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何とかなるさ...の世界!?

いろいろごちゃ混ぜで書いてます。

イースターの起源を知らなかった以前は、キリストの復活を祝うための行事だと思っていたのですが、事実を知ってからはクリスマス同様に祝うのを止めました。

 

その起源を説明しているビデオがあるので紹介します。

 

 

私は簡単に幾つかの質問をすることから、このビデオを始めたいと思います。

 

イースターは、キリストとどのような関わりがありますか。

 

これは、キリストとどのような関係がありますか。

 

一体、イースターバスケットや卵とウサギがキリストの復活とどのような関係があるのでしょうか。

 

殆どの人はこれを見て、「イースターは、キリストとは何の関係もない伝統だというのを知っています」と言うのです。

 

それは誰の伝統ですか。

 

セミラミスは、天の女王であり母なる淫婦です。

 

セミラミスは、アストレス、アシェラ、イシュタルエストレイースターという他の多くの名前で世界中に知られています。

 

セミラミスは、彼女の息子ニムロドと結婚しました。

 

ニムロドは人々にとって神の人となり、彼の妻であり母であるセミラミスは、古代バビロンの強力な女王となりました。

 

やがてニムロドは殺され、彼の体は細かく切り分けられ、王国の各所に送られました。

 

セミラミスは、見つからない一部分を除いた全ての(体の)部分を集めました。

 

その見つからない部分とは、彼の生殖器官でした。

セミラミスは、ニムロドがそれ無しでは生き返ることが出来ないと主張し、ニムロドは太陽に上り、現在は「バアル」と呼ばれる太陽神となったとバビロンの人々に語りました。

 

セミラミスは神秘宗教、別名(偽)キリスト教を作り出し、彼女自身を女神として設定しました。

 

セミラミスは、行為なしに妊娠したと主張しました。これって、キリスト教界で馴染みがありませんか。

 

彼女は、月が28日周期で満月になると排卵する女神であると教えました。

 

彼女は更に、ユーフラテス川に落ちた巨大な月の卵で月から降りて来たと主張たのです。

 

これは、春分後の最初の満月の時に起こるはずのことでした。

 

セミラミスは、「イースター」と発音される「イシュタル」として、また彼女の月の卵は「イシュタルの卵」として知られるようになったのです。

 

イシュタルは間もなく妊娠し、彼女を妊娠させたのは太陽神バアルの光線であると主張しました。

 

イシュタルには、「太陽神の子」であるタムズという息子がいました。

 

タムズは特にウサギが大好きで、古代の宗教で神聖な物となりました

 

タムズは猪に殺されました。イシュタルは、ローマカトリック教徒が現在レント(四旬節)と呼んでいる彼の死の時までの40日間、人々が「タムズのために泣く」という伝統を始めました。

 

四旬節は、イースター前の40日間の準備期間です。

 

カトリックは、それがキリストの復活に備えるための、懺悔や悔い改め、そして断食の季節であると主張しています。

 

お分かりのように、この40日間の慣習はキリストの復活の前にあります。これは、バビロンの宗教的慣習です。

 

崇拝者達は、バアルとタムズの神聖な秘術を黙想し、崇拝する時に彼等の心臓の前で「T」の印を作りました。

 

彼等はまた、上部に「T」或いは十字の印を施した神聖なケーキを食べました。毎年、春分後の最初の満月の後の一番初めの日曜日に祭典が催されました。

 

それは、イシュタルの日曜日であり、ウサギや卵と一緒に祝われました。

 

イースターは、キリスト教が始まるずっと前に、異教徒によって祝われてきた最大の祝祭です。

 

祭典は、金星の分点近くの「春の儀式」を含み、異教徒がイシュタルを信じた時、天の女王は太陽によって妊娠させられました。

 

彼等は儀式的な性行為を行い、卵、ウサギ、ホットクロスバン(十字架レーズンパン)のような豊穣の象徴を使いました。

 

それから、これらの卵は、豊穣のもう一つの象徴であるウサギの巣の中の「悪霊」から隠されました。

 

コロサイ2章8節

あのむなしい、だましごとの哲学によってだれのとりこにもならぬよう、注意しなさい。そのようなものは、人の言い伝えによるものであり、この世に属する幼稚な教えによるものであって、キリストに基づくものではありません。

 

 

 


へブル書11章

1)信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。

 

6)信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださることを、信じなければならないのです。

 

ローマ書10:17

そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。

 

 

 

詩篇40編8節

わが神。私はみこころを行なうことを喜びとします。あなたのおしえは私の心のうちにあります。

 

詩篇143編10節

あなたのみこころを行なうことを教えてください。あなたこそ私の神であられますから。あなたのいつくしみ深い霊が、平らな地に私を導いてくださるように。

 

 

ルカ21章20節

20)しかし、エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら、そのときには、その滅亡が近づいたことを悟りなさい。

21)そのとき、ユダにいる人々は山へ逃げなさい。都の中にいる人々は山へ逃げなさい。いなかにいる者たちは、都に入ってはいけません。

22)これは、書かれているすべてのことが成就する報復の日だからです。

23)その日、悲惨なのは身重の女と乳飲み子を持つ女です。この地に大きな苦難が臨み、この民に御怒りが臨むからです。

24)人々は、剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれ、異邦人の時の終わるまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされます。

 

25)そして、日と月と星には、前兆(証拠としての奇跡)が現れ、地上では、諸国の民が、海と波が荒れどよめくために不安に陥って悩み、

26)人々は、その住むすべての所を襲おうとしていることを予想して、恐ろしさのあまり気を失います。天の万象が揺り動かされるからです。

27)そのとき、人々は、人の子が力と輝かしい栄光を帯びて雲に乗って来るのを見るのです。

28)これらのことが起こり始めたなら、からだをまっすぐにし、頭を上に上げなさい。贖いが近づいたのです。

 

 

 


第一ペテロ5章10節

あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れて下さった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。

 

詩篇71章20節

あなたは私を多くの苦しみと悩みとに、会わせなさいましたが、地の深みから、再び私を引き上げてくださいます。

 

ゼパニア3章17節

あなたの神、主は、あなたのただ中におられる。救いの勇士だ。主は喜びを持ってあなたを楽しみ、その愛によって安らぎを与える。主は高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる。

 

 

 

黙示録4章8節

この四つの生き物には、それぞれ六つの翼があり、その回りも内側も目で満ちていた。彼らは、昼も夜も絶え間なく叫び続けた。

 

「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな。神であられる主、万物の支配者、昔いまし、常にいまし、後に来られる方。」

 

 

 

 

 

ローマ書6章1節

それでは、どういうことになりますか。恵みが増し加わるために、私たちは罪の中にとどまるべきでしょうか。

 

さて、私達が始める質問があります。その一節から私達の質問が始まり、その質問は私に、あなた方すべてにすぐさま二つのことを問うように強いるのです。

 

あなた方は、この質問をしたことがありますか。

 

若い人達、私があなた方に一二度、直接お話しても構いませんか。

 

あなた方は、この質問をしたことがありますか。

 

私達は、恵みが増し加わるために、罪を犯し続けましょうか。

 

もしあなた方が質問しないのならば、私はあなた方が、事実に直面しなくてはならないかもしれないと思います。少なくともあなた方の多くは、実際にはクリスチャンではないという事実に直面しなければならないでしょう。

 

ローマ書1章から5章までを理解し、その質問をしないのは非常に難しいことでしょう。もし、1章から5章までを理解していないならば(実際にはありそうですが)、あなた方は、福音を理解していなかったということです。そして、率直に言って、あなた方はクリスチャンではないのです。

 

ローマ書5章に何が書かれていますか。それは神がそうであることを私達に告げています。そして、あなた方が誰であろうと、またあなた方自身について何を言おうと、あなた方は、神がいることを知っています。あなた方は、自分のことを知っているのと同じ方法でそれを知っているのです。

 

あなたはまた、自分の隣に座っている人物ではないことを知っています。そして、あなたは神が永遠であることを知っています。あなたは、自分のしていること、また神が見えないこと、神が力強いこと、またあなたを造られたことを知っています。そしてまた、あなたは神があなたを裁かれることを知っています。

 

ローマ書1章と2章がそれを教えています。

パウロは、「あなた方は、そのことを全部知っているが、しかし、自分自身を喜ばせるために生きているのだ」と言っています。

 

それ故、神、この神、この永遠の見えない創造的で力強く裁く神は、あなた方男女共に対して激しく激怒しておられます。人々はそのような説教を聞くとすぐに、「まあ、私は全然そんなではない」と言うのです。しかし、「はい、そうなのです」とパウロは言っています。

 

あなた方の何人かは、神の律法とその言葉を持ち、神の規則を知っています。あなた方は聖書を持っていますが、それが言うことを行ないません。あなた方の中には、霊的な育成という特権を持っている人もいますが、そのあなた方の特権を完全には使っていません。

 

従って、クリスチャン説教者として私は、鏡を見ることが出来、鏡の中の人を指差すことが出来ます。ですから、私は、あなた方一人一人に指差して、神の名において、あなた方が有罪であると言うことも出来ます。そして、今日から何が起ころうとも、あなた方はいつも有罪です。ローマ書の1章から5章はこの点を強調しています。

 

それから、もし神の優しさのメッセージであれば、それはそのメッセージと共にもたらされます。神は罪を犯した人々に最高に、そして、素晴らしく親切です。そして、歴史の中で不思議な交流が起こりました。彼等の罪の故に、永遠の見えない力強く創造的な裁きによって罰を受け、罪を被るべき何百万という人々が苦しんでいないのです。

 

なぜなら、彼等の罪は他の人の記録に入れられているからです。それがローマ書1章から5章であり、半分以上がその知らせです。何百万という人々が罪を赦されただけでなく、この世での完璧な人生、唯一の完璧な人生が彼等の記録に入れられました。

 

ですから、福音はこの不思議なやり取りであり、私はそれを使徒パウロのように恥じることはありません。なぜなら、その中に神の義が明らかにされているからです。その義は、罪人達に与えられました。罪を犯した罪人達は、素晴らしい知らせだと見なしていますね。

 

そして、何百万もの人々が、イエス・キリストを信じることだけで、どのようにして罪の赦しと神との平和に入って行くのでしょうか。

 

彼等は何のとりえもありません。彼等は、神に推薦するものを何も持っていません。彼等は彼等にとって有利なものは何も持っていないのです。

 

イエス・キリストは全ての長所を持っています。そして、それらの長所が彼等の記録に記入され、キリストを受け入れるのです。そして彼等は、キリストを受け入れ、キリストが彼等に惜しげなく捧げられたように、福音の中でキリストに信頼します。

 

彼(キリスト)は最後のアダムです。

一人のアダムは私達を台無しにしました。そして、ただ一人のアダムが、一つの素晴らしい従順な人生と、一つの素晴らしい贖いの死によって私達を救うのです。

 

いつ神はキリストを送りましたか。

 

罪が蔓延していた所では、素晴らしい恵みがその周りにあります。もしそうなら、なぜ罪を犯し続けて恵みを増すことが出来るでしょう。

 

そして、福音を理解していた者は誰でも、それ故、時折り6章1節を尋ねてきました。またもし、あなた方がその質問をしたことがないのであれば、あなた方はクリスチャンでないと思われます。

 

神と和解する時です。

 

あなたはクリスチャン化されましたが、まだ改心していません。そしてあなたは、その全ての逃げ道と不思議を理解したことがないという事実を本当に負うべきです。あなたは、神とあなたとの間でイエス・キリストを本当に信頼したことがありません。

 

今朝でさえも、あなた方の多くがキリストに来ることを私は信じます。あなた方は、遂にあなた方が陥っている混乱に気付くことでしょう。そして、あなた方は救い主にやって来るのです。

 

そして、あなた方は彼の恵みと優しさが本当にただであり、また、価値があり豊かで富み、また寛大であることを理解するでしょう。集会においても、あなた方はそのような救い主に来ているのです。

 

それで、あなた方は6章1節がすぐに一つの質問を提起しているのをみます。今度はそれは、私が再びあなた方に尋ねなければならない別の質問を提起します。私達は恵み溢れた罪を犯し続けましょうか。あなた方は、その疑問から神聖さが何であるかを見ることが出来ますか。パウロは、クリスチャンがなぜ罪を犯すべきではないのかという疑問に取り組んでいます。

 

次の章で、クリスチャンが罪を犯していけないのはなぜなのかを、彼は教えてくれています。だとすれば、敬虔とは何ですか。それは、罪を犯さないことです。今これを把握することは非常に大切です。

 

敬虔は、道徳的な質です。

敬虔は、道徳的な質であることを繰り返したいと思います。

 

アダムはいつ敬虔でしたか。彼が庭(エデン)にいた時は、罪を犯していませんでした。

 

イエス様が敬虔であったことをどうやって知っていますか。なぜなら、イエス様は私達の間で33年間、罪を犯さずに生きたからす。

 

全体で、最も敬虔な人は誰ですか。

最も罪の少ない人です。

 

今朝ここで、最も不敬虔な人は誰ですか。

罪が最もある人です。

 

敬虔は道徳的な質です。そして、それは神秘的な品質ではありません。

 

彼等の中には神のことを知りながら、神を探し求めない選択をしている男女がいます。神の内にではなく、神の外で幸福を見つけることを選び決めている男女がいます。選択によって神を享受しない男女がいます。それ故、彼等は成長して年をとって暮らす中で、神を享受しないことを選びます。

 

私が思うところ、私達が神を享受することについて話す時、彼等は、それを全て退屈であると言っています。彼等は、神を享受しないことを選んだのです。

 

彼等は良心を深めたので、それが神であることは知っています。彼等は神を探ることについても十分知っています。彼等はあたかも、この国とこの会衆の中にいるかのように聖書を持っています。

彼等は、イエス・キリストを通して神を知るあらゆる手段を持っています。

 

しかし彼等は、自分達を造った方を知りません。彼等に全ての物を与えるであろう方が、彼等を裁くことになるのです。

 

それは選択です。

有罪の選択です。

 

あなたは、神によって造られ、或いは、神から与えられている息や健康、そして脈動、全ての才能や今まで楽しんだことよりも、それ以上に悪いことを考えることが出来ますか。神の全ての贈り物を持って、神の世界に生きる人生から神を立て上げることは、想像上もっと悪いことになるかもしれません。

 

人間の良心について驚くべきことはこれです。

 

しかし、あなたが私の言うことを信じていなくても、あなたは私が言っていることを信じています。たとえ、あなたが私の言っていることの真実を拒絶したとしても、年月と共にあなたが信じる信念が、あなたの中に根付いているのです。この事実は、聖書が私達に忘れさせないという真実です。

 

終わりの日はあります。

 

人間が作った福音があります。それは、明らかにされたメッセージです。教会が夢見て来た、或いは、神学者達が開発しようと決めたメッセージではありません。

 

神が明らかにされた福音があります。それは、イエス・キリストの福音です。それは神から始まり、神に向かって話し、神に集中し、そして神に来るよう人々に命じます。それは、彼等に罪を止め、自分自身のことを止め、キリストを通して神に来るように命じます。

 

命じる福音以外に福音はありません。

あなた方は、これを理解しなければなりません。

 

福音は訴えますが、その訴えには権威の要素があります。福音は、「来なさい。神が必要としているので来なければなりません」と言っているのです。

 

もしあなたが来ないならば、あなたは不従順になり、反乱を起こすのです。あなたが来ない限り、救いと命はありません。しかし、神が来なければならないと言っているので、あなたは来ます。そして、来ないということは、反乱になるということです。

 

教会の中には、一部の改心した人々がいます。彼等は、「私が望むなら来ても良いし、彼等が私を忘れたいなら来られない」という招待状が来ると思っています。

 

これは神聖な言葉です。それは天の言葉です。それは神の言葉です。

 

神は、罪人達が来たと主張しています。

 

ある者は来ません。多くの者が来ません。皆さん、殆どの者が来ないのです。

 

そこで、使徒パウロは「最後の日が終わる時」と言っています。

 

神は、神を知らない人達に報いを与えるでしょう。それは、私達の主イエス・キリストの福音に従わない人々、彼等の選択です。

 

しかし、たとえあなが、私の言っていることの真実を拒絶したとしても、何年もの間、あなたが信じる信念があなたの中に根付いてるのです。

 

それは聖書が、終わりの日があることを、私達に忘れさせないことなのでしょう。