焼き尽くす、全焼の生け贄は、神の臨在の中に、聖なる者として立ち上り入る 引き寄せられる | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

レビ記の一番最初に出て来る、コバーンは、
全焼の生け贄と訳されている、原語では、
”オラー”のコバーンです。
オラーとは、昇る、上がる 上昇する、立ち上がる
起き上がる、言う意味です。

コバーンとは,生け贄、捧げものと訳されている、
ヘブライ語では、”引き寄せる” 名詞と、動詞両方同じ意味で
書かれています。

これは、都上りと繋がりがあります。
例祭の時に、エルサレムに向かって、皆が、何日もかけて、
都上りの旅、お上りさんをしますね。
イエスさまも、されました。
想像してみるのです。皆で、うきうき、わくわく 神の家に
近づく!その道すがら、賛美、喜びが、クレッシェンドのように
だんだん、だんだん盛り上がって来る。
歓喜の極み、至福の時です。
エルサレム=神の家に向かって、皆が上って行くのです。
詩編の”都上りの歌”も、この祭りのために、エルサレムに
上って行く、その歌なのです。

これは、よ~く考えると色々と見えて来る、真実です。
神は、一つ所、世界でたった一つの場所、真実の源
命の源=神の臨在の場所へ、私達が引き寄せられて
いる事を、教えているのです。
自分の本当の姿に、近づいて行く、また、天の現実の中に
引き寄せられていることでも、あるのです。
他の場所は無いのです。
ただ一つの場所!神のもとに、神の臨在、栄光がある場所、
神の家に皆が戻る、昇る 引き寄せられて来るのです。

簡単に書いてしまいましたが、少しこの部分を掘り下げて
考えてみたいと思います。

創世記13で、アブラムが神から言われた事

”14 ロトがアブラムと別れて後、主はアブラムに仰せられた。
「さあ、目を上げて、あなたがいる所から
北と南、東と西を見渡しなさい。

以前書いた様に、アブラムは今まで培って来た、家族の教え、
仕来り、考え方、思考回路、しがらみ、風習の全てから
一切切り離し、リセットさせられ、神の目から見る様に
全てを見る訓練をするために、生まれ故郷を出て、
神の示す地へ、旅する必要があったのです。

そして、東西南北を、神の目から見渡す事をさせられるのです。
東西南北もそれぞれに、意味が有ります。
以前に短い記事を書きましたので、宜しかったら参考に
見てい頂ければと思います。
http://ameblo.jp/echad2010/entry-11557357452.html

ここの神の家、幕屋の中では、”北”に向かって、生け贄を
屠るのです。
何故、”北”なのでしょうか?
”北”=ツフォン=隠されたと言う意味です。
生け贄を屠る事で、”隠されたもの”が、明らかにされるためです。
隠されたもの=私達の本当の姿=新しい人が明らかに
されるのです。

神の言葉、聖書の教えは、一貫していて、全部繋がっています。
同じ事を、創世記から、黙示録まで話しているのです。

オラーのコバーンと言う言葉と、全焼の生け贄とはちょっと
印象が違いますね。
ここで、今まで教えられて来た、西洋人による西洋人の宗教
神学の色メガネを一切外し、まっさらで、考えてみて下さい。
私達は、違う先入観を与えられなければ、そのまま
聖書の神の言葉の言う通りを、最初からインプットして、
こんなに、違う教えに塗り替えらる混乱の中に
脳回路を放り込まれず、そのまま書いてある事、
その神の教えの真意を、知る事が出来たのです。
だから、今アブラムがしたように、世のしがらみ、教え
風習、神学などなど一切神の真理に俗さ無いものは、
捨てて、排除して聖書を読み直す必要があるのです。

オラー=昇る 上昇する 起き上がる、立ち上がる
コバーンの動物の全存在が、神の火で飲まれ、
焼き尽くされるのです。

詩編の都上りの歌を思い出してみて下さい。
遥か遠くから、旅すがらこのエルサレムに、例祭のために
皆で上って来る様子。
これも意味があるのです。
遥か遠く、神に造られた姿とは、遠く遠くかけ離れて
距離が有る姿、場所に住んでいた”人間”が、
神の家=天の御国=神の中=エデン 喜びに向かって
上って行くのです。元居た所へ戻る!
英語の”Rise Up"と言う言葉は、日本語の昇るより
ぴったりな感じがします。
自分の全存在が、本当の姿で起き上がり、引き上げられる!
上って行く、神の臨在のただ中に昇る、
入って行くと言う感じです。
例祭のために、都上り=エルサレムに向かって旅した人達は
この事を思いながら、旅したのです。

引き上げられている=新しい人にされている
事実に向かって、聖なる姿にされている事の、
事実確認とそれを喜びを修復するために!皆で、
それを祝うために行くのです。


私達西洋神学に教えられて来た異邦人は、面倒くさい例祭は
イエスさまの来られた後は、排除と、イエスさまの教えを
塗り替える、勝手な教えが出現し、そして、それが
神の言葉だと、思い込んでいます。
これは、聖書の本当の姿、意味を知れば、宝石をゴミ箱に
捨てている行為、いや、主の尊い教えを踏みにじっている
行為だと分る、そして顔面蒼白になるはずです。
この意味が分った場合は。。。

一番最初のコバーンは、”オラー” 全焼の生け贄と訳されている
本当は、”昇る、立ち上がる”と言う意味の、コバーンです。
全焼の生け贄と訳されている理由は、このコバーンの動物を
全部焼き尽くすからです。
焼き尽くせば、文字通り、煙りが天に向かって立ち上ります。
全存在が、煙となって、天に上って行く様子を、肉眼で見て
確認させられるためなのです。
天に昇る=今既に、天の領域に、神の中に、受けいれられて
喜ばれていると言う事なのです。
自分が、何かして、神に喜ばれているのではないのです。
私達の存在そのものが、神に喜ばれているのです。
~では、神に喜ばれませんとは、私達の姿が、
本来の姿=新しい人、神がどなたであるかを、
正しく認識していませんよ、と言っているのです。
本来の姿から、ずれてますよ!と言う事なのです。

祭壇で、神が文字通り、コバーンを”食べている” 
その言葉で書かれているのです。
祭壇は、神の家の食卓、テーブルなのです。
食べちゃいたいくらい、かわいい子!と、日本語の表現に
もありますがまさにその通りです。
以前子供の頃、離れて暮らす、祖母に会いにいくたびに
鼻をかじられた事があって、母に聞いた事があります。
”何で かじるの~?”
”あなたが かわいくて 仕方ないからよ。”
これ、子供の頃は、全然意味が分かりませんでした。
ぎゅっと抱きしめられて、かじられそうになるたびに、
うわ~人食い人種?なんて、思ってました。
そうですね。飲み尽くす、食べ尽くす 焼き尽くす、全部を
受け入れて、あなたが、大事で、大事で、
かわいくてしょうがない!と、神が表現してくださって
いるのですね。
神の訓練のツール トレーニング方法です。
脳回路を、奴隷意識、罪人意識から、リセットさせるためには
五感全部を通して、体感学習をさせる必要があったのですね。