とんだ勘違い | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

前回書いた、ヘブライ語で、原典聖書が
読めたら、果たして、聖書が正しく理解出来るのかどうか。

イエスさまの、地上におられた時代も、
沢山のトラー学者(律法学者は誤訳です)
がいて、もちろん ヘブライ語で
そのまま理解できたのに、聖書の解釈ではない、
勝手な人間の作り出したさまざまな教えを信じて、
縛られて、それを、人にも教えていたのをイエスさまが、
戒めておられる場面が、沢山出て来る。

という事は、どの時代にも、原典を知りながらも、
主の言われている意図が、分らずに、人の作り出した教え、
儀式などを、重要視し、主の言葉の意図や、真意思いに、盲目のままで、居る事が出来るという事だ。

イスラエルに行った時、映画のセットの中にいるような
錯覚を起こした。
オーソドックス ジュダイズム=正当派ユダヤ教の人達。
バースデーケーキより大きな黒い帽子を被り
真夏(時々50度近くになるんですよ!)なのに、真っ黒い
長袖、長ズボンの服を着ている。超暑そう~!

彼らが、学んでいるのは、殆ど聖書じゃなくて
タルムードという、書物だとか。
そして、色々なラビの、聖書じゃない変な教えに
現代も、縛られている。気の毒。
こんな豊かな命に溢れた喜びを受け取れるはずなのに。

これさえしてれば、OKていう感じかな。
今日もお線香上げて、仏前に祈りを捧げて
これさえしてれば、今日のおつとめは完了みたいな。

私でもそういう事していた事がある。
早く起きて、聖書を何章か読んで30分くらい 
うとうとしながらも,祈ったから、今日は okみたいな。
今はもちろん違うけど。

一日中が、アバとの生き生きした、楽しい、嬉しい関係の中、
言葉、声の中にいる喜び味わえる。
一瞬一瞬。
赤ちゃんが、ママに大事に抱かれて、顔を覗き込まれると
うれしくて、にこ~と笑うでしょう。

そういう、感じ。主の声、言葉の中にいることは。
主の御腕に抱かれて、愛されて、守られて
主の声が鼓動が聞こえる、主の中にいることは。

そして、アバが、あなたは私が聖であるように
あなたも聖である。 
Tovのめっちゃ素晴らしいそして、わたしの愛するめっちゃ 
かわいい子!と言ってくれるのが、分る事
うれしくて嬉しくて。

聖書に、本当は何が書いてあるかを知る事。
そして、一番重要なのは、主を受け取って信じたら
エデンの園、自分の命の源に、本当の我が家、主の中に
もう、戻っている事を、はっきり知る事。
許され続ける罪人ではない。
私の全てを、新しくされた人を、もう取り戻して
回復してくださった。
新しくされた、元のリセットされた Tovの自分が
どんなに素晴らしいか知る旅路。
多分、駄目な自分思考回路を 叩き込まれているから
そんな考え、謙虚でないと思うでしょう。

日本人は、これつまらないもんですが、と
贈り物さしだすけど、まして、主はそんな事しない。

素晴らしいTOVのあなた!と言ってくれているでしょう。

主の完了の業を信じる。主の言われる事だけを信じる。

主に似せられたら、それ以上の素晴らしさあるんでしょうか?

しかも、永遠の時から、命をかけて私達を、このエデンの園、
主のご自身の中命の源、私達の家に戻れるように
してくれたこと。
主の手の業なんだ。そう書いてある。
その傷跡、労苦、主の業を見て主が喜ぶと言った事に
繋がる。100%主の業により取戻されている。

もっともっと、子供のように、素直に
主の言葉 愛の直球を受け止めて受け止めて。確かめて。

そして、それが、本当の今の自分の姿であることが
分らないと、本当に先へ進めない。

うまい具合に、イズムに、取り囲まれる。
無意識のうちに。
古い人の畑の脳回路では、枯れる 実が十分に実らない。
新しい人のエデンの園で 耕さないと。
それが、主がたとえ話で 語られた良い地にまかれた種だ。
悪い地は、直ぐ忘れる 忘れるどころか分ってない
新しい人にされた人。そのことを、イエスさま 
たとえ話で話している。

これが分ると、見えて来る。
一緒に イエス様とエマオの途上で居た弟子が
イエスさまだと気がつかなかったように。
でも、後で気がついたのですね。