シャブオートの事件に関して、書いていたのですが、
内容が前後左右してしまいます。
人造神学が教える、聖霊が人の中に初めて、降りて来た!と
勘違いされている、シャブオートで起きた出来事は、
私達西洋思索の教えには、見えない事柄満載の事件です。
シグナル!表明!です。
シナイ山の出来事と、シャブオートはマッチしているのです。
今度は、異邦人へ!世界の四隅へ、
トラー=イエスご自身=福音が、運ばれる!
12弟子達が特別なミッションをするための、特別な力が
与えられた事が、書かれているのです。
特別な時に,私達の体の中に特別なパワー、知恵を
与えられますね。
もちろん、思索や、心の中にも。
必要な時に、必要な事が与えられるのです。
火事場のばか力など。
女性の出産時、またはその後に出る、ホルモン。
授乳も、特別なホルモンが出続けるから、
母乳が出るのです。
そして、短い間に深い眠りに陥る事が出来る
事などなど。
12弟子達が与えられた、ミッションは、
これから、イエスさまと過ごして、目で見て、
触り、体験した、生けるトラーそのもの、
聞いた、見た、全てを一字一句、正確に、神の意図通りに
神の霊感により、聖書を書く事!!
こんな、すごい人間業を超えた事を、させられるのです。
そして、異教の神々しか知らない、異邦人の世界へ
生けるトラーである、イエス、救い主を伝えに
初めて、世界の四隅にそれを運び、彼らの中に
入って教える、大ミッションが待っていたのです。
命の危険が伴う様な、ミッションでもあるのです。
事実、最後は十字架にかけられた弟子達も
いたでしょう。
それは、天の現実が、丸ごとそのまま降りてくるような
力が必要だったのです。
奇跡あり、癒し有り、何でもありの世界、イスラエルの神の
現実を、人々に見せて、体験させ、トラー=イエスご自身の
実態にひきつけるためには、丸ごとスゴい力を神の霊の力を
与えられる必要があったのです。
全員が、こんな大役を、与えられた訳ではないのです。
そして、イスラエルの失われた羊=イスラエル
その人達は、今度は、異邦人へトラーを教える
その役目があり、私達信じた一人一人も、
トラー=イエス御自身を、地の塩、世の光=トラーの契約を
内に持つ者達として、天の祭司として、今の場所で
トラーの鏡で、栄光を映し出しながら、生きるように
呼び出されたのです。
聖書を、創世記から、黙示録まで一つの書で
どこも、矛盾も相互いに反する内容もゼロだと、
認識して読む、そして、神の目から、神が見ている通りを
見る事を、始めると、今まで西洋人の神学で教えられていた
色眼鏡を通してでは、見えない事が、どんどん明らかに
なって行くのが分ります。
西洋ローマ宗教神学は、シナイ山の場所まで来て、
そこで止まっている、終っている感じです。
なぜならその教えの中心が、”許され続ける罪人のまま”
止まりだからです。
聖書には、エジプトから出て来て、奴隷意識=古い人が
いきなり購い出され、救われ新しい人にされた事が
書かれているのです。
そして、新しい人になったので、そこで初めて、
トラー=イエスご自身 私達の姿が書かれている
天から降るマナ=新しい人の食べ物であるものを
与えられたのです。
そして、荒野で神の声だけを 聞く訓練をさせられるのです。
ヘビの声も、見分ける訓練!
これを、古い人意識のままで、読むから、律法主義に
陥るのです。
モーセが、神の力により、紅海を二つに割った場面で
言った言葉は何でしょう?
もう、誰に命乞いをしたら良いのか、絶対絶命の危機に
陥ったイスラエルと一緒に出て来た異邦人達!
想像したら分りますよね。。
自分の命を狙う、追っ手が迫るのに、前は海!!!!
誰か助けて~~~~!!!!
Exd 14:13 モーセは民に言った、
「あなたがたは恐れてはならない。かたく立って
主がきょう、あなたがたのためになされる”救”を見なさい。
きょう、あなたがたはエジプトびとを見るが、
もはや永久に、二度と彼らを見ないであろう。
この青字の所が、”イシュア”=救い 私達が日本語読みでイエスと
読んでいる言葉と同じ言葉で書かれているのです。
救いは突然、あの十字架で!ではないのです。
永遠から既に有った事が、分れば聖書が見えて来ます。
その救い出された人達が、今度は、新しい人!
今まで未体験のID姿で生きる事を、荒野で学ぶのです。
ちょっと書き出してみます。
私達は、何だかんだと言いながら、西洋神学の物差しに合わせて
聖書を読んでいます。
聖書
1 人の始まりは、永遠の時 神の中
2 救いは瞬時 どの時代もどの人も どの国民も
同じ、神ご自身が内側に住まわれていた
神に分け隔て、差別、えこひいきなど ないのです。
同じトラー=婚姻契約の中に、イスラエルも
そして、信じた人たち 異邦人も同等に
加えられているのです。
3 エハッドの神=一つ以上で待ったく切り離せない
一つの神
神の働き 契約の愛は どの時代でも同じ
救い出された人々も、永遠から永遠まで
一つ 人種は違えど 同じ契約の中に入れられた
一つの体 それぞれの部分はユニークで違えど、
全員で、一つの体
4 救いを受けとった人は、この世にありながら
既に、修復された神の造られた元のID,姿 実質
そして、今地上に在りながら、この世の者でない
天に存在する者になった
5 聖書は一つ、神の言葉は永遠から永遠に変わらない
神ご自身も人に対する対応も、国籍に関わらず同じ
西洋ローマ人造神学
1 人の始まりは、この地上の時から
2 救いは 十字架以降 それ以前は特別な
選ばれた人だけ
ある人々は、イエスさまがこれらる前に居た人は、
救いがあるのか、ないのか分らない。
何だか、気の毒不公平。
遅く世に出現した方が、良かったのか。
3 三位一体 それぞれが ばらばらの人格
ばらばらに出現する
これにより、イエスさまがこれらた後は
聖霊の時代、聖霊の働きを強調する。
強調しないと、違和感がある。
これは、宗派や、教派によって それぞれ
解釈が違うと思います。
そして、教会が時代ごとに、種類が違うと言う教え。
これは、完全に人造の教えです。
私たちは、永遠の時に神の中に、一つの体として、造られた事が
書かれている、そして、主のエハッド性を
知れば分ります。
エバもアダムの体の中から、出てきたのです。
4 救われたけど、罪だけ許されて、相変わらず
罪人、汚れ染み 咎は消せない。
同じID 天国行くまで 実態は罪人の性質、姿で、
修復されたIDは、将来受けとるだけのもの。
5 旧約聖書は終った、 トラーの教えは破棄された。
イエスさまが、来られたので、古い教えは終わり。
トラーは、律法で、堅苦しく人を縛る、呪い的な教え。
この西洋神学に関しては、私自身がそう教えられて、
思い込んで来た事です。
それぞれの方により、受け取り方の内容も違うと思います。
これから、レビ記の幕屋の中、神の家 神殿での儀式を
少し解説したいと思います。
私達が、教えられて来た事と、全然反対!
いや その内容さえ多分ご存知の方は、少ないと
思います。
この神の家で、出エジプト 奴隷状態=古い人でいた人達が
神の家に住まい、新しい人の姿になっていることを、
とことん、レビ族の祭司と、アロンの家系の大祭司により、
教え込まれた!
そして、楽しい 修復 和解、喜び!の宴!!!
詩編を読んでも、何処を読んでも、賛美はここから
生まれている。
コバーンの儀式を通して 生まれている事に
気がつきます。
なぜなら、新しくされた人を、心の底から喜び歌って
叫んでいる事が書かれている。
そして、ここで初めて本当の自分の姿に
されているその現実に、神によりその姿に
引き寄せられている事を、教えられるからです!
感謝の生け贄を捧げよ!と訳されているあの言葉!
何だと思いますか?
新しい人になっている=コバーン=あなたの本当の姿
その感謝の姿=新しい人を、わたしに喜び歌え!と
言っているのです。
次回へ続く