宗教が造り出した教え  儀式 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

聖書の中には、下知識がないと混乱して誤解して読める箇所が
いくつもあります。

トラーは終わり、古い、神の契約が変わったと思い違いする
その一つに”割礼”が終ったと思い込んでいる事が
あると思います。

または、契約はユダヤ人だけのものと、違う読み方を
している場合。その場合、イスラエルの神と私達異邦人とは
全く疎遠、何の関係もない、異邦人との間には、神と
契約も存在しないと言う事に繋がってしまうのです。
婚姻契約の中には、入ってない他人の私達=異邦人と
言う事だからです。

一つの神、一つの言葉=一つの契約 一つの体。
これが聖書の一貫して主張している、真実です。
二つの福音、契約なんてない。別物なんてない。
不完全でも、中途半端でもない。

部分繋がりも、聖書とは違う。契約は丸ごと
その中に入る事を意味するからです。
半分結婚していて、半分独身の身分?なんて無い。
神の命の実態=神の似姿で、神の花嫁と言う命の中に全部、
丸ごと入れられている。
半分生きて、半分死んでいる状態はないからです。

聖書の最後の三分の一に書かれている事は、
一世紀の宗教事情と、古代のイスラエルの宗教事情と又事なる、
別の宗教事情や、その当時のラビ達が使っていた言葉、用語
慣用句、造語などが出現しています。

この知識は、聖書を書かれた内容通りを理解するには、
必須の手がかりです。
最初の三分の2の聖書が書かれていた時代と、
イエスさまが来た時代の、イスラエルの当時の宗教事情、
トレンディな人間の教え=イズム=宗教、
それに伴う当時使われていた、宗教用語など、
それ以前の時代とは、全く違うからなのです。

神の言葉は宗教ではない、宗教を語っていない。
宗教とは、人が造り出した教えを混ぜたもの。
宗教=イズム。人造です。

古代の日本と現代の日本では、使われる言葉も違うし、
ある言葉は“死語” プラス現代で使われている言葉など
過去の人には全く通じない、意味が違う言葉で使われて
居ます。日本語英語も同じです。私には?理解出来ない意味の
日本語英語がたくさんあります。

古代には無かった所謂、人の造り出された神学まで
聖書の中に書かれています。だから、イエスさまが
あなたがたは何何と聞いて来たが、わたしはこう言う”と
言われていますね。

それは、トラーが終ったのではなく、トラーに混ぜ物し
違った人間の解釈が蔓延している、その人間の造り出した
教えを正されているのです。

今の世に使徒、イエスさまが来たら何と言うでしょうね?
いや人間の生きる全て=肉体を取って来られたトラー=
イエシュア=文字で書かれたイエスさま=トラー
自体が妥当に取り扱われていないです。

古くさい、終った、仮の教え、無用、もう不要と言われて、
世界がそれを言い合う、語り合っている。


トラー、預言書、諸書=イエスさま御自身
イエスさまの事が書かれている。

イエスさま=古い、仮り、終ったものなのだと
聖書に書いてあるのでしょうか?

少なくとも、オリジナル聖書には、永遠不変と書いてある。
少なくともイエスさま自身が、神御自身が、
一点一画も変えない 変えては駄目、永遠不変、
神の言葉はひとつも変わらない、
虚しく地に落ちないと言われている。

人の言い伝えを信じるのではなく、聖書に書かれてある、
神の御口から直接語られたその言葉だけを信じる方が
安全です。
人の言い伝えは、神の言葉に根付く、根拠、
実態が無いからです。



2に続く