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何とかなるさ...の世界!?

いろいろごちゃ混ぜで書いてます。

長男ヨシヨシの通う学校が昨年の9月から政府が全面的に運営するアカデミーになって以来、教育方針ががらりと変わり、ヨシヨシは学校が全く嫌いになってしまった模様。

 

それに加えて、夏休みが明け9月から新学年になったとたん、学校にはシリアから大勢の難民学生が入ってきたそうな。

 

その上、今年から学校ではイスラムの歴史や文化を中心に学んでいく方針らしい。

 

それで明日か明後日(水曜日または木曜日)は、学校ではイスラム文化を学ぶ日なそうで、その何を学ぶのか彼に聞いたら、武器の作り方と自己防衛。

 

クラスの生徒が歴史の先生に、なぜテロリストの事を学ばなければないのか質問したところ、こんな答えが返ってきたと言う。

 

テロリストではなくフリーダムファイターのことを学んでいるのだと...。

 

「はっ、何だそりゃ?」

 

フリーダムファイターって、言葉を変えただけのテロリストのことじゃないの、と私は思うのだが...。

 

これじゃ、まるでテロリスト温床教育じゃん。

 

学校のそんな変化に嫌気をさしたヨシヨシのクラスメイト8人の内7人が、ホームスクールに切り替え、一人は引越しをしてしまったとか。

 

はっきり言って、アカデミーになってからというもの、学校には専門教科を満足に教えられる教師がいないらしく、最悪だと自分で勉強して、と丸投げされることもあったり。

 

教師不足なのは分かるけど、英語もろくに話せない来英したばかりの中国人に英語の教鞭に立たせるのはどんなものかと...。

 

イスラム教の温床教育に関しては、先の首相デイヴィッド・キャメロン氏が、2014年にサウジアラビアから資金を受け取った事から始まるみたいなわけで...。(詳しくはこちら)

 

何かもう政府は、表面ではテロを摘発なんて言っておきながら、その裏ではテロリスト作りに加担している感じにしか思えないんですけど。

 

参考までにこんな記事も。

 

ホント、黙示録の幕開けは近し...。

 

 

 

黙示録19章

11)また、私は開かれた天を見た。見よ。白い馬がいる。それに乗った方は、「忠実、また真実。」と呼ばれる方であり、義をもってさばきをし、戦いをされる。

12)その目は燃える炎であり、その頭には多くの王冠があって、ご自身のほか誰も知らない名が書かれていた。

13)その方は血に染まった衣を着ていて、その名は「神のことば」と呼ばれた。

14)天にある軍勢はまっ白な、きよい麻布を着て、白い馬に乗って彼につき従った。

15)この方の口からは諸国の民を打つために、鋭い剣が出ていた。この方は、鉄の杖を持って彼らを牧される。

16)その着物にも、ももにも、「王の王、主の主。」という名が書かれていた。

 

黙示録20章

1)また私は、御使いが底知れぬ所のかぎと大きな鎖とを手に持って、天から下って来るのを見た。

2)彼は、悪魔でありサタンである竜、あの古い蛇を捕らえ、これを千年の間縛って、3)底知れぬところに投げ込んで、そこを閉じ、その上に封印して、千年の終わるまでは、それが諸国の民を惑わすことのないようにした。サタンは、そのあとでしばらくの間、解き放されなければならない。

 

4)また私は、多くの座を見た。彼らはその上に座った。そしてさばきを行う権威が彼らに与えられた。また私は、イエスのあかしと神のことばとのゆえに首をはねられた人たちのたましいと、獣やその像を拝まず、その額や手に獣の刻印を押されなかった人たちを見た。彼らは生き返って、キリストとともに、千年の間王となった。

5)そのほかの死者は、千年の終わるまでは、生き返らなかった。これが第一の復活である。

6)この第一の復活にあずかる者は幸いな者、聖なる者である。この人々に対しては、第二の死は、なんの力も持っていない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストとともに、千年の間王となる。

 

7)しかし千年の終わりに、サタンはその牢から解き放され、8)地の四方にある諸国の民、すなわちゴグとマゴグを惑わすために出て行き、戦いのために彼らを招集する。彼らの数は海辺の砂のようである。

9)彼らは、地上の広い平地に上って来て、聖徒たちの陣営と愛された都とを取り囲んだ。すると、天から火が降って来て、彼らを焼き尽くした。

10)そして、彼らを惑わした悪魔は火と硫黄との池に投げ込まれた。そこは獣も、にせ預言者もいる所で、彼らは永遠に昼も夜も苦しみを受ける。

 

11)また私は、大きな白い御座と、そこに着座しておられる方を見た。地も天もその御前から逃げ去って、あとかたもなくなった。

12)また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書き記されているところに従って、自分の行ないに応じてさばかれた。

13)海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。そして人々はおのおの自分の行ないに応じてさばかれた。

14)いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。

 

黙示録21章

1)また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。

2)私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のもとを出て、天から下って来るのを見た。

3)そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ごご自身が彼らとともにおられて、4)彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」

5)すると、御座についておられる方が言われた。「見よ。わたしは、すべてを新しくする。」また言われた。「書きしるせ。これらのことばは、信ずべきものであり、真実である。」

6)また言われた。「ことは成就した。わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。わたしは、渇く者には、いのちの水の泉から、価なしに飲ませる。

7)勝利を得る者は、これらのものを相続する。わたしは彼の神となり、彼は私の子となる。

8)しかし、おくびょう者、憎むべき者、人を殺す者、不品行の者、魔術を行う者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者どもの受ける分は、火と硫黄との燃える池の中にある。これが第二の死である。」

 

9)また、最後の七つの災害の満ちているあの七つの鉢を持っていた七人の御使いのひとりが来た。彼は私に話して、こう言った。「ここに来なさい。私はあなたに、小羊の妻である花嫁を見せましょう。」

10)そして、御使いは御霊によって私を大きな高い山に連れて行って、聖なる都エルサレムが神のみもとを出て、天から下ってくるのを見せた。

11)都には神の栄光があった。その輝きは高価な宝石に似ており、透き通った碧玉のようであった。

12)都には大きな高い城壁と十二の門があって、それらの門には十二人の御使いがおり、イスラエルの子らの十二部族の名が書いてあった。

13)東に三つの門、北に三つの門、南に三つの門、西に三つの門があった。

14)また、都の城壁には十二の土台石があり、それには、小羊の十二使徒の十二の名が書いてあった。

15)また、私と話していた者は都とその門とその城壁とを測る金の測りざおを持っていた。

16)都は四角で、その長さと幅は同じである。彼がそのさおで都を測ると、一万二千スタディオン(1スタディオンは185メートル)あった。長さも幅も高さも同じである。

17)また、彼がその城壁を測ると、人間の尺度で百四十四ペーキュス(1ペーキュスは45センチ)あった。これが御使いの尺度でもあった。

18)その城壁は碧玉で造られ、都は混じりけのないガラスに似た純金でできていた。

19)都の城壁の土台石はあらゆる宝石で飾られていた。第一の土台石は碧玉、第二はサファイヤ、第三は玉髄、第四は緑玉、20)第五は赤縞めのう、第六は赤めのう、第七は貴かんらん石、第八は緑柱石、第九は黄玉、第十は緑玉髄、第十一は青玉、第十二は紫水晶であった。

21)また、十二の門は真珠であった。どの門もそれぞれ一つの真珠からできていた。都の大通りは、透き通ったガラスのような純金であった。

22)私は、この都の中に神殿を見なかった。それは、万物の支配者である、神であられる主と、小羊とが都の神殿だからである。

23)都には、これを照らす太陽も月もいらない。というのは、神の栄光が都を照らし、小羊が都のあかりだからである。

24)諸国の民が、都の光によって歩み、地の王たちはその栄光を携えて都に来る。

25)都の門は一日中決して閉じることがない。そこには夜がないからである。

26)こうして、人々は諸国の民の栄光と誉れとを、そこに携えて来る。

27)しかし、すべて汚れた者や、憎むべきことと偽りとを行なう者は、決して都に入れない。小羊のいのちの書に名が書いてあるものだけが、はいることができる。

 

黙示録22章

1)御使いはまた、私に水晶のように光るいのちの水の川を見せた。それは神と小羊との御座から出て、2)都の大通りの中央を流れていた。川の両岸には、いのちの木があって、十二種の実がなり、毎月、実ができた。また、その木の葉は諸国の民をいやした。

3)もはや、のろわれるものは何もない。神と小羊との御座が都の中にあって、そのしもべたちは神に仕え、4)神の御顔を仰ぎ見る。また、彼らの額には神の名がついている。

5)もはや夜がない。神である主が彼らを照らされるので、彼らにはともしびの光も太陽の光もいらない。彼らは永遠に王である。

 

6)御使いはまた私に、「これらのことばは、信ずべきものであり、真実なのです。」と言った。預言者たちのたましいの神である主は、その御使いを遣わし、すぐに起こるべき事を、そのしもべたちに示そうとされたのである。

7)「見よ。わたしはすぐに来る。この書の預言のことばを堅く守る者は、幸いである。」

 

8)これらのことを聞き、また見たのは私ヨハネである。私が聞き、また見たとき、それらのことを示してくれた御使いの足もとに、ひれ伏して拝もうとした。

9)すると、彼は私に言った。「やめなさい。私は、あなたや、あなたの兄弟である預言者たちや、この書のことばを堅く守る人々と同じしもべです。神を拝みなさい。」

10)また、彼は私に言った。「この書の預言のことばを封じてはいけない。時が近づいているからである。

11)不正を行なう者はますます不正を行い、汚れた者はますます汚れを行ないなさい。正しい者はいよいよ正しいことを行い、聖徒はいよいよ聖なるものとされなさい。」

12)「見よ。わたしはすぐに来る。わたしはそれぞれのしわざに応じて報いるために、わたしの報いを携えて来る。

13)わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。」

14)自分の着物を洗って、いのちの木の実を食べる勝利を与えられ、門を通って都にはいれるようになる者は、幸いである。

15)犬ども、魔術を行なう者、不品行の者、人殺し、偶像を拝む者、好んで偽りを行うものはみな、外に出される。

 

16)「わたし、イエスは御使いを遣わして、諸教会について、これらのことをあなたがたにあかしした。わたしはダビデの根、また子孫、輝く明けの明星である。」

 

17)御霊も花嫁も言う。「来てください。」これを聞く者は、「来て下さい。」と言いなさい。渇くものは来なさい。いのちの水がほしい者は、それをただで受けなさい。

 

18)私は、この書の預言のことばを聞くすべての者にあかしする。もしこれにつけ加える者があれば、神はこの書に書いてある災害をその人に加えられる。

19)また、この預言の書のことばを少しでも取り除く者があれば、神は、この書に書いてあるいのちの木と聖なる都から、その人の受ける分を取り除かれる。

 

20)これらのことをあかしする方がこう言われる。「しかり。わたしはすぐに来る。」アーメン。主イエスよ、来てください。

 

21)主イエスの恵みがすべての者(聖徒たち)とともにあるように。アーメン

 

よく、子羊の花嫁は教会であると耳にしますが、果たして、黙示録に示されている子羊の花嫁は、決して教会(キリストの体である信者達)ではないような気がします。

 

なぜなら、黙示録にはっきりと子羊の花嫁の事が記されているからです。

 

ずばり言えば、子羊の花嫁とは、聖なる都、新しいエルサレムの事を指しているからです。

 

黙示録19章

6)また、私は大群衆の声、大水の音、激しい雷鳴のようなものが、こういうのを聞いた。「ハレルヤ、万群の支配者である、われらの神である主は王となられた。

 

7)私たちは喜び楽しみ、神をほめたたえよう。子羊の婚姻の時が来て、花嫁はその用意ができたのだから。

 

8)花嫁は、光り輝く、きよい麻布の衣を着ることを許された。その麻布とは、聖徒たちの正しい行いである。」

 

9)御使いは私に、「子羊の婚宴に招かれたものは幸いだ、と書きなさい。」と言い、また、「これは神の真実のことばです。」と言った。

 

黙示録21章

1)また私は、新しい天と地を見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。

 

2)私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下ってくるのを見た。

 

9)また、最後の七つの災害の満ちているあの七つの鉢を持っていた七人の御使いのひとりが来た。彼は私に話して、こう言った。「ここに来なさい。私はあなたに、子羊の妻である花嫁を見せましょう。」

 

10)そして、御使いは御霊によって私を大きな高い山に連れて行って、聖なる都エルサレムが神のみもとを出て、天から下って来るのを見せた。

 

22)私は、この都の中に神殿を見なかった。それは、万物の支配者である、神であられる主と、子羊とが都の神殿だからである。

 

23)都には、これを照らす太陽も月もいらない。というのは、神の栄光が都を照らし、子羊が都のあかりだからである。

 

さて、ここで言っている子羊の婚姻とは、花嫁なる聖なる都、新しいエルサレムが神のみもとから出て下って来て、子羊である花婿なるキリストと一緒(一体)になる事を言っているような気がします。

 

つまり、新しい聖なる都エルサレムの中に神とキリストが永遠に住まわれる事を指し、象徴しているのだと思います。

 

だから、一大イベントであるこの光景を垣間見る事のできる婚宴に招かれた者は幸いだ、と言っているのではないでしょうか。

これから、日頃から私の母が伝えたい、信仰について書き溜めているものを、たまに載せていこうかなと思っています。

 

-若さを保つ方法-

 

誰しもが年を取りたくない、若さを保ちたいと願っていると思います。この自分でさえ七十過ぎの年を迎えても、心の内は二十歳くらいのものの考えです。これはまさに、肉体と心が衰えても霊が躍動しているからなのでしょう。

 

自分から初め、肉体の衰えを防ぐために色んな方法を試してきたものです。ある人はヨガ、ある人はストレッチ、またある人はジョギングなど、まさにそれを試みる事により、活力が与えられると思って運動に励んでいるのではないでしょうか。

 

しかし、骨や肉体が鍛えられても、普段の生活に戻ると、心の空洞があることを知らされます。この心の空洞は、神の霊によって満たされなければなりません。この空洞を、神の喜びの霊で満たす時、私達の肉体も若くなると思うのです。

 

なぜなら、神は霊です。人間に与えられたこの霊を、最初の人間であるアダムとイブが、悪魔に誘惑され渡してしまいました。その為に、霊である神が所有していた人間を、悪霊が支配するようになってしまったが故に、人間の肉体が死に向かうようになってしまったのです。この霊が回復しない限り、私達の肉体の若さはありません。

 

その霊を回復するために、神の御子イエス・キリストがこの地上に誕生して下さいました。そして、彼が三十三歳の時、全人類の罪の身代わりとなって十字架につき死なれた事で、古い霊が死に、キリストが蘇られて新しい霊を私達が頂けるようになったのです。それには、「蘇ったイエス様、私の心に来て住んで下さい」と言う事により、キリストの新しい蘇りの霊を頂くことが出来るのです。

 

どれだけ運動しようが、どれだけ化粧しようが、元気の出るドリンクを飲もうが、若くは決してなりません。悪霊に騙されているだけです。イエス様の蘇りの霊で心の空洞を埋める時、私達はあまり年を取らないような気がします。

 

神は永遠です。

 

イエス・キリストを受け入れた人は、何時も神の方を向いています。この地上の造られた物全てが神の方を向いています。反抗し、神にそっぽを向いているは人間だけです。

 

造り主である神に従う事により、私達人間は愛と平安に満たされ、何時までも若々しさを保つ事が出来ると確信します。

 

モーセも神と交わって出てきた時、顔が輝いていたとのことです。

 

「それから、モーセはシナイ山から降りて来た。モーセが山を降りて来たとき、その手に二枚のあかしの石の板を持っていた。彼は、主と話したので自分の顔の肌が光を放ったのを知らなかった。アロンとすべてのイスラエル人はモーセを見た。なんと彼の顔のはだが光を放つではないか。それで彼らは恐れて、彼に近づけなかった。」-出エジプト34章29、30節-

 

私達もキリストにあって、神の御言葉と祈りによって、神と交わって若さを保っていきたいと思います。

 

「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。」-イザヤ書40章31節-

 

アーメン