昨日の記事、”新しい人”の私達。
そして、私達は、神の真実、神の真理の中に存在しない場合、
毒の考えが実際脳と体に毒の悪影響を与え、ダメージを与える。
殆どの病気さえ、悪い思想、考え、私達の意識から来る事。
なぜなら、脳から過剰なホルモン指令、ケミカルが放出
され、体に異様なストレスを与え、その結果、癌も、潰瘍も
その他の病気も発症するメカニズムも解明されつつあるでは
ないですか。
だから、人が互いに傷つけ合い、本来の神に意図された姿
一体で仲良く暮らせない場合は、どこかで歪みが出てる、
痛みが出るのです。
人は、神の真理、神の中、本来の姿以外で存在する事が
出来ないように造られているからですね。
神の中 神の真理に存在する=これは修復された義とされた
姿以外にはないからです。聖書は一貫しています。
これが許され続ける修復以前の人だと、聖書と相反する。
つじつま全然合いません。神の真理姿性質と相反する教え。
雪よりも白く、ひとつの非も染みもない私達。
見よ全ては過ぎ去り全ては新しいと書いてある。
神がそう言われるのに、人は多くの理屈を作り出す探し出す
とはまことに真理 神の知恵の言葉です。
元の姿以外の何ものでもないです。
十字架の業=神の中=エデンの中に元の姿で戻る為にそこに
戻るための全てをして下さった!この事実が十字架の血潮の業。
それこそ、十字架の業を唱えながら、実際は血潮の業を
台無しにしている事だと気がつきます。
十字架の業とは完了の業 聖書の初めに出て来る
シャバット!もう付け足すものが何もない業。
その中にある血潮の業=神の中に元の姿で修復された
その事実そのもの。それが完了の業 十字架の業。
だから、本当の意味で十字架の業を全部受け取りたいのなら
丸ごと神の血潮の業を現実の実態あるものとして
丸ごと受けとる。新しい人になった事実を受けとる。
たとえそう感じなくても、そういつも今行動できなくても。
部分的受け取りではなく、完了の業を丸ごと受けとる。
これを拒絶しないなら必ず、発見、体験する事ができます。
拒絶ではなく、ピンと来なくても感じなくても本気で受けとる。
信じる事を始める、疑いが出て来る時はすぐ神の言葉に戻る。
神の言われる通りを信じ、続ける。
人の教えの箱の中に閉じ込められないために。
聖霊の働き聖霊の満たし、聖霊の導きと強調し、
口では唱えながら、その実態である、聖霊の満たし=バプテゾー
=エデンの中=神の中でどっぷり生ける水に浸されて生きる
事実を受けとる事結局人間の教えを優先し、拒絶している。
聖霊の導きは、その生ける水の中の流れに浮かんだ時最大に
神が働かれるからです。そう全てを神が支配している。
自分自身も神を知らないままいた時も、神により導かれていた。
それを自分の側では知らずに生きて来た。でも今は神救い主を
知って、さらにその向こうの扉!神の至聖所で究極の親しさ、
神の声の中に直にいる事を知った。修復された人として。
これは生きる上で大きな差!黒と白くらい違う。
神の外に居る意識、神の中=エデンに生きる違が
何たるかを,実際に体験する事なのです。
神の中にある事が分るのと、分らなかった時とでは、アバ主と
の係わり出会い触れ合いが全然!違う世界。
そして、人は自分の方法で腹の底にある神から与えられた
ニーズ願望=神の中に戻りたい、本当の自分に出会いたい、
他者と神と究極の親しさを味わいたい、それを知らないまま
探し続ける。たくさんの代替えや、人の作り出した教え。
人間の教えの枠、箱の中だけで探し続けて行く。そして、
あの弟子がイエスさまにそちら側ではないよこちら側に網を
おろして!と声言われたあの声を聞き分ける訓練をし続ける。
別の場所で、別のやり方=自分の手の業で探し続ける。
聖霊の業=血潮の業を無視しせず、
拒絶せず、受けとる!そのまま受けとる。
”わたしはまだ許され続ける罪人です。”と言い続ける事を止める。
感じなくても、神の目から自分を見る。神の言葉の方をとる。
”古いものは過ぎ去り見よ!全ては新しくなった。”を
そのまま固く固く信じ続ける、宣言続けるのです。
許され続ける罪人のまま=確信の根拠は人の教えに
基づいてます。完全に神の言葉を
塗り替えた人の教え=ヘビの教え、語り継がれる塗り
変えられた混ぜ物した、偽のの教え。私達の本当の姿を
分らなくさせる太古からの手口と同じです。
謙遜に宣言して実質は神の完了の業を拒絶しているだけです。
神の真理は語らないでいる事=この世の闇の王国の
支配者の教えを声を、神の言葉とすり替えさせて、
語らせられている事に気がつきませんか?
ヘビ=騙しの教えです。
自分の言葉で言い表している信じている内容を書き出して
見ると、自分は何を本当の信じているのかその内容が
見えます。
それは聖書的な事なのか、それとも誰かの作り出した神学教えに
沿って学習して来た概念思索心情信条なのか。
そして、神の言葉が言うように、聖なる人になったと
言われても自分の姿見ても、”完了””修復された”と
感じられない。魔法使いサリーちゃんのあの棒でエイッと!
一気に全部変身となってないから。まだ、この世にいるし。
でも、中身の新しい人は既に取り戻されていたのです。
自分の感覚や、経験や人の作り出したもっともらしく
聞こえる解釈神学ではなくて、神の言葉を取るのです。
分らなくても。
その時に神の言葉ー完了!罪咎汚れなし!
新しい人になったと言う神の言葉ではなくて、実は人は
”自分の姿”の方=その人間の神学 教えを取っているだけ。
その姿、人間の教えに照らし合わして
物事を考え信じ込んでいるだけ。
逆をするのです。感じられなくても、今常に
そう行動できなくても、神の言葉の方を常に取る。
誰かの教えに沿って神の事実を曲げて、別の教えを
信じ込まない事。
完了の業はもう完了!終了なのです。
なぜ神の言葉をそこまで、本気で取ろうとする事を
ヘビに阻まれる必要があるのでしょうか?
将来その姿を手に入れるとは人の教え、
人はさまざまな理屈を作り出して行くとは本当です。
伝道者の書
神の形に似せて造られた人の姿、神の姿のコピー
単純にして深い真理。
そして、最初の最初のエデンの園でつかれたヘビの嘘。
アダムとエバは自分達が誰か?と言う事を忘れさせられた。
疑わせた。まだ完全な姿ではない、何か神が隠して、足りない
事 付け足す事 知らなければならない事が残っていると
騙された。
現代の今に至るまで、その同じ嘘 不真実により騙されて人は
あの聖書の最初に書いてある、忠告!神が忘れてはならない。
あなたは誰かと言う事を、今も忘れさせようとする声。
その神の声教えとは違う教えに気持ちを注ぎ込み、伝え合い、
その意識を作り続ける=Toxic Thinking毒の思索だ分りました。
うるわしく見えても中身はヘビが飛び出して来る。
そして、ヘビは人間に何をしたと思いますか?
分離 破壊 侵入。特に分離を考えてみて下さい。
神から離れた場所へ追いやる、人と人とを仲違い
関係の破壊、そして神との究極の近しさ睦さの関係を破壊。
このヘビの嘘の元である分断思考 ヘレニズム思考は
まさに、この世の闇の教え。
神を分断する思考思索もその一つ。
時代毎に神の働きが違う、怒りの時代恵みの時代聖霊時代。
これ神の思想ではないです。完全に人の教えです。
それを強調する事も。太古も今も神の言葉は変わらないのです。
神の姿も働きも変化なしなのです。
太古の人間が今と同じだと信じられない場合は 進化論かも
知れませんね。神が変わる、言葉が変わる、働きが変わると言う
進化論。同じニーズ 同じ構造 同じ人間なのです。
そして、神の中に修復されたのに、分離させられている意識。
だから、多くの人は神の中に戻った事実を口で言いながら
実のところ体験していない。本当の修復された本当の自分にも
未だ出会っていない。だから、遠くの神意識、究極の親しさ
湧き上がる喜び持続しない、怒濤の様に生ける水が
川川のごとく、常に自分の内側から湧き出て来ない渇く
を経験するのではないのでしょうか?
生ける水の中に浸っていたら、渇く事なんて本当にないのです。
神がそう言われている通りになる。
”この水を飲むものは決して渇く事がない”
渇く事があれば、その水を飲み続けていない事になるのです。
聖書には神は私達に人間が分る
ような絵画的言葉、そう神の口とか息水、血とか、父子など
私達人間の姿で分る言葉で表している。
だから 神に私達と同じ口がある訳ではない。
父なる神が子なる神を生んだのでもない。
だから、生ける水を飲むとは、実際喉が渇いたら、
冷たい水を飲む時の、あの癒され感!潤い感が想像できます。
それと、同じ事が神の中=聖霊の現実=エデンに浸り
そこから意識がはみ出さないなら、渇く事がないと言う事です。
それは真実だと宣言する事が出来ます。エデン=神の中から
はみ出ないで、その生ける水の中にどっぷり浸かり続ける
事が分り、その中に留まっているなら。
神は一つ一つ以上で全く一つと書かれている。
聖霊だけを強調する教えは聖書的ではないし
聖書には実はそう書かれていないのです。
聖霊=神は永遠からおられるのです。一つの神として。
古代ヘブライ人は、父と言えば 子=霊と丸ごとと
考えるそして聖書はそう書かれているのです。
だから、分離思考はいわゆる 神の真理に属さない
敵の世の教えです。だから人も一体に造られていたのに
その仲を壊された。神は一つ以上で全く一つなのに。
だから、一つ事聖霊時代とか聖霊を強調する神学は
神のEchad性を無視、分けたい 複数の神意識、ばらばらな
エハッドではない神意識を刷り込む神の世界とは違う
人間の神学なのです。分断思想=ヘレニズム哲学=
反キリスト、反神 反聖書哲学なのです。
イエスさまが生まれる330年前くらいから、中近東に
生まれた、反聖書、反神 反神の創造物、
分断思考です。体と魂と別れている意識はそこから
生まれ、ギリシャ語の翻訳聖書にも多大に悪影響を
与えています。体は悪く、魂は優れている意識なども
ヘレニズム思想です。神は私達を丸ごとの存在
=ネフィッシュとして造られた、どこも神の尊い
創造の姿なのです。
そして謙遜のように聞こえる、”恵みにより許され続ける罪人”
神学は神の中にいる現実から飛び出して、神の中に
修復されている事が確信を持てない場合、やはり、砂の上に
建てた家、鏡の前を離れて本当の姿を忘れる人、
悪い地=古い人で耕す人なるのです。
神の真理から飛び出したら絶対に渇きます。
ちょろちょろは時々は潤うかもしれません。
神の真実 真理 トラーに触れる時は。
でも根がないから継続しない。
エデンの中の良い畑で耕さないものは枯れるからです。
聖霊は神の真理の中、神の中にしか存在しないからです。
そして、神の真理以外の教えは、分らないように、私達に
影を落とし、神の圏外へ私達の意識を追いやり、迷わせる。
だから、世界はこんなに分裂混乱しているのでしょう。
全部逆をするのです。
新しい人になった事を受け取り、神の園 エデンの新しい
脳回路で、神の言われる通り、永遠に変わらない神の言葉
神の現実を考え続けそこから、人の教えに照らし合わせないで
考え続ける人は、生ける水が川川のごとく流れ出るを
体験するに至る事になるのです。神が約束された通りに。
長いのでここで 切ります。
続く