神の言葉は 変わらない。
原典では、旧約は終ったと書いてない。
この旧約と言葉で、違う意識を生み出す。
旧=古い=要らない=廃れた=終わり。
人造神学用語。あのページはいらない。
新約旧約という2ページは本当は聖書入れては
ならなかった。
古い年代の契約。
しかし、契約は、かみさまの側で更新され続け今も
変わらず同じ様に有効。
更新するのは、契約内容の、確認。
人間が、契約内容を、破り続けたから。
神さまの側では、何があっても契約を破らない。
一方的に、かみさまが御自分の上に100%の責任を
負って、契約を交わした事が分る。
内容が変わらない。再更新され続ける。同じ”モーセの契約”
イエスさま御自身がトラーである。
イエスさまは、”ハ トラー”と呼ばれていた。
文字で書かれたトラー=肉体を取ってこられた
トラー。
イエスさまは”トラー”の集大成だと書かれている。
原典聖書では。
翻訳では、完全に意味がズレている事に気がつく。
でも、この世界的に、刷り込まれている、誤訳の弊害。
新共同訳では、もとに近い言葉で書かれている。
”
キリストはかみの教え(律法は誤訳)の目標であります、
信じる者すべてに義をもたらすために”
ローマ10:4
本当は、目標というより、集大成 ゴールだということ。
モーセの律法という言葉は、聖書にはない。
モーセが神から預かった、神の教え、インストラクション
ドクトリンだ。そして、その中身は、”婚姻契約”
旧約聖書が有効発言すると、じゃ、あなたは、
律法にもどるのか?と、反射的に言われるでしょう。
でもその”律法”と言う言葉を、”神の教え”と、
全部もとの言葉に変えてみたら、どうなるでしょう?
あなたは“神の教え”に戻るのか?
戻ります。預言者の警告は、まさに”神の中”に戻れ。
”婚姻契約”の中に戻れです。
私達読んでいる ギリシャ語の原語のノモス=”律法”は
多彩な意味があり、ヘブライ語のトラーに当てはまらない
言葉で書かれています。
当時の人は、多彩な使われ方をする、ノモスという言葉を
分っていた。
でも、現代外国語に訳す人には、理解できてないために
誤訳が出て来た。
詩編を律法とは、呼ばないでしょう。
イエス様は詩編を”ノモス”と呼ばれた。」
その裏のヘブライ語はトラーです。
イエスさまはヘブライ語、アラム語で
話されていましたね。
新約聖書の記事、殆どがヘブライ人の記者なので、
コイネーグリーク(聖書ギリシャ語)に精通している
ギリシャ人が読むと、日本人がつたない英語で
書いてるようなぎこちなさ、へんな文法
(ヘブライ文法とおなじ)が、はっきり分るそうです。
私達でも、中国人や、アメリカ人や、外国人が、つたない
日本語で書いてある文章読んだら
これ、日本人の書いたものじゃないって直ぐ分るように。
続く