トラーを、教え、その実態に生きれるようにされた事を知らせに来た イエスさま | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

前回からの続きです。
私達が、教えられ続けて来た、一般的な思索とは
大体次の様な教えだと思います。

1 イエスさまが、地上に来られて、トラー
=律法と誤訳されているを、生きたので、もう厳しい教えは
呪いの教えは終った。
それゆえ、新時代は、新しい福音と、新しい教えで自由に
なった。

2 十字架に掛かって、昇天された前の人は、救われない
神の霊も人の中に住まわれていない。
聖書に書いてあるのは、特別な選ばれた人、預言者などだけが
それを、特別に頂いていた。

3 古い人は過ぎ去り、全ては新しくなったと言われた
イエスさまの言葉があっても、罪が許され続けるだけで、
自分の実態は、罪人のままで、不完全。
その状態は、天国に行って、新しい体をもらうまで、
変わらない。

4 神の中に居て、自分の内側に、神の霊
=ルアフ ハ コデシュが住まわれていると言いながら
天の現実の中にいるとは、信じられていない。

5 三位一体と言う言葉で、言われている神と言う存在。
でも、中身は、それぞれが、それぞれの性格、人格
働きがあり、バラバラ3人いる意識。

原典聖書には、これとは、全部逆のことが、
書いてあるのです。
イエスさまも、許され続ける不完全な罪人やら、
聖霊、父 子なる、分断思想の神やら、
トラーは終ったなどと言う事は、教えては居なかった事。
もし、トラーが終わりと、言うならば、それは、
福音の内容とは異なり、イエスさまが、失われた
イスラエルの羊の元に来て、教えた事とは、
相反する内容に、なってしまいます。

2世紀に、西洋ローマ宗教が、異邦人の手により造られた時、
その教父全員が、異邦人そして、イスラエルのトラー学者は
一人も居ませんでした、当然のごとく。
ヘレニズム思索の、人々により、意図的に、ヘブライの人達の
トラーの教え、ヘブライ色のある全てを、そぎ落として、
改良されて造られた、宗教だったからです。

だから、シャバットもないし、例祭もないし、食べ物や
割礼の教えも、ユダヤ人のものだけと言う、非聖書的な
教えを、刷り込まれた訳です。
しかも、神の言葉は、変わる、時代ごとに、神の働きは違う
古代のカハール=エクレシア 呼び出された人々と現代と、
未来では違うという、反聖書的な分断思考。
極めつけは、旧約新約と言う聖書分断。
これは、以前書いた、マルキオンと言う、異端者の
教えを、西洋ローマ教会が取り入れたから、
その意識を、私達が、刷り込まれて来ただけで、
神の言葉でも、教えでも何でもないのです。

歴史の中で、浸透して来た、大衆言い伝えの、力とは
大きいものです。
でも、大衆の意見=真実と言う図式は、必ずしも正しくは
ないのです。
多数派=真実ではなく、神の言葉だけが真実なのです
ノアの様に、たった一人、あの時代に、神のトラー、まだ
文字で書かれていませんが、神の言葉を、語って伝えて、
警告を与えていたのです。
あの時代に、トラーの教えに反応し、神の警告を
固く信じた人は、居たのでしょうか?
たった一人だけ!ノア一人だけだったのでは、
ないのでしょうか?
大きな示唆が、この教えの中にあると思います

私達は、西洋宗教の神学の目を通して、
その教えに照らし合わせて物事、聖書を見ている事。


人造神学に、照らし合わせたら、神のトラーだって曲がって
見えて来ます。本当に!

神の言葉=トラーが、異端視されるなんて、変ではないか?
と思わないと、その方が変ではないのでしょうか?


神の言葉を塗り替えた、西洋人の作り出した宗教など
本当は、あってはならなかったものなのです。

トラーは、分断思想、反聖書思想の西洋人の書いた、
西洋書ではなく、イスラエルの神の、ヘブライ人による
ヘブライ思想の、神の姿、トラーなのです。

イエスさまが、何故失われた羊以外の所には、遣わされて
来なかったのか、分ると思います。
人の固定概念を、がっちり造られた脳回路を、
突破する事が、どんなに困難か、時間がかかるのか、
その事を考えただけでも、如何に大変な事か分ります。

長~~~~~い間、自分自身も、一寸は変?と
思いながら、何がどうなのか、分らないが故に、
さほど、”変”と思った部分を、追求もせず来た事を思うと
ああなんて、盲目のまま居たのかと、今は分ります。

日本人の歌舞伎が、その舞台上演の場で、
ロシア風やら、アメリカンに変わっていたら、すごく変!と
すぐ分る事が、聖書に関しては、
使徒達のように、古代のヘブライ人のように、
その中核のトラーの教えが、分らないから、
変と、見分けられない。
ヘブライのイスラエルの神なのに、西洋色満載の、
頭に浮かぶのは、ヨーロッパの聖画で見る
イメージ、または、アメリカの教会スタイルの
あのような、イメージでも、違和感なし。
そして、それぞれの国に、教えに来た西洋宗教の宣教師達の
文化背景も混ざり、更に改良された聖書の教え。

反聖書的ヘレニズム思索の、分断神思考の神像、トラーは、
終ったと教えられ、聖書の教えの、一番大事な部分、
トラーをそぎ落とし、殆どトラーの内容を知らないまま、
西洋人の作り出した教えにより、
何をどのように変えられ、すり替えられて、オリジナルの
ヘブライ原典聖書の中に書かれてある内容と、
どう違うのか、分る術も無いと言う事なのです。

私達が聞かされて来たのは、西洋宗教の教えに
色塗られた、教えです。

部分的には、真理、部分的には、真理と、非真理がミックス
ある教えは、完全に聖書とは、逆の只の人の教え。

だから、見分けづらい、見分けられない。
本物札を知らない場合は、偽札が見分けられないのと
同じ現象が、起こるのです。
トラーを知らなければ、新約聖書の、イエスさまの教えや
たとえ話など、本当の意味で理解出来ないのです。
何故なら、全て100%トラーの教えを語っているからです。

それ以前に、イエスさまが来た当時も、
イスラエルの人々達でさえも、神に造られた
人間という姿から、遥か遠くにかけ離れた姿=失われた羊の
状態で、生きていたと言う事。
そのイスラエルの民へ、文字に書かれた本当のトラーの姿
肉体を取って来られたトラーを、イエスさまが、
御自分の民=イスラエルに、伝えるのだってあれほど 
反対や、攻撃に合ったのですから。

聖書を読むと分りますが、同じトラーを読みながら
当時の聖書学者達(トラー学者=律法学者と約されている)
さえ、ズレた考え方を、捉え方をしていた事が分ります。
今でも同じです。
当時の、ユダヤ教と、今のユダヤ教では、全然内容に
違いが有ります。
そして、現代では、ラビの目を通した、解釈しか、
してはいけないと教えられるので、ある部分が、
とてもズレているのです。
プラス、まだ救い主は来ていない、別の救い主が来たとか
さまざまに、ズレている。
そう考えると、目が開かれていないままいれば、
聖書の語る意図が、分らなければ、原典聖書を
読む人達でさえ、真理から、簡単にずれるたまま、
行く事になるのが分ります。

それ以前にトラー=神の言葉=神御自身の姿を、
知らない異邦人達。
その様なトラーの教えの予備知識ゼロ、下準備ゼロの、
脳回路ゼロの分らない人達の所に、イエスさまが
いきなり行っても、話している内容も、
現実もキャッチ出来ないまま、
豚に真珠状態に、なってしまうと言う事だったのでしょう。
受けとる準備も、心構えもない人達の所へ、行っても
無駄な時間と、無駄な労力を使い果たして、
意味がなくなってしまいます。

だから、まず、トラー=契約を受け取った、イスラエルの
人々の所に、イエスさまは遣わされて来たのです。

そして、イエスさまが選んだ使徒達は、その中でも
残りの民=神のトラーを知っている、生きていた、
そして、まっすぐに反応、受け取る準備が出来ていた
即戦力の人達だったのです。
よくちまたで、弟子達は、無学の人達と言われていますが、
それも、誤解です。
彼ら、ヘブライ男子は、普通にトラーを知って学んで
居たのです。
特にペテロなど、網元の家のお金持ちで、知識人。
彼は、キリスト教会が作り出したイメージとは
別人で、特待生=タミハハーンと言う、イエスさまの
片腕、一番弟子 弟子の中で、リーダーだった人なのです。

しかし、その使徒達でさえ、さまざまな思索の変更!全取っ替えが
必要な状態だったのです。

トラー=神の現実、姿、自分の姿を、神の目から見る様には、
100%理解出来てなかったからです。

イスラエルが選ばれたのは、その様な理由=トラーを
与えられた国民、それを、知っている、代々トラーに
生きる事を、ガ-ドしている人達、代表となったと
言う事です。

そして、その祝福を、今度は全世界へ分け合うために、
代表として、選ばれたのです。
神が、不公平だからではないのです。