の似姿にされている事実を否定して
認めないだけ。自分を見てどう感じるかではなく
主のされた業に目を留めれば良い。そして、そこから
生きる事を始められる事を知る。

だから、あなたの中に罪がないと言う人は 偽りものと
言われたのです。

それは、あなたが罪人と言っているのではない。
ずれを 罪を 主の似姿なのに どうして取入れ続けているの?
選択しつづけ、ずれて居る姿を生き続けているの?主の似姿を
取戻されているのにと言う事を言われているのです。

人を罪人と言う目で見る=主が言われたのでしょう。
そんな目で人を見る、それがズレだと。
主の目から、主の見ている通りの自分、他者を見なくては
見えない。主の目から、主の目線に目を上げて、
その位置にピント、フォーカスを合わせて、主と共に
主の見ている通りを見る学習、そしてその命を生きる
再学習。本当の自分=神の似姿の人、実態で。

罪人=そんな目で自分を見たら、本当の他者の姿
なんて見えない。

この日、全ての人が、主の似姿である事を自覚して、
死んだ自分で 決して生きないと シャバット=止めるなら
本当の意味で、シャバットをガードする事が出来るのです。

思い出そう!私達は、自分の本当の姿で今生きれる事を
知らなくてはならないと主が言われるのです。
それが、完了の業、主の永遠の婚姻契約の印、シャバットを
過ごす”中心の意味”だからです。

何も複雑な事ではない。
神の教えはシンプルでも奥が深い。
物事複雑にするのは、人の教え。

Shabbat Shalom