ヨハネ3章
16)神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
17)神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。
18)御子を信じる者は裁かれない。信じない者は神のひとり子を信じなかったので、すでに裁かれている。
19)そのさばきというのは、こうである。光が世に来ているのに、人々は光よりもやみを愛した。その行いが悪かったからである。
20)悪いことをする者は光を憎み、その行いが明るみに出されることを恐れて、光のほうに来ない。
21)しかし、真理を行なう者は、光のほうに来る。その行いが神にあってなされたことが明らかにされるためである。
36)御子を信じる(=聞き従う)者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。
第一テサロニケ4章
16)主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、
17)次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。
5章
1)兄弟たち。それらがいつなのか、またどういう時かについては、あなたがたは私たちに書いてもらう必要がありません。
2)主の日が夜中の盗人のように来るということは、あなたがた自身がよく承知しているからです。
3)人々が「平和だ。安全だ。(Peace & Security or Safety)」と言っているそのようなときに、突如として滅びが彼らに襲いかかります。ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むようなもので、それをのがれることは決してできません。
4)しかし、兄弟たち。あなたがたは暗闇の中にはいないのですから、その日が、盗人のようにあなたがたを襲うことはありません。
5)あなたがたはみな、光の子ども、昼の子どもだからです。私たちは、夜や暗闇の者ではありません。
6)ですから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして、慎み深くしていましょう。
7)眠る者は夜眠り、酔う者は夜酔うからです。
8)しかし、私たちは昼の者なので、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの望みをかぶととしてかぶって、慎み深くしていましょう。