一致の条件は只一つ 主の真理の中だけに留まる はみ出さない | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

コリント人への手紙第I、1:10
どうか、みなが一致して、仲間割れすることなく、
同じ心、同じ判断を完全に保ってください。

コリント人への手紙第II、13:11
終わりに、兄弟たち。喜びなさい。
完全な者になりなさい。

これなりなさいではなく なっている姿に留まりなさいと
言う事です。

”なりなさい”では、完全に努力の世界でしょう?
もうなっていると聖書で書かれているのです。
だから、状態からはみ出さずに、その姿のまま
留まれと言う事。

昔あったテレビの漫画、”ベムベラベロ” 
妖怪人間~ の如く”早く人間になりた~い”
みたいではないですか?

人間じゃないから 人間になりたい。それは分りますね。
でも 私達は一体誰ですか?主は私達の姿を
なんと言われていますか?人が何と言うのか 
自分でなんと感じるか 定義するかではなく。
主が何と言われているのか?だけが 必要なのです。

聖くないから 聖くなりた~いと言う発言は、
妖怪人間の歌と同じでしょうそれでは。

人間になりた~い。無理でしょう。
人間じゃないんだから。

しかし、私達は主の一方的な完了の業により
”元の姿にされている”事実がある。
感じなくても、いつもそう言動 思索 行動でき
なくても。

もう元の姿になっている。あなたは タミーンは 
あなたは 私と同じ聖なるものであると書いてある。

コリント人への手紙第II、13:11
1慰めを受けなさい。一つ心になりなさい。
平和=シャローム=欠けの無い姿 その中に平安
和もあると言う意味=を保ちなさい。
そうすれば=本来の姿=主の似姿と同じに留まるなら
愛と平和の神はあなたがたとともにいてくださいます。

エペソ人への手紙4:3
平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。

パラフレーズで 解説入れましたが、ここに書いてある
”心をひとつ”とか”一致して”と言う意味の
本当の原語では、レブ=頭脳です。心情 感情ではありません。


後 頭脳=メサイアの頭脳と一致すると言う事は 
一体どう言う状態でしょうか?
”主の真理の中”だけに 留まる以外ないのです。
それ以外では 繋がれない。

友人が的を得た事を ずば~と 素晴らしく 美しく
その内容を言い当てていました。

信じる者達の世界は、分裂している。
一致 こころ 一つになんて言いながら どうして
そうなれないのか?

なぜなら ”主の同じ真理”の中に 皆が留まらないなら
どうして、一致なんて 出来る分けないですよね?と。
別々の主の言われる事と違う事を唱え合うなら
一致なんて出来ないのは当然。
混ぜ物の教えの中では繋がれない。

本当その通り!!!
人が一致出来るのは、主と同じ=頭脳 御旨の中に思索
行動 言動する時のみです。至極当然ですね。
だから それ以外だと 一致の度合いが本当少ない。
または 分裂し続けていくのは 当然の事です。

主の真理の中以外で 一致なんて出来るわけ
ないではないですか。
一致=主の中=主の真実=永遠に変わらない主の言葉
=主の義の中のみ。
それ以外、混ぜ物したら、繋がれない。

字面ではなく 本当に何かを 麗しいスローガンに
しないで私達は 主の真理 神の声の下 声の中 
声だけを聞いていれば良い。

修復された人と自覚し、その姿が何であるかをトラーの
鏡に映し出して知り、それを生きれる様にされている
体験を続けて行く人達が 集ったら 全然違う
命溢れるものになるのは 想像つくでしょう。

全然違いますよ。
次に 誤解されている”謙虚”とか”へりくだり”の本当の
意味を 書いてみたいと思います。

続く