レビ記 1:4
その人は、全焼のいけにえの頭の上に手を置く。
それが彼を贖うため、彼の代わりに受け入れられるためである。
ここに書かれている、”購う”と言う翻訳を読めば、
”ああ なんだか 罪の仮の許し、免除だ。”と
異邦人の思索には、飛び込みます。
また、翻訳が、本来の意味になっていない、またその意味を
解説されないと分らないから、誤解しているだけです。
私達は、神の家=幕屋=神殿の中の一つ一つの
物の意味に関しての、予備知識が殆どありません。
しかも、捧げものを携えて神の前に出て行くのですから、
なんか、空手では行けない、犠牲を払う意識です。
これは、全回の記事で説明したように、動物、捧げもの
これは、コバーン、引き寄せると言う意味の言葉です。
自分の本来の姿と、欠けの無い姿の動物、または、
最上の収穫物=新しい人を、同化する、
認識させる作用なのです。
つまり、生ける生け贄=コバーン 自分自身が、
コバーン=神の中に、引き寄せられる事を、学習させられて
居るのです。
さて、この購いです!!
まず、ここの説明をしないと、後が繋がらず、
分らない部分です。
モーセが、天の領域、栄光の雲の中で、天の御座の
神の家を肉眼で、見せられました。
それを、そっくりそのまま、地上で再現し、造りなさいと
命じられたのです。
出エジプト25:22
わたしはそこであなたと会見し、
その『贖いのふた』の上から、
すなわちあかしの箱の上の二つのケルビムの間から、
イスラエル人について、あなたに命じることを
ことごとくあなたに語ろう。
神はどこで、人々と会見、出会うと言っていますか?
”購いのふた”の上と、書かれています。
この”購いのふた”と、言う言葉
”カポーレット”大贖罪の日、ヨンキプールの、
キブールと同じ言葉です。
画像を下に載せましたが、これは、聖書に基づいて造った
レプリカです。
この”契約の箱”の中に、10の言葉=トラーの要約=契約が
入っています。
この中、神の臨在、神の天の御座、臨在が地上で
宿る場所です。
そして、この臨在=御座=契約の箱のふたを、
”カポーレット”と呼んだのです。
それを、翻訳で、”購い”と、呼んでいるだけです。
契約を通して、私達は、神と関わるのです。
自分の努力で、神の怒りをなだめ、鎮め、喜ばせ
神にアピールして、許して下さい、お恵み頂戴と言う
図式の関わり=偶像礼拝的関わりではなく、
契約を通して、私達は、神の中に引き入れられている事を
教えているのです。
神の臨在の宿る場所=購いのふた=カポーレットです。
この教えの中心!フォーカスは、”引き寄せる”を、
完了の業、契約を成し遂げているのだ!と、言う事なのです。
これこそ、神の側で100%用意して下さった、
完了の業、そのものではないですか!
つまり、この”カポーレット”=神に臨在が宿る場所、
神の中、栄光の中、主御自身との究極、局限の近さに
私達を引き寄せていると言う事が、書かれているのです。
あれ~?全然違う、内容、印象ではないでしょうか?
罪深い,汚いあなた!!! 罪 懺悔して、わたしの前にひれ伏し
罪言及し続け、見つめ続け、どれだけ自分が酷い人間なのか
絶えず見つめ続け、究極に謝罪し、沢山祈り、断食し、
捧げものし、奉仕し、わたしのために、たくさん犠牲を払い、
自分を自己否定し、自分に死に、自分の罪深さを、
わたしの前に告白したら、許そう!と言うような、
トーンの声が聞こえ、教えられ刷り込まれていた意識に、
光が差し込ん出来ます。
あなたの修復された姿になっている事を、見なさい!!!
見て見なさい!あなたの本当の姿を、知りなさい!
その姿でわたしのただ中に、引き寄せている!
わたしの中=エデン=究極の喜びに、あなたを
既に引き寄せ、修復しているのだよ!
わたしの只中=エデンで、染みも汚れ咎も、かげりも無い
喜び溢れた姿で、あなたと会おう!
と言われる、アバ主!
全然違う、印象の、温かく、優しい 癒しと 安堵、安息
平安、神の真実の声!本当の羊飼いの温かい声、
福音が響いて来ます。
長くなるので続く