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いろんなライブの記録。二丁目の魁カミングアウト・きのホ。・ONIGAWARA・ RAG FAIR・ズボンドズボンなど。

自分のお金で、自分の意思で“ライブ”という空間に行くようになって2024年5月2日でちょうど20年になります。

2004年5月2日、はじめての現場はやわらかい陽射しのうららかな春だった。アカペラボーカルバンド・ RAG FAIRのライブでした。あの日の匂いさえ鮮明に思い出せる。お台場、いまはなきZepp Tokyo。

RAG FAIRにハマり、そこからRAG FAIRのメンバーが掛け持ちしているバンドにものめり込み(ズボンドズボン再結成おめでと〜!)、学校をサボって電車で2時間かけてライブに通うようになったのが高校2年生の頃でした。

『陸の孤島』と呼ばれる辺鄙な立地の大学に進学してからも毎週ラジオの公開収録で原宿に出向き、クリスマスの時期ともなれば各地のイルミネーション点灯式のフリーライブのため早朝から並び、事務所主催のなんかよくわかんないエンタメショーや派生ユニットにも足しげく通い、たくさんの街に行った。いまの奥さんと出会ったのもRAG FAIRの現場でした。最近はとんと通えていませんが、わたしと奥さんにとってはここがずっと『実家』です。

RAG FAIRとズボンドズボンのおかげで出会えた音楽があって、2009年から西沢サトシとビアンコネロにも通うようになった。サトシもビアンコももう会えないし、音源もサブスクにあんまりない。でもわたしの余生を余裕でまかなえるほどの愛をもらった。ライブハウスでおなじ時間を生きた記憶で、わたしはこれからも生きていける。


2016〜17が一番いろんな人を見に行っていた時期で、この年に複数回行ったアーティストをざっと挙げるだけでも星野源、吉澤嘉代子、清竜人25、でんぱ組.inc、大森靖子、ゲスの極み乙女、堂島孝平、Official髭男dism、女王蜂、Mrs. GREEN APPLE、日食なつこなど、路上で見ていたOmoinotakeが気づいたら今年めちゃくちゃ売れていて、さすがに己の審美眼を褒め称えたい。

ONIGAWARAに出会ったのも2016年。え、もう8年も経つの!?長!?!ずっと最高のJ-POPで、ずっと大好き。RAG FAIRの土屋礼央さんがパーソナリティーしてる生放送のラジオにガワラが呼ばれて公録行ったら「俺のライブじゃ見せない顔で笑ってる!」「俺の客を奪った!」って指さされたのかなり感無量でした。推し変じゃなくて推し増しだよ、れおちゃん。



2017年4月19日、AiSOTOPE LOUNGE。
はじめて二丁ハロを見た。

そこからあれよあれよとまたたく間にドルオタと化し、だいたい月15本前後、2018年8月に至っては27本(でも全通ではない)、ほとんどライブができなかった2020年を挟んで、体制が変わって、それでもわたしにとってこのグループがなにより大切でいとおしいまま、8回目の春を迎えました。



20年は長かった。女子高生だったわたしは、世間的にはかなりしっかり大人の枠に入る歳になった。まだ全然新幹線よりやこば乗っちゃうのに。


1564本。何年何月何日どの会場に誰を見に行ったのか、その日のセットリスト、そのほとんどを思い出せる。感想の多い少ないはあれども、すべての現場の出来事を書き残し続けてきたから。

わたしはなんにも持ってない空っぽな器で、だけど素敵なライブを見た経験を詰め込んでやっと自分の人生に価値を見いだせる。「記憶の倉庫さん」、二丁目の魁カミングアウトのミキティー本物さんがむかしそんなふうに呼んでくれた。覚えておくこと、忘れないでいること。誰の下位互換でもないわたしだけの記憶を誇って、それだけがたったひとつ、わたし自身を肯定するすべでした。


そんな話をミキさんとしていたら、「あなたがくれた言葉が歌詞になったの」と言ってくれた。2021年9月のこと。


『ひとりひとつ たったひとつ 誰もが譲れないものがあるなら それは僕にとっては今日までの記憶さ』


(※歌詞のひらがな/漢字の表記は変わったけれど、ここでは「歌詞になった」当時のひらがなにしています)


どんなにみっともなくても、必死にすがりついてきた。そんな執念にわたしだけのものじゃない意味をくれた。
20年分の記憶を詰め込んだ容れ物は、ちゃんとわたしになれた。



ライブレポを書くのは楽しかった。ライブを見てる時間以外は書くことがなによりの優先事項で、食事の時間も睡眠時間も惜しかった。
書けども書けども文才が育まれることはなかったけれど、読み返すとたまに自分でも泣いてしまうような文章があって、楽しかった日、愛されていた日、もー今日死んでもいいや!と思えた日がたしかにあったことを思い出すことができた。


徹頭徹尾自分のために書いてきたから、「読んでたらあの日の空気がよみがえってジーンとしました」とか「行けなかったのでMCの内容がわかって嬉しかったです」とかのお言葉を頂くとすこし据わりが悪い。

わたしの正解しか書いてない。見えなかったものは書けないし、きっと数え切れないほど間違った解釈もしてきた。正しくなかったとしても書き残してしまえばそれが事実として伝わってしまうかもしれない。それが不意におそろしく、恥ずかしくなってときおりブログを更新しなくなる。

それでもまた性懲りもなく書いて載せてしまうのは、「私の生きた証をあなたが書き残してくれる、こんな幸せなことってないと思った」と言ってくれる人がいるから、なにも持ってないわたしが、だれかを幸せにできるかもしれない、“たったひとつ”の手段だからです。


わたしの記憶と記録が、いつかこの人の糧になりますように。




きっと歳を取るにつれて海馬は衰えて、覚えておけることも少なくなる。いまでさえ見たものの5%くらいしか思い出せなくて悔しくてたまらない。

神様、ご覧のとおりこの人はこんなにもすごいアイドルなんです。ここにある膨大な文量こそそのあかしです。

だから、どうかこの人が早くたくさんの人の目に留まってほしい。
そうすればいつかわたしの記録が途切れても、だれかがつないでいってくれる。

いつだってだれかの記憶の中で、そしてステージの上に立つ今日も、わたしの好きな人が変わらず幸せでいてくれますように。


一瞬だって忘れたくない鮮烈な光が、いつまでもあざやかなまま残る未来へ。