レビ記の一番最初に出て来る、コバーンは、
全焼の生け贄と訳されている、原語では、
”オラー”のコバーンです。
オラーとは、昇る、上がる 上昇する、立ち上がる
起き上がる、言う意味です。
コバーンとは,生け贄、捧げものと訳されている、
ヘブライ語では、”引き寄せる” 名詞と、動詞両方同じ意味で
書かれています。
これは、都上りと繋がりがあります。
例祭の時に、エルサレムに向かって、皆が、何日もかけて、
都上りの旅、お上りさんをしますね。
イエスさまも、されました。
想像してみるのです。皆で、うきうき、わくわく 神の家に
近づく!その道すがら、賛美、喜びが、クレッシェンドのように
だんだん、だんだん盛り上がって来る。
歓喜の極み、至福の時です。
エルサレム=神の家に向かって、皆が上って行くのです。
詩編の”都上りの歌”も、この祭りのために、エルサレムに
上って行く、その歌なのです。
これは、よ~く考えると色々と見えて来る、真実です。
神は、一つ所、世界でたった一つの場所、真実の源
命の源=神の臨在の場所へ、私達が引き寄せられて
いる事を、教えているのです。
自分の本当の姿に、近づいて行く、また、天の現実の中に
引き寄せられていることでも、あるのです。
他の場所は無いのです。
ただ一つの場所!神のもとに、神の臨在、栄光がある場所、
神の家に皆が戻る、昇る 引き寄せられて来るのです。
簡単に書いてしまいましたが、少しこの部分を掘り下げて
考えてみたいと思います。
創世記13で、アブラムが神から言われた事
”14 ロトがアブラムと別れて後、主はアブラムに仰せられた。
「さあ、目を上げて、あなたがいる所から
北と南、東と西を見渡しなさい。
以前書いた様に、アブラムは今まで培って来た、家族の教え、
仕来り、考え方、思考回路、しがらみ、風習の全てから
一切切り離し、リセットさせられ、神の目から見る様に
全てを見る訓練をするために、生まれ故郷を出て、
神の示す地へ、旅する必要があったのです。
そして、東西南北を、神の目から見渡す事をさせられるのです。
東西南北もそれぞれに、意味が有ります。
以前に短い記事を書きましたので、宜しかったら参考に
見てい頂ければと思います。
http://ameblo.jp/echad2010/entry-11557357452.html
ここの神の家、幕屋の中では、”北”に向かって、生け贄を
屠るのです。
何故、”北”なのでしょうか?
”北”=ツフォン=隠されたと言う意味です。
生け贄を屠る事で、”隠されたもの”が、明らかにされるためです。
隠されたもの=私達の本当の姿=新しい人が明らかに
されるのです。
神の言葉、聖書の教えは、一貫していて、全部繋がっています。
同じ事を、創世記から、黙示録まで話しているのです。
オラーのコバーンと言う言葉と、全焼の生け贄とはちょっと
印象が違いますね。
ここで、今まで教えられて来た、西洋人による西洋人の宗教
神学の色メガネを一切外し、まっさらで、考えてみて下さい。
私達は、違う先入観を与えられなければ、そのまま
聖書の神の言葉の言う通りを、最初からインプットして、
こんなに、違う教えに塗り替えらる混乱の中に
脳回路を放り込まれず、そのまま書いてある事、
その神の教えの真意を、知る事が出来たのです。
だから、今アブラムがしたように、世のしがらみ、教え
風習、神学などなど一切神の真理に俗さ無いものは、
捨てて、排除して聖書を読み直す必要があるのです。
オラー=昇る 上昇する 起き上がる、立ち上がる
コバーンの動物の全存在が、神の火で飲まれ、
焼き尽くされるのです。
詩編の都上りの歌を思い出してみて下さい。
遥か遠くから、旅すがらこのエルサレムに、例祭のために
皆で上って来る様子。
これも意味があるのです。
遥か遠く、神に造られた姿とは、遠く遠くかけ離れて
距離が有る姿、場所に住んでいた”人間”が、
神の家=天の御国=神の中=エデン 喜びに向かって
上って行くのです。元居た所へ戻る!
英語の”Rise Up"と言う言葉は、日本語の昇るより
ぴったりな感じがします。
自分の全存在が、本当の姿で起き上がり、引き上げられる!
上って行く、神の臨在のただ中に昇る、
入って行くと言う感じです。
例祭のために、都上り=エルサレムに向かって旅した人達は
この事を思いながら、旅したのです。
引き上げられている=新しい人にされている
事実に向かって、聖なる姿にされている事の、
事実確認とそれを喜びを修復するために!皆で、
それを祝うために行くのです。
私達西洋神学に教えられて来た異邦人は、面倒くさい例祭は
イエスさまの来られた後は、排除と、イエスさまの教えを
塗り替える、勝手な教えが出現し、そして、それが
神の言葉だと、思い込んでいます。
これは、聖書の本当の姿、意味を知れば、宝石をゴミ箱に
捨てている行為、いや、主の尊い教えを踏みにじっている
行為だと分る、そして顔面蒼白になるはずです。
この意味が分った場合は。。。
一番最初のコバーンは、”オラー” 全焼の生け贄と訳されている
本当は、”昇る、立ち上がる”と言う意味の、コバーンです。
全焼の生け贄と訳されている理由は、このコバーンの動物を
全部焼き尽くすからです。
焼き尽くせば、文字通り、煙りが天に向かって立ち上ります。
全存在が、煙となって、天に上って行く様子を、肉眼で見て
確認させられるためなのです。
天に昇る=今既に、天の領域に、神の中に、受けいれられて
喜ばれていると言う事なのです。
自分が、何かして、神に喜ばれているのではないのです。
私達の存在そのものが、神に喜ばれているのです。
~では、神に喜ばれませんとは、私達の姿が、
本来の姿=新しい人、神がどなたであるかを、
正しく認識していませんよ、と言っているのです。
本来の姿から、ずれてますよ!と言う事なのです。
祭壇で、神が文字通り、コバーンを”食べている”
その言葉で書かれているのです。
祭壇は、神の家の食卓、テーブルなのです。
食べちゃいたいくらい、かわいい子!と、日本語の表現に
もありますがまさにその通りです。
以前子供の頃、離れて暮らす、祖母に会いにいくたびに
鼻をかじられた事があって、母に聞いた事があります。
”何で かじるの~?”
”あなたが かわいくて 仕方ないからよ。”
これ、子供の頃は、全然意味が分かりませんでした。
ぎゅっと抱きしめられて、かじられそうになるたびに、
うわ~人食い人種?なんて、思ってました。
そうですね。飲み尽くす、食べ尽くす 焼き尽くす、全部を
受け入れて、あなたが、大事で、大事で、
かわいくてしょうがない!と、神が表現してくださって
いるのですね。
神の訓練のツール トレーニング方法です。
脳回路を、奴隷意識、罪人意識から、リセットさせるためには
五感全部を通して、体感学習をさせる必要があったのですね。