もっとも俺も、それに気付く前にはネット絡みで躓いたりもしたけどな
だがそれを友人達が救ってくれた後、ネットを仕事だけに使うと割り切っていたら、SNSなんて興味も抱かずにいられたし、家族と友人さえいれば何の不足も無いっていうのを本当に実感した
俺と同じくネットで散々遊んだ友人達も、今じゃ私用のブログとかをまともに更新してるのは一人もいない。何せ生身が充実してるから、ネットをやる時間も惜しいそうだ。俺も何年か前まではそうだった。友人達だけが利用できる私用の掲示板も、お互いの予定を書き込む以外じゃ閑古鳥が鳴きっぱなしだ
だが、嫁さんを喪った事で俺はネットの世界に戻ってきてしまった
分かってたんだけどね。ネットの中に詰まっているのは実際には他人の悪意が8割ほどだってことくらい
しかし同時に、俺にとっては自分の精神状態を映し出す鏡として非常に役に立つ道具でもあった
だから今、こうしてる
いずれ必要無くなれば止める日も来るかも知れんが、いかんせん嫁さんを喪った穴は大きすぎて当分は無理そうだ。孫が生まれてその相手に忙しくなったりしたらそれどころじゃなくなるかもとは思わんでもないけど
だから俺は思ってる。本当に幸せな人間はネットをやる暇なんかないってね。ネットに時間を割いてる人間は、結局は現実で満たされないもの、苦しいものがあってそれを補うためにネットをやってるんだろうさ
不幸な人間が集まる? 当たり前だよ。元々ネットの中に居るのは殆ど何がしかの不幸を抱えた人間なんだから
自分の不幸の正体に気付いてそれに対処しようとしても、そんな簡単に解決する程度の不幸ならすぐにネットから出ていくだけだ。居残っているということはそれだけ問題が根深いのさ
個人的な主観を基にした幸福論を振りかざして他人に粘着する人間も、そりゃ結局本人が不幸だからそうせずにいられんだけだろう。当人が気付いてないだけで
本当に幸せなら、わざわざ気の合わない他人と出会う危険性の方が高いネットなんかやって気分を害されるより、生身の幸せを満喫してればいいんだし
昔の自分を思えば、今の俺は考えられないほど幸せだ。だが同時に、嫁さんを喪った大きな不幸も抱えてる。それが無ければ、俺はネットになんか舞い戻ってなかった
ま、いずれにせよ、何をごちゃごちゃ言っててもネットに手間を割く時間があるということは、どいつもこいつもそれだけ不幸だということさ
不幸を抱えた人間同士、いがみ合っててもちっとも生産的じゃないのにねえ
やれやれだよ、まったく