私達は誰か? 神に造られた人の姿 ある脳科学者の回想 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

私の今書いている記事の続きの合間に、以前紹介した
オーストラリア人の脳科学者Dr.Leafの記事を載せてみたいと
思います。私達人間は神の言われる通り、神の真理の中
以外に存在出来ない者だと言うことが分ります。
そして、神の中以外に存在出来ない、つまり
許され続ける罪人と言う人造神学、人の教えとは違う事。
その状態では、神の中に存在する事が出来ない事が分ります。
人は、慣れ親しんだ考え方にどうしても偏る。
そして、自分の脳回路で処理出来ない事柄、事実を
自分の経験や理解の範囲内だけで、考えようとするから、
神の言葉のように、体験未知、理解不可の世界を曲げて
神学という人間の教えの箱に窮屈に閉じ込め、説を
作り上げてしまうその弊害を、常に考えなくては
いけない。神学や、人の教えではなくて、聖書を
直接知らなくてはならない事痛感します。

以下が、科学者の発見した、私達人間がどのように造られて
いるかと言う記事 そう元の姿=神のイメージそっくりに
創造された人です。


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自分自身を神の姿 イメージにそっくりに造られたと言う事を
考えてみた事がありますか?
創世記1:26
神は言 われた。
「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。

私はこの事に関して、何年もの間考え続けて来ました。
特に医療の世界で患者さんと関わる時にです。
患者さんが来られて、沢山の書類を荷物の中に携えてくる。
その書類には、学習障害だの、感情の問題だのと検査されて
その診断、鑑定結果が入っているのです。

彼らが通って来た事柄を診断する、健全な
診断方法を用いているのですが、それを駆使して、
診断する訓練を受けていますが、彼らを診断する際に、
それらの人の表面に出て来た問題と言う部分を掘り下げて、
その人の本当の姿と問題自体を分けて見るのです。
本当は元々、どういう人間として神に造られているのか。
どうして、今の様なその人の状態になってしまったのか
掘り下げてみる必要を感じています。
そうした上で初めて、その患者さん達を助ける事が出来る事を
知っています。

私は研究分野で、神が私達を”完全”な存在 神の姿 
イメージにそっくりに造ってくださっているその事実を
教えてくれる筋、方向の研究も追求しています。

私達の今の姿にマイナス面をもたらした、人生の出来事は、
自分で自ら選んだ行動、結果であるかもしれない。
環境や回りの出来事に対しての自らの選択または、
コントロールのしようが無かった自分の身に起こった事柄など
に対する反応、リアクションなど。
でも、これらの事柄があるのにも関わらず、
私達は元々神のイメージ姿にそっくりそのまま造られていた。
そして、それが私達自身の本当の姿であるのです。
そして、私達の中核 存在の原点は神の完全な姿に似せられて
そのイメージ通りに造られた事!これを知る事が自分が今の
ような姿から離れるスタートポイントになる事なのです。


伝道者の書 7:29 
私が見いだした次の事だけに目を留めよ。神は人を
正しい者に造られたが、人は多くの理屈を捜し求めたのだ。

ヤコブ 1-3
ピリピ4:4
いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。

私の科学研究の分野のこの事実が同等のケースとなる事も
発見しております。
私達の脳と体はTOV=神の意図した
通りの事=良い事だけを考えるように造られている。

そして、それが人に取って、健康な状態であること。
ヨハネの手紙3 2節
2 愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているように
すべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。

そして害毒TOXICな考えは、脳自体に同じ病的影響を与え、
体と脳にダメージを与えて行くと言う事実。
科学の領域において神についてもっと理解をする事を助ける
色々な手がかりがあり、科学の発見も神を知る事に繋がる
道具として用いられて行くのです。

あなた自身が自分を恵みにより救われた惨めな古い人罪人と
思い続けるのではなく、あなた自身が、人生で悪い決断やら
行動をしてしまったけれど、本当は素晴らしい神の栄光
が現れるよう創造された人、イエスキリストの恵みにより
恵みと許しと聖めを受けとった者である事を考え続ける。

ここが神の事実と、科学が合致、一体として合わさる場所
なのです。私達は愛を追い求めるように造られている。
神の臨在の中で神の姿を生きる練習をする時、それは
愛であり、完成の姿なのです

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科学物理生物どの世界の発見も、神の創造の真実、神の真理の
発見であること。これらが、神の世界を証明し続けてくれる
手がかりともなる事。神の性質は神の創造物を通して
現れるように出来ているのです。
天は神の栄光を告げ知らせとあるように。
余りにも、世の教えは、ただの人造の教え、
ヘレニズム的分断思想で、神の真実が見えなくされていますが、
人は本当に心体魂丸ごとの存在。
神が神=父=霊=救い主と、どこも切り離せない
存在のように。

聖霊の働き=神の働き その姿が一番顕著に最大限
フルに現れる姿、状態は、私達が本来神に造られた姿を発見し
それに留まり、新しい人で生きる時にこそ現れる。
だから、聖霊の働きと口で唱えても、古い人許され続ける
罪人であると同じ口から同時に宣言するなら、それは聖霊の
フルの働きを妨害する状態である。神を信じる者は真理の中に
存在し、聖霊も真実の中にのみ存在するものです。
そのことに気がつく必要があるのです。
人が口先で聖霊現象を、聖霊の働きと唱える時でなく
私達があるべき状態で、有るべき姿で、神の意図した通り、
神の邪魔をしないで、T0Vそれは、トラーの中に描かれている
神に造られた人の姿そのままを生きている、聖霊にどっぷり
浸かり=バプテゾー、その流れの上に浮かび流れに
逆らわず=導かれ、生ける水から飛び出さず=渇かない状態、
100%神の支配下に生きる、その姿に留まっている時に
最大限に神の臨在、神の姿、栄光が現れ出るという事実に目を向ける
必要があると思います。


解説、口頭での教えをただ現実を伴わず唱えるのではなく、
聖霊に満たされて現実に生きる姿。神が創造して修復して
くださった元の姿=新しい人で生きる事を
その実態=神の中に生き生き生きる命の姿を体験的に知って、
生きる事を知る事が不可欠なのではないのでしょうか?
聖霊の働き、聖霊=神の姿を本当に知るには、トラーを
知らなくてはならない。私達の姿もトラーを覗き込んで
知らなくてはならない。なぜなら聖霊の働き、神に造られた
人間の本当の姿は、トラーの中の至る所に
くまなく書かれているからです。
何故ならトラー=神=イエス=聖霊そのものだからです。