misonikomi(名古屋ワンマン)/ビアンコネロ | quarters

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いろんなライブの記録。二丁目の魁カミングアウト・きのホ。・ONIGAWARA・ RAG FAIR・ズボンドズボンなど。

ライブレポではなく、忘れたくないわたしの悪あがきです。




SET LIST


1.2.3.4.5.6.

I♡

西へ西へ


君が好き

たより

小吉


笑顔を見せて

平凡なふたり

馬の骨

なんちゃったってアイドル


正社員になりたい!

まばたきの間

淑女と午後

な!か!や!す!み!

NAINO

最終電車

辞書で辞書?


窓の向こう

さよならボーダー


[encore]

コエヨ






2017年までわりとよく通ってて、そっから2年空いて201911月に1回行って、それから3年ごしのビアンコネロでした。5年で2回ってもうオリンピックと同じ頻度なんよ。



いつものSE。あーー3年ぶりだけど全然『いつもの』感覚だ。黒シャツと黒ボトムスの4人。こいつらビジュもマジで全然変わらん、時が止まってる。ゆっきーは3年前より痩せたね!



七始まりで「ッアーーー!!!!」ってなった。そう!これ!これでわたしの情操は教育されてた!!ギターってこんな音出るん?って毎度謎に思う変な音とけんちゃんのドンズバなカホン。


マジで初出だったけど(キャスとかで言ってたんかな?)、今日のライブタイトルは【misonikomi】らしい。はいはい、いつもの小文字のローマ字当てときました。


けんちゃん声枯れてて神取忍だった。あとひとりスピードワゴンと黒板五郎もいた。



あいあい〜たまんない!!古賀せんせーのざらっとした声。少し悔しそうな気もしたけど、わたしはこの唯一無二な声がいちばん好き。2A入る直前にシャツの一番上のボタン片手で外した。やめろやめてくれ。複写した文字2回配ってたけどもう正しい歌詞はわかりません。



「「西へ!!!」」はあもう最高超かっこいい大好き。



「ビアンコネロから名古屋の皆さんに最後のたよりです!」ってけんちゃんが叫んで、たより。これがスイッチだったなあ。肩がふるえるほど泣いてしまって、隣の女の子🍬がさすってくれた。誰にも連絡せずひとりで来たけど、会場で会えて、一緒に見れて嬉しかった。



室見川ver.でもなくて、名古屋のための小吉。毎週末来てた第2の故郷。ちなみに第1の故郷は東京で、第3が大阪で、福岡が第4なの不義理で笑った。

綺麗だったなあ。わたし(と友人3)はビアンコネロさんのことを『泥沼』と呼んでて、本人たちも「清流と濁流の合流地点」ってちょい前に言っててわかるわかるだったんですけど、今日の小吉は清流の方をみんなで選んで歩いていく小吉だった。『変わらないでいて』なんて痛いほど清らかな祈りだ。




「もう解散してやらあ!」って解散ネタで遊ぶのがビアンコらしいし、「今しか出来んしねww」ってせんせー笑っててああそうですね!!

け「みんな綺麗になったね😁マスクしとーけんね😁」うるせえ!!!事実綺麗になってんだよ!!!!


なんの話かわかんないけど、け「とっとったと。……いまみんなバグったと思ったとやろ?こいつ “た行” しか言えんとかいなって思ったとやろ?」この博多弁が大好きだった。もう聞けなくなるんだな、さみしい。




リクエスト7位と8位の曲。

笑顔を見せてと平凡でした。平凡せんせー泣きそうだったねえ。平凡から音つなげて馬の骨の結婚式セトリずるいよ。この3年の間にわたしは結婚して、せんせーに報告したときに「ご祝儀に平凡歌ってください」ってねだった。なんかまるで、今夜叶えてもらった気持ちになりました。奥さんと一緒に聴けたら良かった。馬骨2017年末までに何十回やったと思っとーと!?正直毎回やりすぎて若干飽きてたわ!!なのに今日聴いたらまあ平凡からなんですけどぼろっっっ、、、ぼろに泣いてしまった。なんなんだこの曲。ちくしょう、うちもバズれよ。


じつは大阪公演もチケット予約してたし仕事の休みも取ってたのに、心身のバランスが大乱れで遠出できる状態ではまるでなく、わたしの意思で予約取り消しをさせてもらいました。名古屋見たあとだったら這ってでも大阪行けば良かったって思うけど、名古屋でしかやらない平凡をちゃんと回収できて良かった。それがなによりの安堵で、ほっとしてまた泣いてしまう。


『あでやかに』という歌詞が好きだったことを思い出した。青く澄んだ晴天の日に映える白無垢をいつも思い出していた。




アイドル大阪で「もうやらない」って言ってたって聞いたから、いつもの準備の気配でなんか泣きそうになった。アイドルで!?!寂しくなっちゃう日が来るんだな。冗談みたいだ。

けんちゃんはダサいベルトをせんせーに詰められて、おもむろに抜き取って最前の子どもに手渡ししてた。困惑する子ども(推定7)


けんちゃんのハンバーグ負けがツボすぎたせんせー。

アイドルサビ中ずっとハンバーグジュウ~~ ˙з˙)した。あんな死ぬほど笑ったのに50年後くらいにこれだけ読んだらなんのことか思い出せないかもしれなくてさみしいな。けど言葉で事細かに説明する気もない。覚えていたい。意地でも。


君が好き「君だよ!😁👉 で指さし個レス来て真顔になってしまった。ごめんねけんちゃん久しぶりすぎて戸惑っちゃったよ.......


♪僕はまだジュウ六だから〜 の一番良いとこでけんちゃん\ジュウ~/忘れててせんせーが爆笑してた。ねえこの面白さ50年後にも伝わる!?



正社員からのまばたきで、むかし会長に乗る話(ただの下ネタ)とかしてたなとか思い出した。何年前だ。


なかやすみ生で聴いたの初めてだけど、あー最近(とは)のビアンコっぽくていいなあ、やっぱりこの人たちの歌が好きだなあと思ってまた泣きそうになった。出会ったときから今まで13年間、ずっと彼らの音楽を好きでいられた。ありがたいことなんだよな。

淑女だってもっともっと聴きたかった。せんせーのサビの声が死ぬほど好きだった。



NAINO?はけんちゃんリードでレコーディングするはずで前日までめっちゃ練習してたのに、現場に行ったら偉い人の一存でたかしくんリードに変わったらしい。恨みがましくたかしくんを見るけんちゃんと、そのたびにスッと目をそらすたかしくん。でも今日はけんちゃんリードで!あーーわたしはけんちゃん曲も大好き!!と思ったら2Aからせんせーが普通にリード奪って「あっ、好き.......」で完全にお手上げになりましたとさ。ごめんねけんちゃん。



け「.......どう?😄」古「どうwwww嫌なセックスみたいwww」嫌なセックス言うな



11秒でも長く余韻が続きますように」ってけんちゃんが言った。もうわたしたちには新しい思い出はできなくて、味のしないガムを噛み続けるようにすがってしまうのだなあと思った。11秒でも長く、あざやかに覚えていられたらいい。

「曲振りうまくなったやん!」って感心するせんせー。「ビアンコネロ続ける!?」それがいいかも。


けんちゃんは褒められて嬉しくなっちゃって、叩かなくてもいいシンバル叩いてデカい梵天(耳かきに使うやつ)みたいなやつをふよふよ〜って余韻で宙を舞わせてた。




終電。馬骨同様いままで何十回と聴いた気がする。けど、このアレンジは初めてな気もした。馬骨も終電も(アウトロ長いな.......)って正直思ってたこともあったんですが、今夜は一生終わんないでほしかった。なにとも違う、他に似ているものをなにも知らない。がたんごとんの心地いいリズム。一生歌っててくれよもう。余韻” なんていつか薄れてしまうものを、こんなにも美しいまま手渡ししないでくれ。ぴょんが涙声だった。



ひとりずつご挨拶。『誰より近くでビアンコを見続けてきた』ゆっきーがステージでこんなに話してくれるのも初めてだった。いつもふざけてるように見えるけんちゃんのこと、「ほんとに、エンターテイナーですよ。隠れて努力してるところもたくさん見てきた」って。古「俺は見たことないけどね」

けんちゃんはわたしにとってはヒーローでした。努力してるところはわたしも見たことないけど()、察することはできる。だからすごいんだよ。



「感情パイプカットしてる」って言われてたぴょんも泣いちゃって、「お前に泣かれるとヤバいんよ」ってたかしくんもつられちゃうのかわいいね。おじさんたちね。



家族というものを知らなかったけんちゃんにとってはぴょんやたかしくん、ときにはゆっきーがお兄ちゃんだったり、お父さんだったりしたこと。大真面目に「ありがとうございました!!」って言うんだよ。せんせー「やめろ」って止めるけど、ねえ、泣いちゃうもんねえ、けんぢに泣かされるの超不本意でしょたかしくん。


せんせーは「10代だったファンが子どもを連れてくるようになった」って。いつかの冬の日、月見ルで、わたしは22歳でせんせーは34歳だった。いまのわたしと同じ歳だ。大人の男の人だと思ってたけど、34歳のわたしは全然『大人の女の人』ではなくて、それを知るための壮大なドッキリの13年だった。生まれた赤ちゃんがひとりで歩けるようになって物心つくほどのおびただしい時間で、でも「長かったなあ」とは言いたくない。もっともっと、死ぬまでの長期戦で飽きるまで一緒に生きていたかった。

 


ビアンコネロはなによりも言葉を大切にしてきたこと。「言葉を使って、皆さんと愛情を交わし合えた」とせんせーが言った。

まだSNSが発達するまえ、わたしは何通の手紙を送ってきただろうな。せんせーはわたしの手紙が大好きだったねえ!渡したその場で読んで、「んふ、」ってよく笑ってた。わたしは手紙で、3人は歌で、たくさんのやりとりをして遊んできた気がします。言葉を使った本気の喜怒哀楽あそび。



「いいところも弱点も使い尽くした」と。だからわたしはこの人たちが好きだった。長所や特技だけではなくて、弱点や恥みたいな普通はずかしくて誰にも見せたくないものまで全部使い尽くして音楽を続けてきてくれた。あーもう “尽きた” のかー、じゃあ、そうかあ、仕方ないのか、本当に終わってしまうんだ。


わたしがどんなに劣等感で死にたくなったとしても、3人がステージの上に立っててくれることが最後の砦でした。こんな恥だらけの人生で、負けてばっかりで、他人を羨んで自分の不出来を呪って、それでも同じように弱点や恥ばっかりで何度も負けてきた(忖度なし表現すみません💦)この人たちが作り上げる音楽があったから、わたしは命からがら、かろうじて自分の人生を肯定できた。



せんせーがけんちゃんを指して「さかしい」という言葉を悪口で使った。しょっちゅうたかしくんに「馬鹿、うるせえ」ってなじられてたけど、けんちゃんはそうだね、さかしい人だったのかもしれない。こんな語彙を使う人はじめて見た。けんちゃん意味わかんないだろうけど、それはとても愛のある悪口だよ。




辞書。いつかのCBでパン神出てきてほんとに呼吸困難になるほど笑ったの思い出した。たぶんわたしの人生で一番大声を上げて笑ったのも、一番泣いたのも、ビアンコネロのライブだったと思います。すごい話だ。

最後くらいみんなで一緒に歌えたら良かった。け「(声がうっかり)漏れちゃうのはしょうがない」古「俺たちも歳取って漏れちゃうから」尿の話にすり替えんな。




大前提でなにが聴けても嬉しかったし、『これが聴きたい』って欲は一切持たずに来た。持ち曲なにがあるのかも思い出さなかったくらい。


でも窓来て、もう立ってらんないくらい泣きじゃくってしまった。ステージの光景目に焼き付けたいのに顔が上げられない。これを聴けなかったら、「聴けなかったな」ってあとから思い返すようだったなら、たぶんわたしの残りの人生はずっと欠けていたと思う。


この曲に救われた人生だった。恩がデカすぎる。聴けて良かったね。




窓とかほんとそうなんですけど、今日の20曲のセトリを思い出す中で、あの曲やってないじゃん!聴きてえ!ってやっぱりどうしても欲が出てしまって、今日やってないのだったらうそうそ、安心、G、この手!この手!!!うそうそ、月盗、あるの、oh、子供、マナビ、子供、この手、うそうそ!!!!お願いします.......後生です.......後生of後生すぎて『一生のお願い!』の使い所マジでここしかないのウケる。うそうそと子供とこの手。




本編ラストはボーダーでした。意外にカジュアルじゃん、って思った。思ったのも束の間でまた引くほど泣いた。『もう会えないんだ』ってわざわざ教えてくれなくても知っとるわ!!!!!あたしには未練しかありませんけど!?!!!



『さびしくなってしまうけどさ、君を好きな毎日は楽しかった』



楽しかった。





アンコ。「この曲ができた頃はまだうまく咀嚼できてなかったけど、今はちゃんと理解できるようになった」みたいなことせんせーが言ってもどの曲のことか全然わからなかった。


東京ではできないことが福岡でならできるかもしれないと思って拠点を福岡に移したこと。「いやー負けたね」ってせんせーが完全に打ちのめされて諦めた声で言った。わたしはこの数年のビアンコネロの野望はなにも見届けられなかったから、なにをしたかったのかもなにを諦めたのかもわからない。



「僕たちは解散するけど、いま売れる音楽を続けている人たちはみんな本当にすごい。皆さんもこれからもずっと音楽を愛してください」みたいな、なんの話なんだろう、わたしはwacciのことを考えていたけれど、けいじさんと小野さん来てたのもあったのかな。客の前で託すな。わたしは他のだれのでもなく、ビアンコネロの未来を見たかった。



「どうかお元気で、健やかで、幸せでいてください」


言葉を選んで、ひと単語ひと単語ゆっくりと伝えてくれた。どうかそちらも、お元気で、健やかで、幸せでいてください。

祈るしかできない。お互いに。



「この曲は音源がありますから」ずっと聴いてください、みたいなニュアンスで。なんの曲かここまで聞いてもまだわからなかった。てか音源さあ〜!欲しかった。1枚作るのにすごい労力が掛かるのも想像できるけど、形に残ってほしかった。忘れないための手がかりが欲しかったなあ。こんなにも良いのに。




最後の1曲はコエヨでした。「みー」の1音目でやっとわかった。それから全身の産毛が逆立った。この瞬間のために生きてた。


大好き。ビアンコネロがいないこれからの人生が不安で怖くて寂しくて仕方ないけれど、この曲を聴いている45分は計り知れないほど幸せだった。大好き。




最後に手を繋いで一列になってご挨拶。いつもはお辞儀して、顔を上げて、胸を張って” 帰るけど、今日はここにいるみんなへのお礼で頭を深く深く下げてくれた。けんちゃんは相変わらず手を繋いだせんせーの親指の関節をコリコリしてた。


け「僕たちはこのあと片付けをして白川公園に行くので.......」大きな声では言えませんがお時間あればご挨拶できたら嬉しいです、って公式の出待ち推奨笑った。



け「きっとまたどこかでお会い出来ると思います!」古「できんわ」け「できませんがぁ!」


そうだねえ、東京公演が終わればきっともう会うことはない。大泣きしながらめっちゃ笑った。いつもそう、3人の前だといつも泣きながら笑ってた気がします。3人の記憶にしばらくは残るであろうわたしの顔はできればこの顔がいい。ぐしゃぐしゃで全然可愛らしくはないだろうけれど、どうかとびきり幸せなわたしでありますように。



(文字数オーバーしたのであとちょっとだけコメント欄に続きます。)