エアポートチャーチの受付で手続きを終えた後、母と私は会場の中に入りました。
中には沢山の人達が、説教を聞き、ワーシップ(賛美)をしていたと思います。
私達(特に母)は、通訳の無い英語の説教を聞いても、訳分からないということで、二階でやっているヒーリングクラスを受講する事にしました。
このヒーリングクラスは、ヒーリングミュージック担当のバンドの人達が、初めから終わりまでヒーリングミュージックを演奏し、その間私達は、床に寝そべってその音楽を心地よく聴いている、というものでした。
中には、その音楽の影響(聖霊に触れられて?)で泣いたりしている人もいた様な気がします。
私と母は、ヒーリングミュージックの心地よい音色で、とってもリラックスできました。
その同じクラスに、実はバンクーバーの日本人教会に行った時に出会った、クリスチャンの女性数人が、偶然にも参加していたのです。
その中の一人の女性は、知らない人で、彼等曰く宣教師さんとのことでした。
でも、その宣教師さんは、何だか中国の雑技団 の化粧と衣装を彷彿させるような格好をしていました。
そして、いかにも「私は宣教師なのよ」、と自慢気に振舞っているのが、旗から見ていて滑稽に思えました(そう感じてしまって、ごめんなさいですが...)。
私が、バンクーバーでお世話になったN子さんとは、全くもって対照的。
ヒーリングクラスの後、母と私は会場で配給される昼食をとり、午後の部の集会に参加する事にしました。
説教は、ヒヤリング不足の私には勿論、母はもってのほかチンプンカンプン。
唯一、賛美だけ楽しむ事が出来ました。
その賛美が始まった時、あの日本人宣教師さんと連れの女の子達が、会場の前に出てスカーフを旗めかせ、踊っているのが目に入りました。
本当に聖霊に触れられて踊っているのだろうか...。
まー、人それぞれの感じ方は色々なので、彼女達は聖霊に触れられ、悦に入っていたのでしょう。
母と私は、全く冷めていました。
そんな会場を後にし、ホテルに戻った私達。
二人顔を見合わせて、「あれは一体何だったんだろう...」と、その日エアポートチャーチであった出来事を振り返ったのでした。
別に、聖霊に触れられはしなかったけど、エアポートチャーチの雰囲気を味わう事が出来ただけでも、収穫だったと言う事で、遠くから来た甲斐がありました(ヒーリングクラスも気持ち良かったし)。
次の日、母よりも早い便でトロントを経たなければならなかった私は、朝5時だったかのホテルから出る空港行きのシャトルバスに乗り、母に別れを告げました。
追記になりますが、母がトロントに来る前、とても悩んだそうです、トロントに行くか行くまいかと。
そんな悩んでいる母の心の中に、一つの御言葉が与えられたそうです。
その御言葉はと言うと、
"恐れるな。
私は貴方と共にいる。"
という、イザヤ書41章10節の言葉でした。
この御言葉が、母をトロントまで押し出してくれたのでしょう。