郷愁誘うよ、小江戸・川越
川越の「小江戸」とも呼ばれる蔵の街を散策。観光に来ているおじいちゃんやおばあちゃんがたくさんいた。お芋のお菓子が名物らしい。お年寄りと芋に囲まれながら、昔おばあちゃんがよく芋羊羹を作ってくれたのを思い出した。 もう彼女が何かを作ることはないだろう。まみぞーが中学生の頃までは(高校もだったかなあ)現役だった。食事は完全におばあちゃんの役割で、給食の献立表みたいに1ヶ月分のメニューを、毎月新聞やさんがくれるカレンダーに書いていた。片手に虫眼鏡、片手にペンを持って書くので、紙を押さえる手が足りなくて、ねずみとみみずが踊ってるような字になった。まみぞーにはよく読めなかった。 メニューは、おばあちゃんにしてはとてもハイカラで、グラタンやかじきまぐろのホワイトソースがけがまみぞーは特に好きだった。おばあちゃんは(そして母は今も続けているが)、小料理屋をやって生計を立ててきた人なので、味は文句ない。昭和の頃は、オーブン付き電子レンジでグラタンを焼くとき、ブレーカーが落ちないように、家中の電気を消した。5歳くらいのまみぞーは、うす暗い部屋で、大好きなグラタンが焼きあがるのをわくわくして待った。
今では、帰省した時、まみぞーがおばあちゃんにグラタンを作る。美味しい、本当に美味しいわよこれ。と何度も繰り返しながら食べる。別に特別美味しいわけじゃない。料理はあんまり得意じゃない。まみぞーが作ったってだけで、美味しいんだと思う。
まみぞーは、おばあちゃん子で古臭いものが好きなので、小江戸もかなり気に入った。今回はスーツケースがぱんぱんなのでやめといたが、今度来たら、駄菓子と芋羊羹と、1000円じんべえをフランスへのお土産に買おう。次回はうちにある着物も持って帰る予定なので、自分用に980円の草履も買いたい。
魔法のお古
日本のみんなをうならせたことがある。
今回持っていったエタンの服のいくつかは、その昔旦那ちゃんが着ていたものだということ。
リモージュのおばあちゃん宅から6ヶ月~1歳用の服をずいぶん発掘してきたが、常夏並みにあったかなパリの我が家では、特にセーターやカーディガンなどニット系のものを着る機会がなかった。日本はまだ寒そうだし、着てない服を着るチャンス☆と思って、いくつか持っていった。
27年前の品々は、いい感じにレトロで全然古臭くない。もちろんもれなくMade in Franceで、それゆえに長持ちするのか、旦那ちゃんの母方家族の取り扱いが類稀に丁寧だからなのか、どれも赤ちゃん服とは思えない状態のよさを保っている。しかも、これで従兄弟数人がすでに着回しているのだから、これはもはや世界に誇るべき保存状態である。
とは、ここ日本でみんなに指摘されるまで気づかなかった。そんなもんかと思っていた。自慢しに、もっと、旦那ちゃんのお古尽くしで来るんだった。うーむ、ドゥニ家秘伝のシミ抜き法なり、洗濯法なり、収納法なりが存在するなら、身につけておきたいものだ。もしくは、おばあち ゃんは魔女なのかもしれない。。。
標準時子午線
明石に行って明石焼きを食べた。現地では「玉子焼き」と呼ばれている。茶碗蒸しをタコ焼き型にして出汁で食べる、といった感じだった。以前、茶碗蒸しを食べたとき、旦那ちゃんはあまり好きじゃないと言っていたが、この明石焼きはバクバク食っていた。5人だったので5人前頼んだら一人前15コもあって、まみぞーはけっこう食べたけど、あとの3人は少食だったのに全部なくなったのだから、旦那ちゃんはたぶんひとりで30コくらい平らげたんじゃなかろうか。驚いた。
うちらにとっては特に何があるという訳でもないが、下町風で、外人ウケは抜群だった。魚屋さんのお魚がまだピクピク動いているのにもはしゃいでいた。まぐろの身の赤さにも感嘆していた。
ケイバデビュー
パリでも競馬場には行ったことのない旦那ちゃん、誘われた昨夜は気乗りしない様子だったが、朝起きてみると、「男(=侍)の集い」的匂いを嗅ぎ取ったのか、急に揚々として、そそくさと身支度をし、日本男児3人衆についていった。(まみぞーは寝ていました。だって、べべが朝の4時まで絶好調ですから~!!残念!←っていうのが、流行ってたよ。ギター侍、波田陽区。名前かわいい。次男は陽区くんにしようかな。)
帰ってきた旦那ちゃんは、阪神競馬場のでっかさにまず驚いていた。レストランやカフェもいーっぱいあるって、子供みたいにうきうきしていた。1200円ほど賭けて、900円ほど戻ったらしい。パリでも毎週行きたい!と高揚していた。
ギャンブルってテンションあがるよね。ひとつでっかいの当ててみんさ~い!!
めざせ甲子園
通りすがりに、甲子園観戦。 ちょうど春の高校野球、ベスト8の試合中で、高校野球は外野席が入場自由だというので、入ってみた。 これが意外とおもしろくて、最後まで見てしまった。旦那ちゃんは、野球観戦なんてもちろん初めて。ルールなんて、ここまで知らないものかってほどハテナくんだった。 まみぞーも決して詳しくはないし、ルールを学んだ覚えもないが、やっぱり、野球は日々の生活に溶け込んでいた。育った環境が野球のルールをすでに教えている。幼い頃の、夏の夕べの記憶は、枝豆とビールを片手にテレビのナイター中継を見ている父の姿。保育園から小学時代は、あだち充作品とともに育った。ツタの壁を見上げれば、「タッチ」の甘酢っぱい追憶。たぶん、同年代の、いやほぼ全世代の日本人なら、当たり前にひたれそうなこの、甲子園独特の感傷というか、少し熱っぽい情感が、隣にいる旦那ちゃんの胸にはこみ上げないのだと思うと、不思議な感じだった。
ふと、昔、自動車教習所で一緒だった韓国人のおねえちゃんのセリフを思い出した。池袋で申し込んだ教習所だったが、実際の教習は埼玉の川べりで行われるため、毎回バスで荒川を渡った。彼女は、「川を渡る時は、いつも胸が熱くなる。」と言った。分かりそうで分からない叙情だった。今の旦那ちゃんは、こういう気分なのだろうかと思った。
オレッ!!
大晦日の夜、姉から「紅白は、マツケンサンバの健闘も空しく紅組が勝ちました。」というメッセージがきた。以前、インターネットで松平健がサンバでなにやらちまたをにぎわしているという芸能ニュースを読んだことがあったが、紅白の勝敗の鍵をにぎるほどの(?)ブレイクぶりとは思っていなかった。そして、マツケンサンバへの憧憬とともに新年を迎えた。(↑大げさ) 金スマで、ある振付け師の波瀾万丈をやっていた。
「こんばんは。マツケンサンバ・トゥーの振付け担当の真島です。」え?2=「ツー」じゃなくて「トゥー」っすか(><)!「スパニッシュ!」なセニョールが満面の笑みで自己紹介している。そして、2005年の念願叶ってマツケンサンバを見ることができた。暴れん坊健在!まみぞー、時代劇は断然「暴れん坊将軍」派だ。そんな派閥あるか知らんが。なぜかと言うと、将軍だからだ。どうやったって、一番偉いんだから、負けっこない。町奉行クラスだと、悪代官などの身分によっては正義が負けちゃうかもしれないと不安なのだが、この暴れん坊は将軍様なんだから、絶対負けないっていう安心感ゆえ、好きだった。だもんで、同じ理由で、2番目に好きだったのは、水戸黄門だ。子供心に、このじいちゃんは何者なのか理解しかねたが、ひかえおうろう!のセリフのとき、「さきの副将軍、水戸光圀公にあらせられるぞぉ。」と言うので、副将軍てことは将軍の次につおいんだろうと解釈していた訳である。
話が全くそれたが、3歳の子供からお年寄りまで、多くの人々に愛されるマツケンサンバ。大地真央はどうしているのでしょうか?


