エルサレムに存在する、地上の神の家に仕える祭司は、
レビ族と、そして大祭司は、アロンの家系の人のみです。
100%家系、生まれ、神の選びです。
そして、信じる者達全ては、天の神の家に仕える祭司です。
今現在、天の幕屋=神の家の、大祭司メルキゼデク
の系列に繋がり仕える、祭司達=聖なる者達なのです。
私達の本当の姿、IDは、人間の教え,神学が、
何と理屈付けようと、
神は”あなたがたは、聖なる民”と言われる、
そう書かれているのです。
違う様に、書かれているように、見える箇所は、
誤解して読み込んでいる、翻訳が違うか、
または、私達が、読み方が分らないかの、そのどれかですから
注意して、詳しく調べる必要があります。
主の真実が、永遠に、固く立ち、
神の真実、真理に属さない、人の教えは、
いずれ退けられる時が、来るのです。
私達が、注意深く、神の言葉は、変わらない事を、しっかり
知る、信じる事。
この点を、変えないで、読み続け、受け取りつづけないと
ならないのです。
ここが、分かれ目です。
自分の感覚に頼るのか、神の言葉に信頼するのか。
天国に行くまでは、この世の体にあっては、
実は、許され続ける不完全な人、罪人と言う
人間の教えを、信じ続ける場合は、迷う、見えない、
混乱する、部分的にしか理解出来ない、
究極は、神の至聖所での、究極の交わりの極意を
体験しそこなうのです。
なぜなら、その偽の教えが、私達をどれだけ、縛り付けるか
神に、これ以上ない、究極の近さに引き寄せられている事、
大胆に近づけれていける事実を、覆い隠し、阻むからです。
そして、人は、自分の自己像に、ぴったり沿った生き方しか
結局は、出来ないので、罪人意識という箱の中から、
飛び出して、羽ばたけないままいると、言う事だからです。
これは、コバーンの儀式に意味に、深く繋がる内容なのです。
サタンは麗しく聞こえる教えを作り出し、体よく私達を
その宗教の箱の中に閉じこめ、本当の私達の姿、今の現実を
知らせない、そういう妨害をし続けている事を
知る必要があります。
聖書は、西洋歴史年表の様に、きっちりこの世の
タイムラインに沿っては、書かれていません。
あちらへ飛び、こちらへ飛び。
そして、極めつけは、さらに、人間の時を外れて、
書かれています。
人の時の外、圏外、永遠、人の時空を超えた、真実、事実が
書かれています。
主の世界、創造物 全宇宙は、永遠の中、永遠の何も
ない時から=ミケダム、神ご自身だけが、
存在するその中に、まず、主の中に、私達は、造られ、
存在していたのです。
このコンセプトが、抜けていたら、見えて来ないです。
始まりは、永遠からなのです。
永遠から始まり、永遠にたどり着くのです。
人間の時は、その永遠の中に存在する、
この世界の、今なのです。
翻訳では、決して見えませんが、その知識があれば、
翻訳聖書の中にも、その事実を、発見する事が
容易になるのです。
離れた場所にいて、神が外から、その創造物を
眺めているような、意識を、刷り込まれて来ましたが、
聖書には、そう書かれていないのです。
だから、天と地がつながって居る。
一つの水を、天と地と、分けられたとあるように。
既存の、西洋思想の年表上に、沿った物事の眺め方、
捉え方をしては、見えない部分、捉えられない部分が
多く出て来てしまいます。
しかも、聖書に書かれている事、内容は、人間の頭脳で、
今までの、意識の範囲を、遥かに超えているので、
理解出来ずに天的領域の事実を、
人間的な理屈、理解で、説明出来る範囲の、事柄として、
人間の限られた頭脳、理解の箱に閉じ込め、
その中から説明しようとするので、神の言葉の真理から
ズレた、歪む、違うもの=人間の作り出した教え、
人造神学が、生み出されて、聖書とは、違う教えに
になってしまうのです。
私達は、西洋思想や、西洋神学が、教え込んだ、
人間の教えを、あたかも神が、語っている真理のごとく
取り入れた見方ではなく、オリジナルの聖書に戻り、
神の言葉を知り、学び直す必要が、あるのです。
人間の神学ではなくて、み言葉を、知る、学ぶのです。
神のオリジナルの言葉通りの、神の目からみる、
ヘブライ思想、思索によって書かれた通り、
ヘブライ思索で、ヘブライ思想で、書かれた聖書を、
もう一度眺め直す、調べる
必要があるのです。
聖書には、この世の時を、外れた、out side Time,
永遠の時からの事柄、書かれている事。
これは、聖書を理解する上で、大きな鍵となります。
このヘブライ的、思想から、神の目から、神の書かれた
言葉を、神の見る通り、そっくりそのまま捉える、読む事を知る
そのような訓練を、し続けて行く必要が、あるのです。
そうすれば、人間神学が教える事とは、全然違った、
神の真実な世界、人間の教えの混ざり物のない、
神ご自身の、どこも変化も、修正も、付け足しも、
差し引きもない、削除もない、全く同じ1つの福音が、
語れている事に、気がつくのです。
そして、その永遠の中に、もう完了の業はあり、終っていた!
完了していたのです。
天の領域で、完了していた業なのです。
永遠の時から、血潮の業、購いは完了して、
存在していたのです。
人間的には、決して、分らないかもしれない、
しかし、神のされる事を、神の目から見る
神が見られている通り、そのままを見る訓練!
訓練!思考回路を、ゼロから、まっさらに
リセットして、キリストの思索で、聖書を、読むのです。
そして、その完了の血潮の業が、この世の、
人間の歴史のあの時に、取り出されたのです。
そして、どの時代の、どの国の人々へも、
その完了の業が、取り出され、表明され、
提供されている事実が、書かれているのです。
永遠の領域から、この世の時へ
その事実が、取り出され続けているだけです。
永遠から、存在していた、完了の業、その事実を、
引っ張り出して、この世界で、見せたのです。
ある時点で、全世界が肉眼で、見るために、
創世記の様々な、出来事、出エジプト脱出劇あり、
シナイ山の出来事あり、十字架の完了の出来事あり
そして、シャブオート、全世界の四隅に、
それまで、トラーは、イスラエルの神の救いは、
ユダヤ人に対してだけと思っていたものを、さらに異邦人へ
神に造られた人類全てに、同等に、トラー=初めの愛
=契約=主御自身が、始めて運ばれる出来事であり、
どれも、ひっそり暗闇で行われ、表明された事ではなく、
全世界へ向けて、一世一代の出来事として、主が、
完了の業を、表明するために、全ての創造物は、
もう既に、買い戻され、主の手に戻った事を、知らせるために、人間の歴史のその”時”に表されたのです。
ある時まで、救いがないとか、十字架まで、救われない
神=ルアフ ハ コデシュ=神の霊は、人の内側に
住まわれていない、この世にある体が完全になるまで、
結局は、人間はまだまだ不完全な、許される罪人のまま、
天国で、受け取りましょうの世界とか、
そして、神と神の言葉は、あちこちで変化するとは、
それは100%人間の教え、思考回路、 ヘレニズム人間思想
反聖書的思想です。
この世の人間的理解の枠を出ない、自分の理解出来る
形に、変えたもの、神の真理に属さない、
只の人の作り出した教えです。
そして、信じる者は、今現在、感じなくても、天の神の
御座にの前居る、そこに存在する、それが、分らない場合は、
何が書いてあっても、神の声とは、ズレた、違う捉え方を
してしまうのです。
長くなるので 続く