いくら設計図通りに作れば正しく完成すると説いてみたところで、そもそも部品が揃ってなければ無意味 | 錆鼠熊のブログ

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自戒を込めて

一般論なんて基本的に、最大公約数的に作られた「こうすれば大体こうなる」っていうだけのもんでしかないんだよな

いわばきちんと過不足なく部品が揃っているプラモデルを説明書通りに作れば正しく組みあがるのと同じで、前提条件があってこそ成立するものでしかない

被虐待児とか機能不全家庭で幼少時代を送った人間には、正しく組みあがる為に必要な部品がそもそも揃ってない場合が多いのよ

だから、前提条件頼みの一般論は通用しない。しかもそれぞれ事情や背景が違うから、統一したマニュアルも存在しない。大抵は欠けたものを埋め合わせようとして試行錯誤するが、一般論では大体うまくいかず右往左往する

で、上手くいかないからさらに追い詰められて深みにはまっていく

綺麗事の一般論で俺の実父を止められたかと言われれば、答えはきっと否。実母の自殺を止められたかと言えば、これもまたきっと否

前向きな思考は大事だが、自分の現状を客観的に把握せずにいくら前向きを装ってみたところで、それはただの現実逃避

自分が置かれてる状況が世間一般から見て不幸だと言われるレベルならそれは不幸なんだよ

他人の不幸話をウザいと感じる人間がいるのは事実だが、だからといってそういう人間におもねる必要も無い。己の現状と身の程を知っているのは悪いことじゃない

もちろん、だからといって不幸に寄りかかっていても、それもまた単なる現実逃避

必要な部品が欠けた人間が「普通」になるのは容易な事じゃないが、それぞれ欠けた部品を補う手段というものはたぶんあるし、俺はそれを周囲の人間の助けによって見付けることが出来た。だから今ここにこうしていられる

欠けている事を揶揄する人間は多い。人間というのはえてして他者に対しては冷酷な存在だ。優しい顔をして近付いてきても、それは大切なものが欠けた不幸な人間を見る事で自分が満たされた気分になることを期待したものであることも多い

だが同時に、人間は一人では生きていけない動物でもある。他人の助けは絶対に必要だ

それに、いくら残酷でも冷酷でも、それしかない人間というのも滅多に存在しない。情を感じる相手にはいたわりの気持ちを持つことも出来るのが普通の人間というもんだ

他人が持つ残酷さや冷酷さは、同時に自分自身も持ってるものだと認めることである程度までは「お互いさま」と思えるようにすれば多少は楽になるよ

その上で、相手に情を持って貰うには、まずは自分が情を示さなきゃ。特に、日常で関わる機会の多い相手にはそうした方が間違いなく得だ

しかしどうしても合わないという相手がいるのも悲しいかな現実。そういう相手には、情を示すのは難しくても、無駄に軋轢を生まない為に社交辞令というものを有効に活用すればいいと思う。それは元々、折り合いの悪い者同士が対面する際に場を納める為に必要だったから生まれたものだという印象がある

ま、それで変にいがみ合ったりしなければ、結構、平穏な日常って送れるものだと思うよ?

何事もなく平穏。それが幸せの基本になるんじゃないかねえ

始めから部品が揃ってる人間には俺達のやってる事は理解出来んだろう。無駄なことをしているとか場合によっては害悪だとか言ってくる人間も居るだろう。だが、人間にそういう一面があるのは、これはもう人間が人間である以上どうしようもない。そのどうしようもないことを恨んでも何も解決はしない。ただ自分が消耗するだけだ

言いたい奴には言わせておけばいい。どうせ説明したって理解は出来ん。前提条件がそもそも違うんだから

俺達には俺達に合った対処法というものがある。それを見付けられたなら、後は地道に実践していくだけだよ

出遅れた分、死ぬまで「普通」にはなれないかも知れんが、なあに、そこそこ普通のふりをする程度なら、10年程度見ておけばある程度形にはなるさ